ジェイクの新しい生活、その8~貴族の悩み~
***
「リンダ様、お飲み物は何になさいますか?」
「ハーブティーはこの時期だと、アルメシアといったところかしら」
「他にルルカ、ミダゾラン。変わり種ではククスのハーブティーなどもございますぞ」
「まあ、ククスの? それは試した事がないわ。お願いできるかしら?」
「かしこまりました。お嬢様にも、リンダ様とジェイク様が来ている事を告げてまいりますので」
デュートヒルデの執事であるバーノンが優雅に礼をして出て行く。客間に通された2人は並んでソファーに腰掛けていたが、ジェイクは全く落ち着かなかった。天井は巨人のためにしつらえたのかと言うほど高く、部屋は以前ミーシアでジェイク達が住んでいた家よりも広いだろう。調度品もジェイクにすら一目でわかるほど高い物ばかりである。うっかり割ったりしたら、一生ものの弁償になるかもしれない。あのタペストリー一つでいったいパンがいくつ買えるだろうか、などとジェイクは想像していたのだ。
そのきょろきょろするジェイクを、リンダが窘める。
「ジェイクさん、そうきょろきょろするものではありませんわ。失礼になりますわよ」
「だってさあ。こんな広い部屋に入ったことないから」
「そこまで広いわけではありませんわ。私も実家に帰れば、この倍ほどの広さの部屋が私室になります。私は侯爵家、デュートヒルデは公爵家ですから、彼女の場合、この屋敷くらいの広さがちょうど自分が自宅に持っている空間と同じくらいだと言っておりましたわ。デュートヒルデの父上が、実家にいる時とあまり変わりがないようにと作ったとか」
「うへえっ!」
信じられない言葉がリンダの口から滔々(とうとう)と出てくるので、思わずジェイクは後ろにひっくり返りそうになった。世の中は理不尽なのだなと、ジェイクは今さらながらに感じていた。彼女達に比べれば、ミーシアの豪商の家などかわいいものだと思ってしまう。
ジェイクはあまりに落ち着かないので、立って調度品を見て回っていた。その中で綺麗な杯を見つけたので手にとって眺めていると、リンダが「それ一つで普通の家が買えますわ」と言ったので、ジェイクは震える手でその杯を元に戻す。そうこうするうちに、バーノンがハーブティーを持って戻ってきた。
「お待たせいたしました。ククスのハーブティーでございます」
2人は鼻をくすぐる甘い匂いに誘われ、差し出されるがままにそのハーブティーを飲んだ。
「うまい!」
「ええ、この香り、嫌みのない味。これはいい逸品ですね。お茶の入れ方が相変わらずバーノンさんはお上手ですわ。うちの執事にも見習わせたいくらい」
「お褒めに預かり、光栄でございます」
バーノンが丁寧に礼をする。だが本当にこのハーブティーは美味しかったので、ジェイクは夢中で飲んでいる。その姿が礼儀とはかけ離れていたので、バーノンは少し困ったような顔をし、リンダは少し呆れていた。
「ジェイクさん」
「?」
「そのティーカップ、一つで豪邸が立つ品物でしてよ」
「ブー!」
ジェイクが思わずハーブティを噴き出し、むせ返る。その姿が余程可笑しかったのか、リンダは頭につけた紺のリボンを揺らしながら笑っていた。
「冗談、冗談ですわ、ジェイクさん」
「ひ、人が悪いぞ!」
「だって、あまりにも音を立てるのに遠慮なく飲むものですから、つい」
「く、くそう」
「ふふふ、仕方ありませんな」
ジェイクが噴き出したハーブティーが絨毯のシミにならないように拭き取って行く。
「それで、くるく・・・デュートヒルデは4日間も熱を?」
ジェイクがむせたのをなんとか押さえながら、バーノンに質問する。
「はい。雨の中歩いたのが体に良くなかったようで、すっかり体調を壊されてしまいました。医者の見立てではただの風邪だろうとのことでしたが、なにせお薬もお食事も欲しくないと言われて、召し上がらない状態でして」
「それは・・・」
黙りこくる2人を見てバーノンは何か察したのか、バーノンの方から質問する。
「つかぬ事をお伺いしますが、何かお嬢様にあったのでしょうか? どうもこの頃、御様子がおかしかったもので。よろしければこの爺めに、教えていただけないでしょうか」
「実は・・・」
ジェイクは学園であった事をありのまま話した。デュートヒルデが平民を差別している中心人物だと言う事、自分も差別され反撃に出た事。ジェイクはバーノンを信頼できる人物と判断して、一連の流れを包み隠さず話した。その話をバーノンはただ黙ってじっと聞いている。
「・・・と、いうわけです」
「なるほど・・・本当はリヒテンシュタイン家に仕える執事としては、こういった事を言うべきではないでしょうが、確かにお嬢様に非がありますな」
バーノンの言葉に、2人が驚く。
「そんなことを申してもよろしいのですか?」
リンダがおそるおそる尋ねる。するとバーノンは口ひげをさすりながら、気まり悪そうに答えた。
「いえ、もちろんお嬢様の教育係を任されておる私の責任であることは申し上げておきましょう。実は私と、お嬢様の祖父とはグローリアの同級生でしてな」
バーノンがやや遠い目をした。
「おじい様、フェラルド様と私は親友でした。私はそれこそ平民の出身で、当時は侯爵でしたが名門貴族であったフェラルド様とは、最初折り合いが悪かった。それこそお二方が話したお嬢様のように、彼は非常に差別意識の強い方でしてな。当時は貴族と平民が真っ二つに分かれて対立するような事態になっていました。私としても、誰がこんな高慢ちきな男と友達になるかと思いました」
「それで、どうなったんです?」
ジェイクが興味深げに尋ねる。バーノンの話が参考になるかもしれないと思ったからだ。
「3年生になった時でしたか。野外で演習がありましてな。そこで我々は野良犬の群れに襲われました。我々は訳もわからぬまま、その辺の木の切れ端などを武器にして戦い、気がつけば背を合わせて戦っていたのはフェラルド様だったのです。不思議な事に、あれほど普段はいがみ合っていたのに、戦いの時は我々は息がぴったりだった。争っていたからこそ、お互いの事を良く見ていたのかもしれません」
「・・・」
「それからですな、互いに良く話すようになったのは。これが話してみると、意外にフェラルド様は気さくな方で。学校では無理をしているのだなということが良く分かりました。貴族の世界という者は、我々平民が思っている以上に様々な圧力にさらされます。実際にフェラルド様も社交界のみならず、この学校に通っている時でさえ、3度刺客に命を狙われています」
ジェイクははっとした。要人が地元を離れ、こういった学園に通うことはそれだけで危険がある。ジェイクの様な平民には、全く想像できないことだったが、言われればその通りだ。だからこそミリアザールも、うかうかとアルネリアの外には出ないわけだ。
後で聞いた話では、ミリアザールがジェイク達を連れて帰るまでの道程で、5度、危険な場面があったらしい。ミリアザールがしょっちゅう行うあのお忍びは、自由にならないストレス解消の方法かとも思ってしまう。
なおもバーノンは続けた。
「学園の寄宿舎は人の出入りが多く、全員の確認は不可能。刺客は子どもにもいますからな」
「それはわかります。だからこそ我々はこうして別荘を建て、警護に守られているのですから」
リンダが答えた。ジェイクも思っていたが、リンダの御者は帯刀していた。物腰や仕草からも、只者ではなさそうだなと、ジェイクはふと思ったのである。
「そのような脅威に日常的にさらされ、心を開く相手が見つからないのです。誰を信用して良いのか、誰は自分を利用しようとしないのか、そういった猜疑心ばかりが先にたってしまう。フェラルド様もおっしゃっていました。おいたわしい事です」
バーノンがそっと目がしらを拭う。確かに、その可能性をジェイクは考えていなかった。だがそうだとしても、やはりデュートヒルデのやったことが正しいとはジェイクには思えないのだ。どうするのが最もよいのか。ジェイクは決めかねていた。
そのジェイクの真剣に悩む様子を見て、バーノンが優しい目をする。
「お嬢様に会われますか?」
「うん・・・そうだな。やっぱり会った方がいいと思う」
ジェイクは頷いた。
「俺は悪い事はやっぱり悪いと思うし、デュートヒルデにどんな事情があっても、ネリィにしたことは悪いと思う。だけど、デュートヒルデの気持ちもわからないでもないんだ。だから、せめて俺達はお前の味方だぞって、言ってやりたい」
「そうですか・・・ありがたいことです。お嬢様は良い級友を持たれた」
バーノンが暖かい目でジェイクとリンダを見た。
「それでは、お嬢様がお2人に会われるかどうか聞いてきましょう」
「ああ、俺も部屋の前まで一緒に行くよ。いいかな?」
「私も参ります」
「わかりました。では御一緒に」
そうして3人はデュートヒルデの部屋に向かうのだった。
続く
次回投稿は、5/14(土)12:00です。