戦争と平和、その676~大陸平和会議十二日目夜⑨~
「アレクサンドリアで一番怖い可能性は、ローマンズランドに占拠されつつ、ディオーレ一党がその求心力を失い、かつ私たちは何の恩恵も受けられない、ということよ。私の想像だと、今度の戦いで肝になるのはディオーレの存在。彼女の助力が必須になるわ」
「だがどうする? 助力して恩を売ろうにも、ディオーレ殿は性格的に受けないだろう。それに――今後のことを考えれば、そちらに割く戦力なんてのはないんじゃ・・・」
「だからオルルゥとの戦いで無茶をしたのよ。それに、駒は揃いつつあるわ」
「・・・ああ、なるほど。それならお前の考えていることも現実味を帯び始めるな。なら俺の役割は――か?」
「さすが理解が早くて助かるわ」
アルフィリースが微笑んだのを見て、ラインは長く息を吐いた。
「恐ろしい女になったな、お前。一瞬彼女に似ているかと思ったこともあったが、全然別物だよ」
「当然でしょ? それって褒めてるの?」
「ああ、褒めてるさ」
「ならいいわ・・・って」
ラインが汗を拭きながら、肌着を取り換え始めた。当然上半身は裸だ。
「ちょっと、遠慮しなさいよ!」
「傭兵やっててこのくらいで動揺するなっての」
「戦場とそれ以外は違うわよ!」
「意識させるな、馬鹿! こっちまで恥ずかしくなるだろうが!」
「こっちに来るなぁ! 襲ったら叫ぶわよ!」
「やらねぇよ!」
アルフィリースは、新しいタオルをラインの顔面に投げつけながら部屋を去る。去り際、足を止めてラインを叱咤激励した。
「明日、勝ちなさい。全てはそれからだわ」
「ああ、大丈夫だ。俄然やる気になってきた。ありがとよ」
「――そういえば、礼を言われたのは初めてかしらね」
「そうだったか?」
アルフィリースはラインの返事を待たずにその場をあとにしたが、ラインはその姿がなくなってから一人で呟いていた。
「――いつも感謝しているさ。今の俺には前と違って、生き甲斐と目標ができたからな。過去と決別するなら今――その機会をくれたお前には感謝しているさ。だけどな、お前の決断は苛烈だ。幾人もの仲間がお前のために、あるいはお前のせいで死んで――きっとお前は恨まれるようになる。その時のための俺やリサ、そして仲間なんだ・・・潰れてくれるなよ、彼女のようにはな。あんな死に方はもうたくさんだ――」
ラインは気を取り直すと、人目につかぬように部屋に戻り静かに瞑想を始めた。一つの戦いをここまで心待ちに、そして集中して迎えるのはいつ以来だろうかと、心高鳴る自分に自然と口の端が上がるのだった。
***
「アルフィリース、こんな夜更けに外出ですか?」
エクラが傭兵団の外に向かうアルフィリースを見つけ、声をかけた。そのエクラは夜更けにも関わらず書類の山を抱え、汗をかいて働いていた。
「ええ、ちょっとね」
「――気分転換ではなさそうですね」
エクラがアルフィリースの様子を一瞥しただけで見抜いていた。アルフィリースはちょっと驚きながら、エクラに応えた。
「どうしてそう思うの?」
「貴女の考えを全て読み当てることは私にも不可能ですが、顔には出やすいのですよ。仕事の上でそれが表にでることはありませんが、傭兵団内では気が緩んでいるようです。注意してください」
「・・・団内でも? なんで?」
「急激に人員が増えすぎました。今まではリサやヴェンに頼んである程度の素性を洗っていましたが、もう追いつきそうもありません。各国の間諜も傭兵のふりをして多く入り込んでいることでしょう。ご存じだとは思いますが、貴女は十分に注目される立場となったのです。どこに貴女の弱みを握ろうとする輩がいるのかもしれないのですから、できることなら私すらも信用しないくらいでいていただけるとありがたいのですが」
「うーん、それは無理だなぁ」
「ちょっと。そこでずぼらなのはやめていただけますか?」
「ちがうちがう、エクラを信用しないなんてのが無理って話だよ」
アルフィリースがすっきりと言い放ったので、エクラは顔を赤らめ危うく書類を落とすところだった。
「な、なな、何をいきなり!」
「だってこんな夜遅くまで傭兵団の宴にも参加せず、新規入団者の住宅手配、生活のための依頼処理、新しい傭兵団の當舎の申請を続ける有能で献身的な仲間だよ? 信頼するなってのが無理だよ。エクラが裏切るなら、私の運命もそこまでかなぁ」
「むむ・・・信頼はありがたいのですが、私が魔術で操られる可能性だってあるわけで・・・」
エクラの懸念はもっともだったが、アルフィリースはその心配はないとばかりに手を横に振ってその可能性を否定した。
「ああ、それはないない」
「だからどうしてそう言い切れるのです?」
「エクラの身の回りにあった魔術的な品は、もう私が処分しておいたよ。呪いや洗脳の類もあったから、しっかり呪い返しを含めてね。今頃自分の呪詛で苦しんでるんじゃない? 団内にいる人なら、ひっそりとルナティカに処分されるよ」
「こ、怖いことを言わないでください! それに、えと、呪いの品ですって? いつから・・・」
「差し入れや、調度品の入れ替えにこっそり紛れませたんだろうね。魔術を使う黒髪の私よりも、エクラの方がその点隙だらけに見えるもんね。私が敵なら、たしかにエクラを狙うかな」
「う、うう~」
逆に隙を指摘されたエクラが唸る。アルフィリースはからからと笑ってエクラを宥めた。
「だーいじょうぶだって! 異変があったら私が気付くから」
「なんと情けない・・・それにしてもよく気付きましたね。私だって魔術的な素因や呪具の類の知識はある程度あるのに」
「宰相の娘なら当然かしらね。でも今の私は結構鋭いよ? 今の私とラーナの眼をかいくぐるのは、ちょっと無理かなぁ」
アルフィリースの瞳がきらりと光り、その怪しさにエクラがぞくりとするとアルフィリースは外に足を向けた。
「どちらに?」
「内緒」
「共はつけない?」
「予防線は念のため張っているけどね。一人で向かいたいわ。心配しなくてもそんなに時間はかけないから」
「わかりました、その表情の時の貴女はぬかりありませんからね。私が関与すべきことなら、また指示をください」
それだけ告げてエクラは足早に執務室に消えていった。アルフィリースはちょっと呆気にとられながら、くすりと笑う。
「まったく、信用されているんだかそうでもないんだか。でも、私の補佐ができるのは結局エクラしかいないんだろうなぁ」
アルフィリースは一人ごちるとそのまま傭兵団の敷地から出て、諸侯が泊まる宿泊施設の群へと足を向けた。
続く
次回投稿は、3/17(水)7:00です。