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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第六章~流される血と涙の上に君臨する女~
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後顧の憂い、その1~後門の大魔王~

***


「イェーガーは出陣したそうね?」

「はい、総勢20000。傭兵とは思えない規模の軍団となりました。その出陣式も圧巻。アルネリアの民までもが列を作って見送っていたとか」

「健在ぶりを印象付けたのね。アタシも行きたかったけど」

「代行でベリアーチェを向かわせただけでも破格の扱いですよ。アルネリアが一傭兵団に配慮するなど、本来はあってはならないことですから」


 復帰したエルザが、ミランダの執務を補佐しながら冷静な意見を述べた。ミランダは批判に口を尖らせながらも、目の前に溜まった書類を片付ける手を止めることはない。

 各地に点在する周辺騎士団や神殿騎士団を集結させ、同時に諸国の軍にも出動を促す。果ては各地に潜伏している口無しにまで召集をかける。予定では全ての軍が召集に応じれば、20万は下らない。

 それらを養うだけの食料、武具、馬の糧食、関所の通行許可などそれだけでもミランダ一人で処理できる数ではない。深緑宮の女官の中で使える者を総動員し、マナディルやドライドにもある程度の権限を与えたとはいえ、これを大戦期のミリアザールはほとんど一人で御していたというのだから驚きだとミランダとエルザは思った。


「アタシだってほとんど寝なくてやっているのに・・・改めてマスターは化け物っていうか」

「加えて、自らも出陣して戦っていたわけですからね。もちろん今ほど軍の指揮系統も複雑ではありませんし、規模も小さかったとは聞きますが、それにしてもあの方の頭の中はどうなっているのか知りたいです」

「本当だわ」


 とはえい、主だった仕事はほぼ終了しているのだ。エルザこそ、ミランダの頭の中はどうなっているのか覗いてみたいほどだった。

 ミリアザールは今の体制を全て自分で構築した過去がある。だからこそ隅々まで把握しているだろうが、ミランダはこの戦時に際して改めて組織体型を確認しながらの手腕なのだ。深緑宮の女官も、梔子でさえ驚く把握能力と仕事の処理速度。だからこそ、こうして愚痴を言う余裕さえある。

 そしてイライザが持ってきた書類の山が小さくなったのを見て、仕事の果てが見えたエルザだった。


「それで終わりかしら?」

「本日分の決済はこれで終わりです。戦闘が本格的に始まるまでは、さほど書類の量も増えないのではないかと女官たちも話しています」

「戦闘が始まるまで――ああ、死者が増えるまでね」

「そういうことです」


 エルザが顔を小さくしかめながら納得した。イライザは平静を装ったが、イェーガーが前線に到着すれば戦争の火蓋が切って落とされるまでは指折り数えるほどとなる。どれほどの被害が出るのか。相手の出方が不明の状態ではあるが、数を減らしながらも個体が進化するオークの軍団と、不可解な魔物の群れが移動したのではないかと報告のある前線。エルザも不安を隠せないのは仕方のないところだった。

 だがミランダだけは澄んだ表情で、どこか遠くを眺めていた。時折ミランダが見せるこの表情は何かを達観しているようでもあり、そしてどことなく浮世離れしたこの表情にエルザはうすら寒い恐怖を抱くことがある。

 一方でイライザはといえば、統一武術大会でバネッサに負けてから、より無表情になった。聞けば訓練場で倒れるまで剣を振るったかと思えば、翌日には何でもないような顔をして出仕している。そのことが、どうにもエルザには悲しく感じられ、同時に部下として心がある程度通ったと思うイライザが遠くに行ってしまったようでもある。


「(私だって・・・バスケスの一件が忘れられない。あれから人の握り拳を見るだけで動悸が止まらなくなることもある。ひょっとしたら戦士としての私は死んでいるのかもしれないけど、それでもまだ私にはやりたいことも、やれることもある――止まりたくない、ミナール様のやりかけた仕事を完遂するまでは。あんなものが敗北だとは認めたくない!)」


 自分の心が折れてしまったとは信じたくないエルザ。そしてエルザがしばしそんなことを考えている間にも、ミランダは全ての書類の決裁を終えてしまっていた。

 がたりと席を立つと、外套を羽織るミランダ。


「さて、今のうちにやっておくことがあるわね」

「ええと――後顧の憂いを断っておく、でしたか」

「現時点で断つことはできないわ。だけど、抑えを効かせることはできるでしょう」

「正直、自信はありません。マスターもこの提案には懐疑的だったはずです。下手をすると刺激するだけになるのではと」

「そこが我々の腕の見せ所でしょう。アタシはスピアーズの四姉妹の元へ、そしてあなたは吸血種の王ブラド=ツェペリンの元へ」


 ミランダが簡単に言ってくれるのを聞いて、エルザがいっそう不安そうな表情をする。


「いかにイライザがいるとはいえ、大丈夫でしょうか・・・その、ブラドは無類の女好きと聞いていますし」

「マスターから聞く限り、大丈夫なはず。無類の女好きと言うか、地で行くハーレムというか。吸血種ということを抜きにしてモテモテだったそうだから、女の方から寄っていくってさ。んで、とても紳士なんですって。だって、集まったハーレムの戦力で大魔王にのし上がったそうだから」

「なんですか、それは。女の敵ですか?」

「どっちかっていうと、モテない男の敵かもね。その中の絶世の美姫五人が自らブラドの眷属として永遠の命を授かることを選び、今でも仕えているとか。だから気を確かにもって、ブラドに魅了されないように」

「はぁ・・・多分大丈夫、だとしか言えませんが」


 エルザがイライザの方をちらりと見ると、やはり無表情のままのイライザがいた。自分は男の美醜で相手を選ぶことに興味がなく、むしろ好いたのはミナールのような相手だったので、大丈夫だとは確信しているのだが。案外とイライザの方がころりと騙されるのではないかと、余計な心配をしてしまうのだった。


***


「ここか・・・」


 エルザとイライザはミランダが予め用意していた転移にて長距離転移を行った。久しぶりの長距離転移は酔うような感じがあり、思わず片膝をついてしまった。またバスケスとの戦いのダメージが完全に抜けたわけではないのか、あるいはしばらく前線から離れた仕事が多いせいで鈍っているのか。

 気を取り直して立ち上がろうとすると、平然としたイライザに手を差し伸べられた。少し心配そうな表情をするイライザに、安堵するエルザ。


「ありがとう」

「やはりまだ体の方が本調子ではないのでは」

「正直、五割も戻っていないかもしれないわ。でもここには戦いにきたわけではないのだから、大丈夫」

「万一の際は私を盾にしてください。そのくらいしか、この身は役に立ちませんから」

「そんな言い方は――」


 といいかけて、それすら今のイライザのなけなしの誇りすら奪うことになるのではと思い、エルザは口をつぐんだ。

 転移の魔法陣を守っていたアルネリアの術者たちの拠点で最低限の装備と糧食を渡されると、2人は徒歩で目的地に向かった。1刻程もうっそうとした森をアルネリア関係者だけにわかる目印を頼りに歩くと、森の雰囲気が突然変わった。

 陽の光の届かぬ、まるで夜の様に暗い森。地元の者であれば絶対に近寄らない、入れば二度と出られず、死体となっても永久に彷徨うことになると噂される場所。通称、『暗い森』である。



続く

次回投稿は、7/3(土)18:00です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >どっちかっていうと、モテない男の敵かもね この言い回し好きです そうですよね、モテる男は女の敵ではなくてモテない男の敵ですね(笑) [一言] >ミナール様のやりかけた仕事を完遂する…
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