戦争と平和、その682~大陸平和会議十三日目朝③~
「ゼムスの庇護下――つまり、仲間であることは、同時に色々なお目こぼしをもらえるということでもある。ゆえに脛に傷を持つ人間や、権力者から狙われる人間が寄り集まり、体制側も一か所に集まった方が監視しやすいとの名目で、今までは少々のオイタも見逃してもらっていたわ。
だけど、それももう終わりね。活動資金を調達していたバンドラスとヤトリが死亡し、制御ができないことで恐れられていた道化師たちも賢者シェバもいなくなった。残ったのは軍団、重騎士、そして私だけ。畏れは半減以下だわ」
「だから、私はここに来た。アルネリアにもっとも近く、そしてアルネリアに対等な意見ができうる組織として、イェーガーを頼らざるをえなくなったのだ」
ライフリングはあくまで冷静に申し出ていたが、内容には縋るような感情が見え隠れしないでもない。アルフィリースは椅子に深くどっかりと倒れるように腰かけ、頭を左右に振りながら悩んでしまう。
「うーん・・・期待してもらって悪いけど、イェーガーってそこまでの組織かしら? 大きくはなっているけど、まだ他の傭兵団の方が勢力も実績も上で――」
「レイベンワース」
エネーマのその言葉にアルフィリースの動きが止まる。その姓が何を意味するのか、アルフィリースは思わず緊張した表情を2人に向けた。だがそれこそが、彼女たちを安心させたようだった。
「やはり知っていたわね。だから、ここに来たのよ」
「なぜその姓を――まさか」
「そう。上位の巡礼だった私はアノルン大司教――ミランダの姓を知っている。いえ、知ってしまった。ここにいるライフリングはその末裔よ」
「・・・証拠は?」
「これ、なんだかわかる?」
エネーマが懐から取り出した小瓶をアルフィリースの前に置いた。不思議な光沢と光の反射を伴うその素材に何が入っているか、アルフィリースは想像して息を呑んだのだ。
「まさか・・・エリクサー? 本物なの?」
「証明する手立ては現在ないわね。ただ、現存する最後の3本のうちの1つだそうよ。これの存在は私とライフリングしか知らない。ゼムスも知らないわ。ゼムスはライフリングの姓すら知らないもの。他人には無関心だから、あの人」
「ミランダはもう存在しないと言っていたわ。製法は頭にあるけど、素材的な問題で二度と作ることはできないって」
「実際に二度と作れないわけではない。だが、結果と課程が釣り合わない代物だ。私も製法は知っているが、再現するつもりはない。これは一族に代々伝わっていたものだ。作られたのは三百年以上も前だが、経年劣化は一切しないそうだ。まだ使えるはず」
「そんな貴重なものを――待って、結果と課程が釣り合わない? それは――」
「ざっと千」
ライフリングの静かでも強い口調に、ぴんとした緊張感が訪れた。その千という数字が意味することを、アルフィリースは想像して押し黙ったのだ。
「――察しがよくて何よりだ。エリクサー一本を作るのに、およそ千体の生命を犠牲にすることが必要だ。その中には、人間も含まれる。これの素材は他者の命。そんな歪んだものを再現するつもりはない」
「この製法を、ずっと守ってきたの?」
「守ってきたのは、一族伝統の技だ。アルネリアの勢力がまだそれほど広くなかった時、レイベンワースの製薬、医療技術で救われた者は多い。回復魔術が普及した現在、それらの技はやや廃れてきているが――」
「むしろ、回復魔術の方が歪よ。特にアルネリアのものはね。あなたも魔術士なら、少しは考えたことがあるはず。私は巡礼にいるころから、それがどうしても納得できなかった。今でも使用する魔術は、アルネリアで教わった以外のものだわ」
「・・・確かに」
アルフィリースは回復魔術のおおよそを使えない。正確には、聖属性と呼ばれるアルネリアの魔術全般が使えない。多くの精霊の声を聴くアルフィリースだが、そちらには適性がないとばかり思っていた。
実は回復魔術は聖属性以外でも存在する。各属性にある回復魔術は、属性に応じた組織活性だとアルフィリースは教わった。火なら体細胞組織の再生促進、水なら体液循環の正常化、闇なら安静による疲労回復促進と、それぞれ回復魔術は存在する。だがミリアザールがフェンナを治したように、臓器欠損を治すような魔術は存在しない。
属性ゆえの差かと思っていたが、エネーマは否定した。
「アルネリアの魔術修得の方法を?」
「いえ、知らないわ」
「適性を見られるのよ。詳しい方法は言わないけど、修得を志す者は適性をみるために数日間、ある部屋に籠る。そこで資格のあるなしを判定される。私は資格なしだったわ。それが悔しくて魔術協会にも出入りしたし、メイヤーで学問を体系的に学びもした。結果、回復魔術の矛盾を知ったわ」
「アルネリアの魔術は何かがおかしい。何がおかしいとはわからないし、結果として多くの命が救われてはいるが――それがレイベンワースの一族の教えと相反するものだと、ずっと考えていた。だがこのエネーマと出会って確信した。アルネリア教が伝える回復魔術は歪だとな」
ライフリングは厳しい視線でアルフィリースを見ていた。対するエネーマは静かに穏やかに、アルフィリースを見つめている。
アルフィリースは少し悩んだ。彼女達の目的が分かった気がしたからだ。
「――言いたいことはわかったわ。それで、ライフリングの保護をお願いしたいとのことだったわね? それは、アルネリア教会からの保護、ということかしら?」
「エリクサーの製法という点では、それ以外の勢力もからよ。ただあなたの傍にいることで、互いに気付くこともあるでしょう。そして大司教アノルン――ミランダの親友であるあなたに聞きたいわ。あなた、おかしいと思ったことはない? アルネリアが、あるいはミランダの素行が」
「・・・私も最近ミランダにべったりと言うことはないけど、おかしいと思ったことはないわ。ただ、アルネリアを無条件で信用しているということはない。それは信じてほしいわね。そしてあなたたちのことも、まだ知り合って間もないわ。何をもってあなたたちの言葉を信用すればいいのか、まだ判断する時間が足りない」
「いいだろう、もっともな言い分だ。私の力はもちろんのこと、エリクサー以外の技術はこの傭兵団のために提供する。ただ所在を隠すために、傭兵として個人の依頼は一切受けないつもりだ。俸給や生活の保障をそちらでお願いしたい。その間に私のことを見定めるがいいだろう」
「そのくらいはもちろん。私は製薬はさほどでもないけど、ある程度は医術の心得があるわ。ぜひとも指導してほしいわね」
アルフィリースとライフリングががっしりと握手した。それを見てエネーマはぱん、と手を叩いて立ち上がる。
続く
次回投稿は、3/29(月)6:00です。