ピレボスにて、その1~たき火を囲んで~
アルフィリース達はアンネクローゼと別れた後、彼女の指示通りに一路ピレボスを目指して北上していた。途中から魔獣や魔物がはびこる獣道となっていったが、大草原を突き進んだアルフィリース達にとって、この程度は危険のうちに入らなかった。
そして、今は野原で野宿をしている。見通しが良く、ここなら敵に襲われてもすぐに反応できると踏んだのだ。火を焚いているので誰かに見つかる可能性もあるが、遠くには農家か民家でもあるのか、視界にはちらほらと明りが見える。街道沿いにでも旅賃を節約するために野宿をする人達はいたので、いちいち明りを気にかける人間はいないとアルフィリース達は判断したのだった。
そして見張りはアルフィリースと楓とグウェンドルフである。いつもアルフィリースと一緒に眠るイルマタルは、エアリアルが添っている。
「そういえばアルフィリース殿」
「なあに、楓」
最近は楓も徐々に他人と話すようになってきた。しょっちゅうミランダが酔わせて色々な事を聞きだしているからなのだろうが、楓とて歳は成人一歩前なのである。一度任務を離れれば、年頃の女の子である。最初こそ任務中と自分を押し殺していたようだったが、これだけ長く一緒にいれば自分を隠しきれるものではない。旅を円滑に進めるうえでもは会話は重要だし、そのことが楓自身も分かってきたようだった。
「シーカーの里での出来事ですが、いつから我々に気付いておいでで?」
「んー、大草原に入ってから間もなくかなぁ・・・」
アルフィリースが思い出すように語る。アルフィリースの言葉に楓は目を丸くした。
「どうして気づかれたんです? 自画自賛するわけではありませんが、我々の尾行は完璧だったはずですが。事実、リサ殿にも気づかれませんでしたし」
「それはそうなんだけど、いくら完璧でも貴女達が地上から消えていなくなるわけじゃないわ。私って最近思うんだけど、危険や違和感っていうのにリサよりも敏感なのかなって。だからなんとなくだったんだけど、尾けられているのはわかってたの。どのくらいの距離か、何人かとかはわからなかったんだけど、危険はなさそうだしミランダの護衛とかかなぁって。呪印を解放するとよくわかったんだけどね」
「なんと」
楓が驚いていた。センサーを暗殺することもある彼女達の尾行技術である。それがこういとも簡単に気づかれたのでは、技術そのものの見直しをしなければならない。
「(いや、だがアルフィリース殿が特別なだけか? どうやって気づいたかは本人も分かっていないようだし・・・ふむ、放っておいても害はないか)」
楓が自分の考えに沈む一方で、アルフィリースは何かを思い出したようだった。
「あ、大草原で思い出した! グウェンに聞きたい事があるんだけど?」
「なんだい?」
グウェンドルフがゆっくりとアルフィリースの方を振り返る。
「私達、大草原で不思議な遺跡を見たのよ。カザスって学者がグウェンに聞いてみたいって言ってたんだけど、グウェンは何か知っている?」
アルフィリースの言葉に、日に薪をくべていたグウェンドルフの手がピタリと止まる。
「・・・知っているのね?」
「ああ、知っているけど・・・」
「言えないのね」
アルフィリースがため息をついた。
「すまない」
「いいのよ、なんとなく想像できた事だから。それに私達が知るべきでない事も、沢山あると思うから」
「そうだね、なんでも知っていればいいというものではない」
グウェンドルフのその言葉に、意味深なものをアルフィリースは感じる。だが、グウェンドルフはそうなったら何も聞き出せないだろうとも思うのだ。
「でも、いつか聞いてみたいわ」
「そうだね、いつか話せるといいんだが・・・」
「ママ~」
気がつけば、イルマタルがアルフィリースの後ろから歩いて来ていた。
「どうしたの、イル?」
「おしっこ」
「それに見張りも交代の時間だ」
「ふあ~眠い」
エアリアルとミランダも歩いて来ている。
「もうそんな時間なの。イル、じゃあおしっこしたらママと寝ましょうね」
「うん!」
そうして嬉しそうにアルフィリースに手を引かれるイルマタルを伴って、少し離れた所に歩いていくアルフィリース。彼女達を見ながら、
「すっかり母親業が板に付きつつあるな」
「なんだか不憫だわ」
と、エアリアルとミランダが各々感想を呟くのだった。
***
翌朝。朝の見張りはニアとリサが務めていた。そこにミランダとイルマタルが歩いてくる。イルマタルは寝起きがとても良いのだが、ミランダは大あくびをしながら歩いてきた。
「あふぅ~、見張りの中番は眠った気がしないわあ」
「交代だからな、仕方があるまい」
「それはわかってるんだけどね~。リサ、何か変わりはあった?」
「問題ありません。やはりグウェンがいるのを野生の魔獣や魔物も察知するのか、誰も近寄ろうとすらしませんね」
実際グウェンドルフが仲間になってから、全くと言っていいほど魔獣に出会わない。獣道に入って既に3日は経過したのだが、一回だけ遭遇したものの、こちらを見ると一目散に逃げて行った。エアリアルが、「相手の実力も考えず、見境なく戦うのは人間だけ」と言っていたが、その通りかもしれない。
「便利でいいんだけど、張合いもないわね」
「それは贅沢な望みというものでしょう。旅は安全なのにこしたことはありませんから。アルフィは?」
「まだ寝てるよ~」
イルマタルが「しょうがないんだよ、私のママは」と言った風に、腰に手を当てて見せる。その仕草が可愛らしくて、その場の全員が微笑んだ。
「まったく、あのダメ女は・・・子どもに良い手本を見せなければだめでしょうに」
「まあいいじゃないか。たまにはのんびりした旅もいいさ」
「それはそうと、火を消さないとね」
「じゃあイルがやる~」
イルマタルが手を上げてぴょんぴょんと跳ねていた。
「それはいいけど、危ないぞ?」
「イル、どうやってやるのですか?」
「こうやるの~」
イルが息を大きく吸い込むと、氷のブレスを吹き始めた。一同は驚いたが、程なくして火が完全に消える。その様子を見てはしゃぐイルマタル。
「どう、どう? イルは凄い?」
「う、うん。凄いと思う」
「わーい、褒められちゃった! あ、ママだ!」
ちょうどそこへアルフィリースとグウェンドルフが起きてきたので、イルマタルは一目散にアルフィリースの方へ駆けて行った。しきりとたき火の方を指さしているので、アルフィリースに褒めてもらおうとしているのだろう。アルフィリースが頭を撫でると、とても喜んでいる。
だが他の面々はそうでもなかった。
「ミランダ、イルは昨日は火を吹いたよな?」
「ええ、それでたき火をつけたんだから」
「真竜とはいえ、複数のブレスを使うことなどあるのかな?」
「普通はないよ」
そこにグウェンドルフが割って入ってきた。
「そうなのか?」
「ああ、私も使えるブレスは一種類だからね。竜は普通そうさ。ただ、頭がいくつかある竜では複数のブレスを使うことはあるし、頭が一つでも、両親の異なる性質を均等に受け継いだりすれば、二種類を使いこなす場合がある。だが・・・」
「だが?」
「全く相反する性質のブレスを使いこなすことは、まずない。それは自然の摂理に反することだ。これが何を意味するのかは、私にもわからないよ」
グウェンドルフの言葉に、ミランダとニアがイルマタルの方を見る。イルマタルはアルフィリースにしがみつくようにして甘えていた。
その後、出立の用意をいち早く整え、アルフィリース達は移動を始める。
「朝ご飯もお昼ご飯も、移動しながら食べるのよね?」
「ああ、その方がいいだろうね。地図を見る限りじゃ、今日中にちょっと無理してでもピレボスの山脈の麓について、明日一気に山道を攻略した方がいい」
「そうだね、ミランダの言う通りだ。ピレボスの冬は早い。風向き次第では、もう雪が降り始めてもおかしくないんだ。そうなれば、この周囲は一気に雪に閉ざされる」
「詳しいのね、グウェンは」
アルフィリースの問いに、グウェンドルフが笑顔を作る。
「ああ、ピレボスの山頂には真竜が住んでいるからね。昔はよく遊びに来たものさ」
「ピレボスの山頂には神様が棲んでいると聞いたことがありますが?」
リサが昔聞いた噂を口にする。
ピレボス山脈。大陸で最大の山脈であり、最も高い山で標高が1万mを越えるものもある。そのためピレボスの麓では、時期によっては陽が射さず一日中夜になる村もあるのだそうだ。また魔物、魔獣の巣窟でもあり、様々な伝説の種族が棲むとされる土地でもある。絶滅したとされる巨人の住処も、ピレボスのどこかにあるのだとか。さらに山頂に到達した人間はいまだおらず、山頂には常に雲がかかってみえないせいか、不老不死を授ける神が棲むとう伝説がまことしやかに流れており、ピレボス山頂の何者かに会うことはギルドではもはや数百年に渡って達成されてない依頼として有名になっている。
さらにピレボスは大陸の北側を完全に分断するほど横に長く、ピレボス山脈の向うにある大陸の北側がどうなっているかを知っている者はほとんどいない。ピレボスの中には北側に抜ける街道もあるとは伝えられているが、定かではない。その街道を開拓するだけでも、一生遊んで暮らせるだけの報酬が得られると言われている。ピレボスの魔物は大草原に負けず劣らず凶悪で、普通の冒険者や傭兵では太刀打ちできないとされるのだ。
そのような山脈を背後にもち、ローマンズランドは発展した。北側からの侵入を気にしなくてよく、天嶮の山脈を利用したローマンズランドの主要都市国家は、都市そのものが難攻不落の要塞となっている。そのため、ローマンズランドが誇る主要7都市は、開国以来一度として敵の手に渡ったことが無いとして彼らは誇りにしているのだ。また、ピレボスの魔物や魔獣を慢性的に相手にしなければならないローマンズランドの軍隊は、自然と屈強な人間達で構成される。
アルフィリース達は知らぬことだが、ブラックホークのルイはローマンズランドで師団長まで上り詰めたが、それでもあの実力を持ってして師団長どまりだったのである。上には将軍達が控えており、それだけでもローマンズランドにおける軍人達の層の厚さが伺えるだろう。
そのピレボスがアルフィリース達の目の前に迫っていた。もっとも一番高い山は遥か西にあるので、目の前にあるのはせいぜい4000~5000m級の山程度だ。
「確認するけど、山は越えなくていいのよね?」
「ええ、地図の上では、せいぜい1/3程度も上がればいいはず」
「馬が足を痛めなければいいがな」
「荷物を減らす可能性も考えないといけないな」
「食料はピレボスを降りれば何か手に入ると思いますが、その段階でもう内戦地帯に入っている可能性もあるのでは?」
「ちょっと待って、もう一度確認する」
ミランダが馬に乗る前に、アンネクローゼにもらった地図を開いて確認していた。その話し合いにアルフィリース、ニア、ユーティ、楓も加わる。アルフィリース、ミランダ、ニア、は旅する者の教養として地図が読めるし、楓は仕事の必要性から学んでいる。ユーティはといえば、この前ミランダが教えた所、一回で読めるようになってしまった。どうやら達者なのは口だけではなく、頭の回転も相当早いらしい。さらに、一回見たことはだいたい忘れないのがユーティの特技だった。
リサは盲目だから読めないし、エアリアルも大草原暮らしが長すぎて読めない。と、いうより必要なかった。大草原は彼女にとって庭であったし、地図など必要なかったので旅の商人からも買いつけてはいなかったのだ。ラーナもエアリアルと同様である。グウェンドルフに至っては、おおよその大陸の地形は頭に入っているが、地上を歩くのは初めてなので初心者も同然だった。もちろんイルマタルにわかるはずもない。
そうしながら地図を読めるメンバーが額を合わせて相談していたが、リサがふとセンサーに感知される存在に気がつく。その様子の変化に、エアリアルがいち早く気がついた。
「どうした、リサ?」
「何者かがまっすぐこちらに来ます」
その言葉に全員が反応する。
「数は?」
「1人です。今のところは」
「敵?」
「それはなんとも。ただ相当できますね、足音が極端に小さい。間違いなく戦士でしょう。それに・・・これは獣人?」
リサがセンサーを全開にして探っている。その事に相手も気がついたのか、全速で間を詰めてきた。
「速い!」
「敵か!?」
草原の向うから、風を巻いて接近する影がある。確かに人間では無理な移動速度だ。エアリアルの馬を駆けらせるより速いかもしれない。
そして彼女達の前に姿を現したのは、黒豹の獣人の男だった。
続く
次回投稿は5/18(水)13:00です。