戦争と平和、その704~最後の夜会③~
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「う、うぅ~。なんて情けない・・・」
「酒に慣れていないのか、そなた」
「ほとんど飲んだことない・・・」
「これからは少々慣れておくがよいだろう。強者の仕事とは、敵と剣を合わせることだけではないからな」
「そ、そうなのね、面倒くさいったらありゃしない・・胃を掴まれてこねくり回されているみたいだわ・・・おえええ」
ディオーレに介抱されながら、エルシアは厠まで間に合わずしこたま庭園の端で吐いていた。さすがにその姿に誰も気付くことはなかったが、こんな姿を見られれば昼前の栄光は醜聞に置き換えられること請け合いである。
栄光は賞賛されながらもやっかまれ、醜聞は憐れまれながらも面白おかしく吹聴されるのは社交界の常だ。そんな無体なことにさせないためとはいえ、ディオーレも苦笑いは隠せない。
「まさか、私を打倒した相手の介抱をその夜にすることになるとはな。200年以上騎士をしていて、初めての経験だ」
「そ、そりゃどうも・・・」
「まったく、昼と同一人物とは思えんな。まだイェーガーにこれほどの隠し玉がいたとは。そなた、剣を握って1年と少しというのは本当か?」
「嘘をついてどうするのよ」
「・・・本当なのか」
さしものディオーレも表情が険しくなった。200年に渡る修練がたった1年の研鑽に敗れたというのか――たしかに集中力を疲労で欠いていたし、本来の戦い方は魔術が中心ではあるが、それにしても――と考えたディオーレは、戦いではいかなる事情も言い訳にしかすぎないと考え、首を横に振っていた。
負けは負け、しかも衆目に晒された。これから一生、自分について回る烙印となるのだ。
「1年と少しか・・・非才の身だとは思っていたが、私も強い酒を煽りたくなるな」
「何か言った?」
「いや、こちらの話だ。それにしても1年か・・・実は高名な騎士の家系の出なのか?」
「出自、ね。物心ついた時にはスラムで暮らしていたし、周囲の年長者たちに聞いた限りでは身分卑しからぬ女性が無言でスラムの端に捨てていったそうだけど・・・真実を確かめるすべも、身分を証明する物は何もないわ。考えるに、貴族なら身の証を立てる物を何か残すと思うのね。だから、ただの身ぎれいな娼婦を貴族と間違えたんじゃないかって・・・スラムの浮浪児たちじゃあ、貴族と娼婦の見わけもつかないでしょうし」
「ふむ、悪いことを聞いたか」
「いえ、そんなことはないわ。出自で落ち込むようなら、そもそも陽の当たるところに出てきていないもの。私は生きてここにいて、そして自分で何かを掴み取るだけの機会を与えられている。今日のことは出来過ぎだけど、それでも確かな何かを掴んだつもり。それを活かすのはこれからってところね」
力強いエルシアの瞳を見ていると、ディオーレはこの少女に負けてよかったかもしれないと思ってしまった。同時に、そんなことを考える自分は、騎士として終わりに近づいているのかもしれないと感じ始めていた。
「(代々の精霊騎士が、戦死よりも心が折れて死ぬ者が多い理由がわかった気がする。常に前だけを見て、まっすぐ進めなくなるからか。そしてやがて若い騎士に意欲で及ばぬと知った時、人としてではなく、騎士としての自分が死ぬのだな。なるほど、私もそろそろということか)」
「大丈夫? 貴女も顔色が悪いわ」
エルシアが心配そうにディオーレをのぞき込んだので、ディオーレはその頭を優しく撫でてやった。
「いや、気にするな」
「な、何よ。頭なんか撫でて子ども扱い?」
「む、すまぬ。つい、な。子はおらぬが、妹がいたことを思い出した」
「・・・妹さんは?」
「私より早く年老いて死んだ。思えば、あれば一番辛かったかもな」
ディオーレは話しながら、こんなことを誰かに言うのは初めてだとふと思った。
「精霊騎士でいることはつらい?」
「たまに、な。自分が手ずから育てた者が、戦場で死ぬのはまだよい。それは上官としての避けられないことでもある。だが自分より若かったものが老いて死ぬのを見るのはつらい。妹は幸せな人生を送ったが、その葬儀に参列した私の心に去来したものは言いようもない虚無だった」
「家族や一族は?」
「いるさ。兄妹たちの子孫は生きているが、あまり積極的に関わってはいないな。彼らにとって私は崇拝の対象だ。一人の人間として接してくれる者はもはやいなくなった。逆に気を使わせるだけだから、あまり近寄らないようにしている」
「結婚しなかったの?」
「・・・惚れた男がいなかったわけではない。男と睦み合ったこともあるさ。だが、家庭を持つには至らなかったな。穏やかな家庭に憧れたこともあったが、現実は戦場が家のようなものだ。いつか国が平和になったら――そんなことを考えているうちに、こんな立場になってしまった。後悔したことはないが、むなしさを感じないかと言われれば嘘だ」
「そっか・・・」
納得したような顔を見せたエルシアに対し、ディオーレはふっと笑った。
「そなたは切り込み上手だな」
「え、剣の話?」
「そうではない。ここまで私的なことを話したことは記憶にない」
「し、失礼だったかしら」
「そうでもないさ。存外悪い気はしない――?」
ディオーレが誰かの声を聞きつけると、視界の端に姦しい妖精が飛びこんできた。
続く
次回投稿は、5/12(水)22:00です。