戦争と平和、その679~大陸平和会議十二日目夜⑫~
「――突拍子もないことを言うのね。アルマスとの連絡方法なんて知っているわけがないでしょう? ましてや、その首領なんて」
「あれ? 私はウィスパーが首領なんて一言も言っていませんが?」
「――あ」
「さしものミューゼ殿下も動揺しましたね。まぁ意地悪はこのくらいにしておきます。今、私は絶好調でして。リサのセンサーが届かぬ範囲の出来事でも、情報を得ることは可能なのです。殿下、昨晩外出されたでしょう? 本当に誰にもつけられていなかったとお思いで?」
ミューゼは黙っていたが、その瞳には恐ろしいものを見るかのような怯えの色が初めて見えた。アルフィリースは組んだ腕の上に顎を乗せながら、挑戦的にミューゼに語り続けた。
「先程、魔術士としては凡庸と自ら認めたではないですか。対してこちらは見習いとはいえ、現役の魔女が三人。殿下に気付かれずに尾行するくらいは朝飯前です。それに大国の為政者ともなれば、アルマスとの連絡方法くらい知っているのでは? それこそギルドでたむろしている怪しげな連中に金を渡せば、アルマスの下部にくらいはすぐ連絡がつきます。ミューゼ殿下程の情報網を持ちながら、アルマスとの連絡方法を知らないなんて、そんなわけないでしょう」
「・・・で? ウィスパーとの連絡方法を知って、どうするの?」
「もちろん依頼に決まっています」
「誰を殺すの? まさか私ではないでしょうね?」
ミューゼの言葉は冗談半分、怯え半分だったろうか。アルフィリースはからからと笑うと、ミューゼの質問を否定した。
「いえ、殺しは依頼しません」
「では何を?」
「護衛を依頼したくて」
「護衛?」
アルフィリースの提案に、ミューゼの頭は目まぐるしく回転し始めた。そしてアルフィリースが考えていることを、少しずつ理解していく。
「護衛――自分の、ね?」
「話が早くて助かります。ちょっと長期かつ困難な依頼かもしれないので、ウィスパーと直接話をしたいのですけど」
「・・・善処するけど、それが叶うとは限らないわ。むしろ、この話をしたら私が消されるかも。ウィスパーと連絡方法があることを気取られるだけでも問題よ」
「心配せずとも、もう気取られていますよ。ウィスパー、聞いているでしょう? 入ってきなさい!」
アルフィリースが大きな声を出すと、扉ががちゃりと開いて滑るように女中が入って来た。その身のこなしは素早く、ミューゼははっとして自らの女中に対して身構えた。
「――ウィスパーね? いつから?」
「貴女が私のところに来た日からだ。しかし殿下本人すら気付かなかったのに、どうして気付いたのだ、アルフィリース?」
「――アルマス内部でも、あなたの存在は一部の人間を除いて秘匿されているわ。まして本体となると、アルマスの上位でも知っているかどうか。それだけ慎重なあなたが、直接ミューゼ殿下と交渉すること自体がおかしいのよ。ならば、何らかの方法でミューゼ殿下があなたの居場所を探り当てたと考える方が正しい。そんな相手をあなたが警戒しないわけがないわ。
そしてあなたの能力が私の想像通りなら――観察相手にもっとも近しい相手を操作しようとするはず。いいえ、正確には目と耳を仕込んで、必要に応じて操作する。そんなところかしら? 乗っ取られた本人には自覚すらないから、誰も気付きようがないわ」
アルフィリースの言葉を受けて、女中の姿をしたウィスパーが座ったままのアルフィリースをじろりと見下ろした。
「――正解は語らないでおこう。だがおおよそ想像している通りだ」
「一つだけ聞きたいわ。技術なの? 生まれつきなの?」
「両方だが、他人は誰も真似ができない。教えるつもりもないしな」
「わかったわ。話は聞いていたわね、受けてくださる?」
「内容と条件次第だ」
ウィスパーが腕組みをしたが、アルフィリースはお茶を自らおかわりしながら話を続けた。
「私の助手として、ある場所に帯同してもらいます。期間は最低一年、最長二年。報酬は五百万ペンド」
「ご、ごひゃ――」
「随分と張ったな。払えるのか?」
貴族でもすぐには出せない金額に、ミューゼも息を呑みかけたが、アルフィリースは平然と言い放った。
「部下が大儲けしてね、前借りしたわ」
「実は私は金にはあまり興味がない。アルマスの年間の売り上げを?」
「数十億ペンドかしら?」
「まぁそんなものだ。ゆえに、お前が用意する金など意味がない。だが下準備のための資金としては必要だろうな。あとは内容と私の興味次第だ。何をすればいい?」
「その技術を使って、人を見極めてほしい。結果として、アルマスは金では買えないものを手に入れることになるかも」
「? どういうことだ?」
「待って! その内容、私は聴かない方がよいのでは――」
「駄目です、聞いていただきます。ミューゼ殿下には是が非でも私の仲間になってもらわないと困るので。そのためには秘密と陰謀を共有してもらいますよ?」
アルフィリースがにこりと妖艶に微笑み、ミューゼは蠱惑的なその微笑みを見て、初めてアルフィリースを恐ろしいと思った。アルドリュースは時に遠い目をすることはあったが、こんな微笑み方はしなかった。ミューゼはアルドリュースを逃してしまったが、アルフィリースからは逆に逃げられないことを悟ったのだった。
続く
次回投稿は、3/23(火)7:00です。