戦争と平和、その706~最後の夜会⑤~
「たしかに私がカラミティよ。ローマンズランドでそのことを知っているのは、スウェンドルほか数名だけ。アンネクローゼ殿下は知らないし、そもそもオーランゼブルにも言っていないわ」
「ま、予想はついたかもしれないけどね。正体を明かしたってことは、それなりに私は信頼を得たと思っていいのかしら?」
「そうね。これから共闘すると言うのなら、互いに信頼の担保というものが必要だものね。この状況でローマンズランドに飛びこんでくる貴女の勇気に敬意を表したわ。それとも無謀というのかしらね。人間にしてはやはり面白いわ、貴女」
「褒められたと思っていいのかな?」
「最大限の賛辞のつもりよ」
オルロワージュがニタリと笑った。その笑い方は今までの優雅さとは打って変わって、寒気のする不気味な笑い方だった。オルロワージュは鷹揚にソファーに深く腰かけ、アルフィリースにもくつろぐように促した。だがアルフィリースは手を膝の上で組んだままソファーに浅く腰掛け、緊張をほぐしたような姿勢は見せなかった。
「何年熟成とやらなの?」
「ざっと500年。大陸西側で滅びた小国の姫様が元になっているわ。気に入ったからそのまま使っているの」
「その姿を、南方の大陸では妾も見たことがないぞよ?」
「それはそうよ。この体で常にどこかの国に潜入し、その国を滅ぼすたびに姿を隠して別の国へ――八重の森にいたことはほとんどありませんからね」
「なんと。では我々は主のおらぬ八重の森と、常に戦争をしていたというのか?」
ブラディマリアが眉を顰めて残念そうな表情をし、カラミティがくすくすと笑った。
「半分正解で半分当り、かしらね」
「どういうことじゃ?」
「そもそも、私は魔人と戦いたかったわけじゃない。人間が憎くて南の大陸から人間を駆逐してしまったけど、そのせいで緩衝地帯がなくなってあなた方と領地を接することになったのだもの。戦争状態に入ったのは、私の明確な意志あってのことじゃないわ」
「要するに、小競り合いから本格的な戦争に発展したと?」
「お互いさまじゃない? 別に私たちに殺し合う理由なんて、本来なかったはず。誰が呼んだか勝手にさんすくみなんて揶揄されたけど、白銀公の時代から互いに不干渉が一番だったはずよ。私としても貴女のような怪物と戦う理由はないし、白銀公にしろドラグレオにしろ面倒くさいだけだわ」
「むぅ・・・では我々は勘違いでずっと戦争をしていたと?」
「そうなるわね」
「――嘘ね」
カラミティの言葉をアルフィリースがばっさりと切り捨てた。カラミティの視線が冷ややかを増し、室内の温度が一段と下がったような印象さえ受けた。
「どういうことかしら、アルフィリース。今の言葉のどこに嘘があると? 適当を言っているのなら――」
「植生と生態系の変遷。私は西側に近い辺境にいたからわかるけど、私の師匠であるアルドリュース曰く、この大陸にないはずの植物が西側ではたまに見つかることがあると言っていたわ。おそらくは南から来たはずのものだけど、気流の都合で届くものだろうかといつも訝しがっていたわ。でも貴女がこの大陸に以前からいたのなら、説明がつく。
あなた、ずっとこの大陸にいたのでしょう? そうね、ひょっとしたら何百年も前から。貴女の分体についてきた植物の種や外来種が、たまに飛び地の様にこちらで生態系に干渉したのだわ。八重の森なるものは、ずっと――南の大陸の人間が滅びた時から空だったんたんじゃない? 貴女はこの大陸の人間も滅ぼすつもりでずっと策を練っていた。そこにオーランゼブルが気付いたのだわ」
オルロワージュが興味深そうにしげしげとアルフィリースを眺めた。そして突然その腕が人間の長さを超えて伸びたかと思うと、アルフィリースの顎を掴んでその表情をじっくりと観察した。オルロワージュのその首もまたしゅるしゅると伸びると、互いの息がかかる程度まで近づく。
「――本当に面白いわ、貴女。そんな理由で私の存在に気付いたのは、貴女が初めてよ。御子だと聞いていたけど、それだけじゃないわね? 貴女という人間そのものが面白いのかしら」
「それはどうも。それより顔が近いんだけど?」
「何、また息が臭いとか言わないでしょうね?」
「近すぎて照れる。見た目は美人なんだから、緊張するわ」
その言葉を聞いてカラミティはしゅるしゅると腕と首を戻すと、腹を抱えて声を殺して笑い始めた。その様子をブラディマリアが目を丸くして見つめている。
「アルフィリース、おぬし大したものじゃのう」
「何が?」
「カラミティが笑い死にするぞ? 殺し文句とはよく言うたものじゃ」
「はぁ」
よくわかっていないという体でアルフィリースが頭を掻いたが、ブラディマリアも呆れてそれ以上は物が言えなかった。
そしてひとしきり笑い疲れたカラミティが涙を拭くと、今度は立ち上がり優雅な仕草でもってアルフィリースに正対した。
「気に入ったわ、人間の娘アルフィリース。正直、ただの御子の素体ならどこかで隙をついて殺してやろうと思っていたけど、ローマンズランドにいる限り、私が貴女の比護をしましょう。約束するわ」
「誓約ってこと?」
「魔術士として、契約を交わしてもよくってよ」
「おいおい、本気かえ? そこまでこの娘を気に入ったと?」
「悪い?」
ブラディマリアの揶揄も意に介さず、不敵にカラミティが笑った。カラミティはなおも続ける。
「確認するわ。アルフィリースの狙いとしては、ローマンズランドに肩入れすることでオーランゼブルに一泡吹かせる。決してローマンズランドを内部から崩壊させることではない。それでいいわね?」
「ええ。アンネクローゼが私の友人である限り、ローマンズランドが崩壊することを望まないわ」
「いいでしょう。ならばアンネクローゼの安全も私が保証しましょう。私自身もあの姫様は気に入っているしね。ブラディマリアはどうするの?」
「妾か? 妾は――」
ブラディマリアは言い澱んだが、そこでアルフィリースがさらに突っ込んだ。
続く
次回投稿は、5/16(日)21:00です。