戦争と平和、その698~統一武術大会、女性部門決勝⑨~
「行けっ――」
レイヤーの呟きに呼応するようにエルシアはぱっと、右の刺突剣を手放した。ディオーレがバランスを崩す。エルシアが反対の腰に佩いていた刺突剣を左手で抜き放つ。ディオーレは体制を戻そうとして足元が油で滑るのを感じ、立ち上がれず――エルシアの刺突剣がディオーレの喉元に突きつけられた。
試合を判定するうえで、決着が着くような一撃ではない。手で払いのけて続きをすればいいだけだった。だが騎士にとって、喉元に剣を突きつけられるというのが何を意味するのかわからぬディオーレではなかった。
唾を一つのみ込むとエルシアの剣の切っ先が喉に当たった。見事な寸止め。そして左手でもさほど衰えぬ突きのキレ。目を見れば爛々と光るエルシアの瞳があった。これで勝負が決まったとは微塵も考えておらず、動けば刺すといわんばかりの気迫と殺気、そして将来を見据えた目だった。
「些か眩しすぎるな、貴殿は――私の負けだ」
「勝者、エルシア!」
敗北宣言を受けて、いち早くミランダがエルシアの手を取って勝者の名前を高らかに宣言した。どっと沸き立つ会場。それはラインが優勝した時よりも何倍もの声援で。互いに見知らぬ隣同士の者たちが思わず抱き合ったり手を叩き合ったり、あるいはエルシアの名を叫ぶのに忙しかった。
ディオーレはその中でゆっくりと立ち上がると、まだ剣を手に持ったままのエルシアに近寄り、やや強引に右手をとって握手を交わした。
「負けた、見事だった。決勝でレーベンスタイン以外に負けたのは、いつ以来かな。剣をとって何年だ?」
「・・・一年と少し」
「なんと」
ディオーレは素直に驚いた。久しくレーベンスタイン以外の才能に出会っていないと考えていたし、その才能の出現を待ち望んでもいたが、まさか自分が踏み台にされてみると気分がお世辞にもよいとは言えず、ディオーレは苦笑していた。
「まだまだ精神修養が足りんな、私も」
「何の事?」
「恨めしい、いや、羨ましいということだよ」
「私が?」
「他に誰がいる?」
エルシアが不思議そうに首をひねったので、その肩をディオーレはぽんと叩き、不意にエルシアを抱き寄せて耳打ちした。
「追うよりも追われる方が苦しい。嫌でも貴殿は衆目を集めるだろう。潰れるなよ?」
「――追われるだなんて。私は自分の強さに満足なんてしていないし」
「その意気だ。だが苦しくなったらいつでも相談に来るといい。話し相手くらいにはなってやれるさ」
「ご親切にどうも」
ディオーレはエルシアを離してその背中をぽんぽんと叩くと、四方に手を挙げながらもう一つ残ったツインテールを結ぶ髪留めをほどき、優雅に競技場を去っていった。もちろん勝者の栄誉を十分にエルシアに送るための配慮だが、当のエルシアは呆然として、その場に立ち尽くしていた。
その背中をミランダがばん、と叩く。
「何突っ立ってんの?」
「――実感がさっぱりわかないわ」
「そういう時もある。実感なんてものは、後から追いつく時もあるわ。酒を飲んだ時、ベッドに入った時、朝顔を洗った時、とかにね」
「そんなもの?」
「大きすぎる衝撃の時は、特に。でも今はしゃんとして、四方に手を振って挨拶なさい。過去最大級の統一武術大会、女子部門で大陸最高の騎士ディオーレ=ナイトロード=ブリガンディを正面から打ち破って、堂々の優勝よ。これほどの栄誉を得られる機会が、人生で何度もあるとは限らないわ。貴女は声援に応える義務と、手本となり続ける義務があるわ」
「――足が動かないわ」
エルシアの足がふるふると震えていることをミランダが気付くと、くすりと微笑んだ。
「なんだ、可愛い所もあるじゃない」
「うっさいわね。審判なら、ちょっと手伝ってくれない?」
「人にものを頼む態度じゃないけど、今日だけは許すわ」
ミランダはエルシアの背を押すようにして、かるく支えながら競技場の端にエルシアを連れて行き、四方ならず八方に挨拶させた。その度にエルシアの名前を観客が叫び、姫騎士と讃える声が鳴りやまなかった。
その光景を見て、アルフィリースが盛大に安堵のためいきを漏らしていた。
「はぁ~~~まさか本当に勝つとは」
「あら? 信じていなかったのですか?」
「さすがにね。もう何年か先ならあるいは、と思っていたけど。今日が晴れだったこと、先に男子の試合があって、それに参加したのが同じイェーガーだったこと。そして遺跡という突発的な出来事のせいでディオーレが不眠不休だったこと。ここまで相手に棄権が多くて、エルシアの消耗が少なかったこと。あらゆる要因がエルシアに味方したわ」
「不眠不休? 昨晩は何事もなかったはずでは?」
「アレクサンドリアは違うわ。いろいろあって――私も便乗してちょいと仕掛けを」
舌を出すアルフィリースに向けて、苦々しい表情をするリサ。
「・・・懺悔を聞いてあげましょうか? 何をしたのです?」
「ガセ情報を大量に流したり、アレクサンドリアからの手紙を検閲で止めたりとかして、あるいは手紙配送の便を飽和させて、連絡が行き届かないようにした。おそらくディオーレはその対応で昨晩もほとんど寝ていないはず」
「卑劣、なんという卑劣」
リサの悪態にもどこ吹く風のアルフィリース。なんなら口笛を吹きだしそうなほどの、悪戯顔だった。
続く
次回投稿は、4/30(金)22:00です。