戦争と平和、その678~大陸平和会議十二日目夜⑪~
本日呪印の女剣士第二巻、発売です!
「貴女は淑女として、王女としてアルドリュースに教育を受けた。当然、その中には魔術に関する指導も含まれていたはず。魔術というものは火を灯したり、氷を作ったり、日常生活に役立つ便利な魔術から敵対する者を駆逐するものまで様々で、多くは特殊な訓練を受けないと使えないと思われているけど、実際は違う。
女は化粧をしたりあるいは着飾り、男は体を鍛え異性の注意を惹く。それらもまた限定的ではあるけど、魔術に近しい性質を持っている。商店でも同じ。売れる、売れないは商品の並びを変えるだけでも変わってくる。それらもいわば魔術的な行いの初歩で、儀式として突き詰めていけば魔術としての性質を備えることもある。魔力に乏しい貴女は、そういった魔術の指導を中心に受けた。そして人心掌握に利用して――」
「もういいわ」
ミューゼがふぅっとため息をついた。そして手を払うようにして、アルフィリースの会話を遮ったのだ。
「あなたの言う通りだわ。為政者として役に立つと言われ、私はアルドリュースにそれらの指導を受けた。既に魔術協会ではさほど見向きもされなくなった技術らしいけど、魔女は日常にいまだ用いている古い魔術だと。私はせいぜい、魅惑の魔女見習いといったところかしらね。
それで、何を言いに来たの? 夜半に私を論破しにきたわけじゃないでしょう? アルドリュースに師事した時間はあなたの方が長いわ。ネタが割れたのなら私の魔術は効かないでしょうし、少し前ならもっと強引な手段も取れたでしょうけど、貴女はこの統一武術大会で少々有名になり過ぎた。もう、私が何かできる範囲にあなたはいないわ。やはりハウゼンの元を最初に訪れていた時に、強引にでも魔術をかけておくのだったわ」
「やはり、あの時にも何かを仕掛けていたのね?」
「部屋に仕込んだもの、そして匂いや視覚、呪言でもあなたを縛ろうとしたわ。私の言葉の頭文字をとると、呪言が完成するように仕込んでいたのよ。でも駄目だった。アルドリュースにも言われたけど、私には魔術士としての才能はまったくないって。ただ、だからこそ鍛え甲斐があるとも言われたの。平凡で、ちょっと見目がよいだけの王の娘。それがどこまで素晴らしく育つのか、試してみたいと言われたわ」
「昔は大層なお転婆だったと伺いました」
「社交界に出る前はね。得意技は木登りで、趣味は庭の枝木や草花を折って回って庭師を泣かせること」
ミューゼの言い方に、アルフィリースはぷっと吹き出した。初めて飾らぬミューゼを見た気がして、親しみを感じたからだ。だがミューゼの方は、厳しい目つきでアルフィリースを睨みつけていた。
「本音ついでに言いますけどね、私はあなたが嫌いだわ。それも普通の嫌いではない、憎んでいると言ってもいい」
「――アルドリュースを独り占めしたから?」
アルフィリースの飾らぬ指摘に、ミューゼがかっと怒りの形相になった。
「ええ、そうよ! あの人は私と婚約してくれるとばかり思っていた。私の人生を華々しく劇的に彩っておきながら、突然その手を何の前触れもなく放したわ! 暗闇の人生の中、光を照らしてくれる相手を失くした私が、どれほど惨めで寂しい想いでその後を過ごしたか! 咲き誇った大輪の花に寄る者は多くて、人知れず枯れていくことも許されなかった。まさに壁の花となった私は、その後も咲き誇っているように見せなければならなかった。その根がどこにないとしてもね!」
「・・・心中お察しするとは言えません。私に貴女の気持ちはわからない」
「ええ、そうでしょうとも! わかられて、たまるものですか!」
「ですが、いくつか貴女の知らないことを知っています。一つには、我らが師アルドリュースは自身のことを屑だと思っていました。利己的で、我欲にまみれた俗物だと――貴女に関することを聞いたことはありませんでしたが、かつて独り言のように呟いたことはあります。
手掛けた花があまりに見事に咲いたので、隣にいるのがいたたまれなくなったと。その資格はないし、傍にいることで自らも相手も腐ってしまうだろうと言っていました。何の事か、あるいは誰の事かはその時わかりませんでしたが、間違いなく貴女のことでしょう」
「――だからって」
ミューゼはまだ怒りの形相だったが、上気したその表情は怒りを通り越して寂しさで染まりつつあった。アルフィリースは努めて冷静に続けた。
「あの人は寂しい人でした。自己の感性も才能も決して人と相容れぬと知りながら、それでも人との交わりを欲したのです。欲したものは手に入れなければ気が済まない――普通はそんなことはできないのですが、彼はできてしまった。人身位を極めることも、人に羨まれるほどの美女の愛情も、武の才能も魔術の才能も。どれも一番ではなかったかもしれないけど、頂点からの風景が見えてしまう。だからこそ、決して手に入らないものを求めて彷徨った。それもまたきっと手に入れられてしまうのだろうという、絶望に苛まされながら」
「・・・それは、他人が聞いたら唾を吐きかけたくなるでしょうね」
「はい。私も小器用にはある程度のことをこなしますが、アルドリュースほどではありませんでした。彼は聞いたところで古竜すら口説き拝み倒しそれでもなお飽き足らず、おそらくはオーランゼブルの計画を阻害したのも面白半分、片手間程度だったのでしょう。はた迷惑な人です」
アルフィリースはグウェンドルフとノーティスから聞いた出来事を経て、アルドリュースという人物についてまた新たな側面を知った。いったい、どれほどこの大陸の歴史に関わっているのか。一人の人間が成しうることの範囲をどれほど超えても気が済まないのだから、きっと永久に安息というものに縁がなかったのだろうと想像する。比較的年若くして不治の病を得、そして亡くなったのはある意味では幸せだったのかもしれない。もしアルドリュースが長らく生きていれば、それはただ絶望が長引いただけかもしれなかった。あるいはは精神の拮抗を失い、悪しき者へと変貌していたかもしれない。
そしてアルドリュースのことをはた迷惑な人、と言い切ったアルフィリースを、ぽかんとした表情で見つめるミューゼ。アルフィリースはこほん、と一つ咳ばらいをしてミューゼの用意した茶を口にした。
「あ、それは――」
「知っています、幻惑されやすくなる香料と成分を含んでいますよね? それもアルドリュースが教えてくれました。私は使ったことがありませんし、最近までは興味もありませんでした。興味が出たのは傭兵団の団長になって、自分にあまり好意的でもない人と面会するようになってからです。私に好意を抱いている相手なら、話も速やかに進みますし、面倒事は減りますから。まだ使ったことはありませんが、必要なら使うことも辞さない覚悟はあります。それよりは疲労回復の香料を使っていますけどね。
そして淑女の手ほどきは、私にはまったく無効でした。アルドリュースも呆れるくらいの、お転婆っぷりでしたから。貴女の数倍は手がかかり、アルドリュースもある程度のことを形だけ教え、あとは匙を投げました。真竜の頭に登って鱗を引っぺがすような女は、アルドリュースにも躾けられなかったのでしょう」
その言葉に、ミューゼが顔を背けて笑い出した。必死にこらえてはいるが、腹を押さえているあたりかなり我慢しているので、もうひと押しすればミューゼが身をよじって笑う可能性もあったが、そこまでミューゼを追い込むのもどうかと思い、アルドリュースが自分を慌てて止めるような想像をしたアルフィリースは、ふっと笑ってそこまでにしておいた。
「ふふふ――やはり面白いわ、あなた。あなたのことを憎んでいると言ったけど、それは女としての私であって、アルドリュースのことがなければきっと良いお友達になりたいと思ったでしょうね。そして今この瞬間も、人間としても取引相手として、非常に面白いとは思っているわ」
「それはどうも――では本題に入りますね。私もアルマスと取引がしたいので、ウィスパーとの連絡方法を教えていただけますか? そして、アルマスとは縁を切って、私についてくれることをお願いしたいのですが、いかがでしょうか?」
アルフィリースがにこやかに、しかし視線は鋭いままで告げたので、思わずミューゼは手の中のカップを取り落としそうになるほど小刻みに震えてしまった。
続く
次回投稿は、3/21(日)7:00です。