戦争と平和、その697~統一武術大会、女性部門決勝⑧~
「ハァアアアア!」
「ぬうっ! だが――」
足音のせいで位置が丸わかりだ、と言おうとして、エルシアの足音が急に消えたことにディオーレの反応がまたしても遅れる。
今までダンスのように小気味よい音が鳴り響いていたのに、自分がエルシアのブーツの音も頼りにしてその攻撃の予兆を掴んでいたことに、ディオーレ本人が驚いた。舞踏会の最中に突然灯りが落とされ、ダンスのパートナーの位置がわからなくなったように――ディオーレは硬直してしまったのだ。
エルシアはわざとらしく足音を――正確には踵を鳴らして攻撃していた。それはより変化をつけるために重心を後ろに置き、剣の振れ幅を大きく見せるためだったが、間合いや剣の重さを錯覚させるためでもあった。そして重心を前に、つま先に置いて迫った時、足音が消えたのだ。踏み込む攻撃は、直線的で重く、かつ最速。
ディオーレの硬直が解けたのは、エルシアの研ぎ澄まされた攻撃が右手の親指の付け根を直撃した時だった。
「ぐっ?」
剣がするりと手から滑り落ち、親指の付け根の骨が外れたことを察するディオーレ。ならば盾でと考えたが、その盾までもがエルシアの一撃で砕け散った。
「なんだとぉ!?」
「そりゃあ、ずっと一点を集中的に突いてたからね。同じ木製なら砕けない道理はない」
レイヤーは知っている。エルシアが練習で的にしている木を、数え切れないほど破壊してきた的を。練習のための木剣の刺突剣は、意図したわけではなくこの大会におあつらえ向きだった。木製の刺突剣の扱いなら、間違いなく今大会随一。
エルシアは知っている。体感として、同じ材質ならばどのくらい同じ個所に当て続ければ壊れるのかを。まして今の木製の剣は、特別に材質を見繕ってレイヤーが手ずから調整してくれた剣。この剣を持って、負けるわけにはいかないのだ。
ディオーレは知っていた。剣と盾なしに、エルシアの攻撃を捌くことは不可能であることを。
「くぅう!」
「わあああ!」
エルシアの猛攻に、ディオーレが目と喉を守った。そこは突かれれば、一撃で死にうる箇所。エルシアの殺気が、ディオーレに命の安全を優先させた。
だからこそ当たる、それ以外の急所への全ての攻撃が。いかに革製の鎧をつけているとはいえ、それ以外の場所への攻撃を全てディオーレは受けることになった。膝、肘、鎖骨、胸骨、臍、鳩尾、足の付け根、耳、額、そして顎。
ディオーレは自らの頑健さには自信があった。魔術ありきならば、それこそ矢の雨も意に介さないほどに。だが魔術無しでの自らがぼろぼろになるまで鍛えたのは、いつのことか思い出そうとしても思い出せなかった。
ごり、と顎に何度目かのエルシアの剣が当たったところで、ディオーレがたたらを踏んで後退した。踏ん張ろうとした足が、油のようなもので滑った。
「は――?」
ラインが自分の戦いの課程で巻いておいた油。戦いで使うことはなかったものの、エルシアはラインからその仕掛けのことを聞いていた。何も無駄にディオーレの周りを回ったのではない。その位置を確認し、誘導したのだ。一歩後退させることができれば、滑って体勢を崩すように。
片膝をついてエルシアの攻撃を受けることになるディオーレ。万事休すと誰もが思った時、それは起きた。ディオーレが無意識に出した右腕が、エルシアの木剣の付け根を掴んだのだ。
そうするしかなかった。ただ掴んだのは偶然だった。膨大なディオーレの経験がそうさせたのか、運命のいたずらなのか、それは起きたのだ。観客が硬直するのみならず、アルフィリースや、リサやライン、ドライアンやスウェンドル、浄儀白楽までもが一瞬固まってしまい、掴んだ当のディオーレ本人も次の手をどうするべきかと逡巡する。
それは一瞬の気の迷い。その中でレイヤーは発想し、エルシアだけがその思考通りに実行したのだ。
続く
次回投稿は、4/28(水)23:00です。