戦争と平和、その666~統一武術大会準決勝⑧~
「雨は嫌いだと思っていたわ。最初に一人ぼっちだった頃の記憶が雨だから。親に捨てられたと知ったのは雨の日なら、拾われたのも雨の日。それから、雨の日の度に仲間が死んだ。でも、私の人生が好転するのはいつも雨の日だった」
「・・・急に自分語り? 悦に入っているのかしら」
「悦に入りたくもなるわ、私はただの孤児だった。ほんの一年ちょっと前まで、浮浪者として身をひさぐか、野垂れ死ぬかの未来しかなかったのに、イェーガーに来て人生が変わった。学問はちょっと苦手だけど、読み書きも教えてもらえて、剣を覚えてこんな場所に立って仲間や観衆の歓声を受けて戦っている。これが幸せでなくてなんだと言うの? 神も精霊も運命も信じないけど、私は自分の努力を信じている。そして努力して得た幸せに感謝する謙虚さもわかるようになってきた。今日の私は強いわ、そう信じてもよい気分になってきたの」
エルシアはすっと刺突剣を構える。その構えを見た瞬間、電撃が走ったようにリリアムの警戒心が上がった。
「(この娘――いつの間にこんな構えを! ターラムではこんなに完成された構えではなかったはずなのに!)」
「私の踏み台になってもらうわ、リリアム。少なくとも、今日はね」
「始め!」
エルシアの構えの危険性とアルベルトの掛け声に反応するように、リリアムが構えを取った。剣を正眼に構えるのではなく、幅広の部分を正面に回し上から下に剣を向け、腕を添えるようにした防御重視の構え。
攻撃特化ではなく、試合を一瞬で終わらせないために突きから急所を守る姿勢。木剣で致命傷になることは滅多にないが、リリアムをして死を連想させるだけの威圧感をエルシアが放ったのだ。
だがリリアムの予想と違い、エルシアはいきなりは打ち込んでこなかった。その一瞬の間を不思議に思った瞬間、リリアムの風船が全て弾け飛んだ。
「・・・は?」
「隙あり!」
理解不能の事態に驚くリリアムに、エルシアが猛然と襲い掛かった。エルシアの攻撃は単純、目の前に構えた刺突剣を突き、引く。ただそれだけだった。
異常なのはその速度と精度。構えたエルシアが突然巨大になったのかと錯覚するほどの予備動作のなさ。そしてエルシアの刺突剣がしなる。木製の剣がしなるとはリリアムにも予想外。よほど素材に気を遣って作ったのだろうが、雨を吸ってなおしなるとは想定していなかった。
「(加えて、狙いが読めない! まだ急所を狙ってくれれば、いなすなり受けるなりもできるでしょうけど、まったく狙いどころがわからない! 強引に間合いを詰めようにも、この速度じゃあ詰め切るまでに10発はくらう! この勢いで目や喉に当たれば、いくら木製でも致命傷だわ! そしてあの目――)」
狙いを読まれないようにあえて視線をぼんやりとさせているエルシアだが、その鋭さは一向に失われていない。前に出たら殺されかねない。そう考えさせるだけの威圧感をリリアムに与えていた。
「(ターラムでの戦いからどれほど経ったというの? スキニースを倒したあの子とは別人だわ! 風船を割った方法も不明だけど、割れてから5呼吸は経ったわ。守りの構えをとったのは失敗だった・・・一度仕切り直しね)」
リリアムが一度距離を取るべく飛んで後退する。その時リリアムにはヤオが滑って転んだ敗退の様子が脳裏に浮かんで青ざめたが、同じ事態は幸いにして起こらなかった。
代わりに、エルシアが手を振り上げるような動作で木製の球を複数投げてきた。
「どこを狙って――?」
それらは腹よりも下の軌道で飛んできている。親指程度の大きさしかない球では、当たっても何も効果はないだろうとリリアムは不思議がった。
だが球同士が空中で触れると、その軌道が突然変化してリリアムの顔面めがけて襲い掛かったのだ。そのうちの一つがリリアムの右目を直撃する。
「うあっ!?」
リリアムが驚き仰け反るが、潰されたわけではない。一瞬エルシアから目を離したが、すぐに左目でエルシアの姿を捉える。そのエルシアは、今度は左腕を振り下ろす動作をしたところだった。
「今度は何!?」
と思った瞬間、足元の水が撥ねて左目の視界が奪われた。視界の塞がったリリアムに対しエルシアが猛然と前に出る。その気配を感じてリリアムが内心で喜んだ。
「(ありがたいわ。目隠ししての闘技はやったことがあるけど、自分が動くとわかりにくいのよ。来てくれるならこれほど楽なことはない!)」
リリアムが一撃で仕留めるべく、迎撃の構えを取った。空中に投げた果物を一瞬で五回以上斬ることのできる自分の斬撃。木製であってもその速度が衰えることはない。
だがリリアムの剣は空を切った。最後に踏み込んできた足音を頼りに繰り出したのだが、それはまたしてもエルシアの木製の球だったのだ。
そしてリリアムの切っ先が空を切ったのをみて、エルシアが高速の連続付きを繰り出した。その数、実に11。その全てがリリアムの急所を捉えていた。
「ぐぅあっ!?」
膝にまで一撃をいれられ、たたらを踏んだリリアム。足取りに力がなくなり、その場に膝をついた。場外に突きだそうとしたエルシアだったが、それは止めておいた。リリアムにまだ反撃の手段がある可能性があったし、これが真剣での戦いだったらどうなったかは明白なのだ。
「――私の勝ちのようね」
「勝者、エルシア!」
エルシアが剣を目の前で構え直すと同時に、30カウントが経過していた。祈りにも似たその構えをエルシアが意図としたわけではないが、アルベルトの勝利者宣言とともに一枚絵のようにその姿は鮮烈に観衆に記憶されたのだった。
続く
次回投稿は、2/25(木)9:00です。