戦争と平和、その683~大陸平和会議十三日目朝④~
「さて、交渉はまとまったわね。イェーガーの団長殿はお忙しいでしょうし? これでお暇しようかしら」
「もう行くの? 決勝戦を見るなら貴賓席に案内するわよ?」
「冗談! アルネリアの関係者は見たくもないし、まだ私のことを覚えている人もいるでしょうから、会いたくないわ。本当なら、この都市に来る事すら嫌だったんだから! 道化師が突然動かなければ、誰がこんな都市――」
「すまんな、団長殿。照れ隠しだ」
エネーマが怒り始めるその顎をぐいっと掴み、ライフリングが大人しくさせた。アルフィリースは何が始まるのかと思い、思わず顔を手で覆ったが、その指はしっかりと開かれていた。
「しばらく会えなくなる、寂しくなるわね」
「――ま、こんな人生と稼業だもの。いつ今生の別れがきてもおかしくはないわ。互いに自由で束縛なし。それが私たちの関係だったでしょう?」
「そのとおりだ。ゼムスのお守りをよろしく頼む」
「ええ、あの男を御せるのは私しかいないものね。でも私のいない間に誰かに手を出すのかと思うと、ちょっと妬けちゃうわ。あの団長さんとか?」
「彼女か?」
ライフリングはちらっとアルフィリースの方を見たが、興味津々な顔で二人のやりとりを指の間から見ているアルフィリースを見て、ふっと笑った。
「よしておこう。面白そうだが、手を出したら怖そうだ。彼女は私の手に負えないよ」
「うーん、あなたにそう言わせるなんて末恐ろしい」
「魔性の女。いや、魔性の人間だよ彼女は。いずれ彼女を巡って色んな争いが起きるだろう。それを傍で眺めている方が余程面白そうだ」
「相変わらずの破滅願望なのね」
「身を滅ぼすに値するほどの伴侶がいれば。この技と技術はしっかり残してから破滅するがね」
ライフリングがエネーマを離すと、エネーマは部屋を出かけてその手を止めた。
「そうだ、一つだけ団長さんに忠告を」
「? 何かしら」
「巡礼の五番手、ブランディオとかいう男に注意なさい」
「ブランディオ――ああ、オルルゥとの戦いで審判をしてくれた巡礼の」
「あんな巡礼、私は知らないわ」
エネーマに言葉に、アルフィリースは眉をひそめた。
「どういうこと?」
「巡礼になる者は、基本的に出自が限られる。グローリア学園はアルネリアにおける表の教育機関。一部特待生や奨学生としての貧民や孤児が混じるけど、原則は由緒正しい出自よ。そりゃあ時には私のような変わり者もいますけど、普通は神殿騎士や僧侶、シスターとして出世する。知ってる? 神殿騎士で一定以上の身分につくためには、今までの身分を捨てる必要があるわ。そりゃあそうよね、聖女としてのミリアザールに直接面識する機会が増えるんだから、その正体に気付かないとも限らないもの」
「で?」
「巡礼になる者は、その大半が裏の教育機関の出自よ。具体的には口無しの里、あるいはアルネリアが討伐したり捕縛したけど、理由があってアルネリアに忠誠を誓った者。特に上位の番手はそうだわ。巡礼の経験は出世に役立つけど、長く続けるには危険が大きすぎる仕事だもの。今の大司教たちも全て巡礼の経験者だけど、その任期は長くなかったから、番手もそれほど上がっていなかったわ。
だから、巡礼で上位になるには、着々と実績を積み重ねる必要がある。なのに、少なくとも私とほぼ同世代に見えるあの男の噂を聞いたことは一度もない。調べた限りでは前大司教が連れて来て、二番手のラペンティが実績を評価したそうだけど、ほぼいきなりあの地位についているそうよ。怪しいとは思わない?」
「・・・たまたまじゃないの? エネーマだって巡礼の全ては知らないのでしょう? それに、本当に怪しいのなら、ミランダが排除するわ」
アルフィリースの言葉に、エネーマが息を一つ吐いた。
「それもそうだわね。だけど、注意しておくにこしたことはないわ。アルネリア内の反対勢力、そして大会期間中にあった本部襲撃騒ぎ。裏で糸を引いているのが誰か、まだ何もわかっていないんだから」
「情報ありがとう。心に留め置くわ」
「そうなさいな。また会いましょう。できれば敵でないといいわね」
エネーマは薄く笑うと、その場を去っていった。残されたのはライフリングとアルフィリースだが、ライフリングが突然口を開いた。
「エネーマのこと、どう思ったかしら?」
「うーん・・・思ったほど悪くない人かな?」
「そうか。私は極悪人だと思っていますけど」
「ええ? 恋人じゃないの?」
「ただの一時しのぎのパートナーで、永遠の伴侶というわけではないわ。互いの欲求の捌け口よ」
「そ、そう。私にはわからないことね」
アルフィリースが頭を抱えたので、ライフリングはくすりと笑った。
「だが、世の中にはもっとひどい悪がいる。悪や正義の定義なんて、比較対象次第だと思っているわ」
「それは・・・そうかもしれないわね」
「貴女がエネーマを見てさほど悪人に見えなかったというのなら、よりひどい悪をこれから知ることになるでしょう。あるいはもう知っているのかも――きっと貴女はそういったモノと戦う運命にある。その時は私たちを遠慮なく頼りなさい。悪と戦うには、悪党の力が必要よ」
「私も悪党かも」
「否定はしないわ、黒髪の女剣士さん。でもね、貴女が決定的に手を汚してはだめよ。やるなら皆で一緒に――ね?」
「――考えておくわ」
アルフィリースは空を見上げて考えた。今日の会議の行く末を、アルフィリースはなんとなく知っているし、想像もしていた。これが正解でありながら、必ずしも良い手段でないことも理解している。その上で自らが取ろうとする選択が何をもたらすのか。アルフィリースは改めてその覚悟を決めていた。
続く
次回投稿は、3/31(水)6:00です。