大戦前夜、その7~最前線の異変~
「大きな戦争は確かに儲け時だ。だが今はそんなことを言っている場合ではない。儲けるというのは、対等な力関係の敵対国があってこそだ。完全な平和関係が構築されるのも良くはないが、どこか一つに統一されるというのもよくない。
それに大きすぎる戦争も良くない。アルネリアとアルフィリースが戦えば、破滅的な戦争になりうる。それは避けたい」
「なるほど、それが調和のとれた戦争だと?」
「必ずしもそれだけを意味するわけではないが、おおよそそうだ。暴走には歯止めをきかせる必要がある」
「気に入りませんね、支配者気取りのようで」
「それはこちらのセリフでもあるが、今は好悪の情の問題ではあるまい。増えすぎる犠牲者に歯止めをかけたいのは同じはずだ、違うか?」
「・・・かもしれません」
ミューゼは悩んだ。この機に他国の勢力を削れればと思わなくもないが、同時にレイファンやドライアンの顔も脳裏にちらついた。彼らはミューゼにとっても政治的には敵だとしても、対等に語らえる相手、そして仲間意識があった。
為政者としては甘い決断かもしれないが、ミューゼは頷かざるを得なかった。
「いいでしょう。あなたと再び契約しましょう。具体的には何を援助してくれますか?」
「今回の戦争の争点は単純だ。誰しもがわかっていることだろう?」
「――ああ、ローマンズランドの弱点を突くのですね?」
「そうだ。問題は相手が何を頼りにしているかだな。我々の援助がなければ、ローマンズランドとて身動きが取れなくなるはずなのだが。スウェンドルの考えは私にも読み切れない」
「関わりはないのですか?」
「諸国並みにはあった。だが今でこそ忘れられつつあるが、かつてスウェンドルはこの大陸に比類なき聡明な君主が生まれたとさえ呼ばれたことがある相手だ。これが大戦期であったらどれだけ――アルマス内でもそう評価されたことすらある。
それから時は経ち、乱世では奸雄となると評された男も平和の中で暴君として腐っていくはずだったのだが――まさかこんなことになるとはな」
感慨深げに語るウィスパーにミューゼが同調することはなかったが、たしかにこれからの大陸の命運には大きな転換期が来ていると感じられ、まもなく訪れるであろう嵐に対して正面から挑まなければならないことを覚悟し、不安を隠すことで精一杯だった。
***
――その頃、最前線たる北部商業連合では――
「フォルミネー様、お加減はいかがですか?」
「プリムゼ? あなたまでここに来たの?」
「はい、お母様のお使いで」
市壁に立ち、そこからオークの軍勢の陣地の様子を窺うフォルミネーの傍に、すうっとプリムゼが立った。まだ朝の霧がけぶる中、魔女である彼女達は精霊のざわめきでもってある程度の様子を探ることができる。
特に造詣の魔女であるフォルミネーは、使い魔を常に複数派遣してオークの陣の様子を観察していた。黄金の純潔館を始めとする、ターラムの娼婦たちを多数従えてこの都市に参入している。表向きは炊き出しなどの人足だが、当然娼婦として稼ぐ者もいる。それらに乱暴をしないかどうか、あるいはルールが守られているかどうかを監督するのが表向きのフォルミネーの役目。そして裏の役目は、魔物どもの動向を確認することだった。
ターラムの支配者たるルヴェールとは定期的に連絡を取り合っているが、まさか年若いプリムゼがこんな前線に使いとしてでも赴いてくるとは思わなかったのだ。プリムゼは魔女だが年齢は見た目相応。純朴で愛らしい性格は、ルヴェールだけでなく、フォルミネーも好むところだ。可能なら。戦いなど経験させたくはなかった。
だがプリムゼにもある程度の覚悟があった。それは仲間たちが手を汚す中、自らは守れらるだけの存在でいたくないとのことだった。今回の仕事も志願してのことだった。
「・・・ということです」
「そう、貴女も覚悟を決めたの」
「誰もが無関係ではいられないと、お母様の占いにも出ています。多くの血が流れることになるだろうとも」
「ならば、今の私の懸念もお母様は予測されているのでは?」
「今は他の仕事もそこそこに、連日魔術で卦を出されています。少しでもこちらの被害を減らすために。ですが日々卦が悪くなるとのことで、詳細を聞くための使いを欲しました。この最前線で、いえ、相手の陣に何が起きているのです?」
プリムゼの表情は不安を隠していなかったが、フォルミネーもまたやや蒼白に見える表情を隠そうともしなかった。
「・・・最前線はカラツェル騎兵隊とブラックホークの活躍で善戦しているわ。彼らの奮闘がなければ、とうに抜かれていてもおかしくなかった。彼らが進言し、この隘路までの都市や防備を放棄してここの守備に全精力を割かなければ、今頃ターラムまで進軍されていたでしょう。
そのくらい相手には勢いがあったけど、突然寄せ手の力がなくなったわ。そうかと思えばここ20日ほどは戦いそのものが全くない。嫌な予感がした軍は積極的にセンサーや魔術士の使い魔で様子を探っているけど、動向が掴めない。なにせ、相手は50万の軍勢ですからね。陣の奥深くに行くのも一苦労よ」
「それで、お姉さまが手ずから使い魔を出されたと?」
「ええ、この造詣の魔女の使い魔を使って、ようやくというところかしらね。魔術協会が派兵を渋っているせいで、ギルドにいる魔術士連中ではたかが知れているもの。視覚を共有するほどの使い魔なんて、作れないわ」
「何があったのです?」
「進化しているわ、連中」
フォルミネーの言葉に、プリムゼがごくりと唾を飲んだ。視線は霧の向こうに固定されたまま、動かない。
続く
次回投稿は、6/9(水)20:00です。