大戦前夜、その9~霧の上空~
「アマリナっ!」
カナートの悲鳴に近い声賭けに一番に反応したのは、なんとアマリナの騎竜。アマリナの命令以外は絶対に受付ず、飛ぶことは愚か足の一歩すら動かなさい竜が、ぐいと勝手に首を伸ばして持ち上げ、アマリナを振り落としたのだ。
「ケアアアアッ!」
翼を広げ威嚇するようにした竜を、影が一閃して袈裟切りにした。いかに竜の中では小柄な飛竜といえど、一閃で輪切りにするとは見事な剣筋。だが目的の相手を切り損ねた影が舌打ちして地上に落ちていくのを、たしかにカナートは聞いた。
そして空中に放り出されたカナートを、もう一匹の飛竜が見事に背で受け止めた。アマリナはたなびく手綱に手をかけると、脱力したままくるりと竜の腹側から一回転するようにし、見事のその背中に着地して跨った。
「アマリナ、お前無事――」
「リディルだ」
アマリナが振り絞るように出した声に、カナートの体が固まる。
「勇者リディルか? たしか魔王になったとかなんとか――それがなぜ」
「一度依頼で一緒になったことがある。好青年だったが、もう違うようだ。そして正気の目つきだった。強敵だぞ」
「正気? どういうことだ?」
「魔王になったかなんだか知らないが、明確に自分の意志で剣を振って――ぐっ」
アマリナが脇腹を押さえた。体とともに操縦がぐらつき、異変を感じたもう一体の騎竜が心配そうに鳴いた。
「グアアッ!?」
「アマリナ、お前――」
「大丈夫だ、深いが致命傷じゃ――リディルは指揮官としても優秀だった――このままじゃまずい――撤退も視野に入れ――」
アマリナの言葉が曖昧になり始めていた。騎竜が異変を察したか、自ら速度を上げて砦に向かう。
「やはり――グロースフェルドを待つべきだったか――」
「ヴァルサスとともに偵察に出たきりだ! いつ戻るかわからん!」
「不覚――タニア、すまん――」
アマリナは砦に強引に竜を着地させると、失った愛竜の名前を呟きながら気を失った。強引な着地の衝撃と、珍しくカナートが叫んだ声で砦は騒然となっていた。
***
「仕留めただか?」
「いや、忠誠心の高い竜に邪魔された。深手のはずだが、助かるかどうかは五分五分だな」
「しっかし、よくあそこから落ちて平気だべな?」
ケルベロスがリディルが落ちてきた上空を見上げる。ポチがいち早く飛竜の接近には気づいていたが、さすがに油断なく動く飛竜に当てられる自信がなかったし、距離的に当てても致命傷とならない可能性があった。
そこにふらりと現れたリディルが、「投げろ」と一言。意図を察したケルベロスはリディルを投げ上げたが、まさか無事に帰ってくるとは思わなかった。もちろん風の魔術で空気の足場を作り、衝撃を和らげながら落下してはいる。それでも、独断即決で飛び上がれる高さではない。勇者の頃から蛮勇とも呼ばれる冒険が得意とのことだったが、その性質を特に色濃く出し始めている様にも見えた。
リディルは剣の血糊を振り払うと、剣を治めて無表情に言い放った。
「陣形と、ここでやっている意図を知られた。すぐにでも陣払いすべきだ」
「圧倒的多数のこちらに打って出るべかなぁ?」
「俺ならそうする。少なくとも、死んだ雑魚共の死骸で土地が汚染される。放っておけば我々に有利な土地が完成することを、奴らは知っている。最低でもここから追い払おうとするだろうさ。向こうにはヴァルサスと、カラツェル騎兵隊がいる。特にヴァルサスは戦神の生まれ変わりとまで言われる男だ。機を逃すことはない」
「んだば、さっさと次のポイントに行くべか。そこで続きだぁな」
ケルベロスががさがさと地図を広げた。実は一部の陣払いは既に済ませており、ここにはもはや半数もいない。といっても元が五十万の大軍ともなれば、半数となってもさほど影響はないかもしれないが。
リディルはともに地図をのぞき込みながら、ケルベロスの書き込みを眺める。
「お前、いつの間に用兵と指揮官としての能力を得た?」
「アノーマリー様に一通り兵法はなぁ。それに魔王としての格があれば、ある程度大人しく連中は従うべ。反論がありゃあ、数体の頭を捻り潰せばいいだ。魔物は単純だべ」
「そうか。ここの要件は満たしたのか?」
「いんや。あと数千ってところか。殿の連中を犠牲にすりゃあ問題なかんべ」
「ならば俺は移動する。東に向かう必要があるからな」
「もしかして、心配で寄ってくれただか?」
ケルベロスがきょとんとしてリディルを眺める。小首をかしげるその様子を見て、リディルはぷいとそっぽを向いた。
「よせ、そんな仕草をしても貴様の好感度は上がらん」
「つんでれ、だべなぁ」
「もう行く。こいつらを秘密裏に運ぶだけでも大変なんだ」
「痕跡はある程度消しておくべぇ」
「完全にはどのみち無理だろう。ほどほどでいいぞ」
「そう考えると、もうちょっとここで粘りたかっただなぁ」
「しょうがない、オーランゼブル様は人間を侮りすぎだ。平地でカラツェル騎兵隊と相対すること自体が愚策なのだ。オークその他の知性の低い連中じゃあ、どうしたって対応が遅れる。直接狩られた数よりも、夜襲、奇襲で苛立ち同士討ちをした数の方が多いんじゃないか?」
「否定できないだ」
ケルベロスがうんうんと頷く。そしてリディルがぴぃ、と指笛を吹くと、まだ晴れない霧の中から巨大な影が地面を揺らしながら無数に登場した。
続く
次回投稿は、6/13(日)19:00です。