戦争と平和、その638~大陸平和会議十一日目朝③~
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「しかしテトラスティンよ、よかったのかい?」
「何がだ?」
「ミリアザールに会わなかったことだよ」
「ああ」
シェバとテトラスティンは、長距離転移の魔法陣を描きながら雑談をしていた。テトラスティンはミリアザールへの面会を口にしたが、何事かと思い直して辞めたようだった。
「あいつがこれほどの事態において、口すら出してきた様子がない。おそらくは出したくても出せない状況だ」
「病かね?」
「違うね。2回程私にも覚えがあるが、予定より早かったということだ」
「?」
「平和会議が終わる頃になれば嫌でもわかることだ。それよりも、俺たちにはやることがある・・・これでよかろう」
「もうできたのかい?」
シェバは驚きを隠せない。長距離転移用の魔法陣など、完全に構成を覚えていても描くのに数日かかる。わずかなずれが、着地点では数百歩分のずれになるからだ。平らな石畳の上に描くのならまだしも、少し魔術でならした程度の地面にこれほど素早く描けるのは才能の領域を超えていた。
テトラスティンは平然と言い放った。
「別段驚くほどのことはない。隠し部屋の魔法陣に対応する構成を再現するだけだ。魔力を節約するために少々いじりはしたがな」
「・・・あんたの能力でも半日がかりだと思っていたよ」
「昨日までの私ならそうだな。変化があったのさ」
「まさか、遺跡かい?」
「そうだ。お前も感じているはずだ。遺跡というものは人間を変える。その原理まではわからぬが、関わった者に変化をもたらすのだ。それが良い変化とは限らないだろうが、意識せずとも影響は現れる。私が遺跡の影響を受けるのは2度目だ。平凡な私でも、多少優秀になるさ」
「多少どころか、今じゃあんたに微塵も適う気がしないさね。オリュンパスの連中でさえ、今ならなんとでもなるんじゃないのかい?」
「ラ・フォーゼは化け物だ。いや、化け物になったのだな。さすがの私もあれを独力でどうこうできるとは思わない。ただ、誤魔化すくらいはできそうだな」
よく言うよ、とシェバは心の中で呟いた。遺跡で何があったかを話はしないが、まるで別人のような魔力を漂わせるテトラスティンを見て、シェバは正直畏れていた。リシーもテトラスティンの変化を感じ取っているのか、普段より距離を置いているように見える。
そして転移魔術をテトラスティンが起動させると、魔術協会内の一室に彼らはいた。協会内といっても、魔術協会内部は転移魔術を全て妨害しうるので、地下で協会から通じている場所の一つ、ということになる。
明り取りの窓も一つもない殺風景な部屋だったが、テトラスティンが炎の鳥を何匹か掌で創って飛び立たせ、燭台に明かりを灯していた。
「特に誰かが入った形跡もなし、か。つまらんな。私の弱みくらい徹底的に握っておけばよいものを」
「あんたの弱みを握るなんて、恐ろしくってできないさね。今の協会員なら皆例外なくそう思っているだろうよ」
「アルドリュースは堂々と私の弱みを握ろうとしたぞ?」
「異端児の坊やかい? 殺してほしかったんじゃないのかね?」
「そんなタマじゃなかったさ。それよりいいのか、弟子を置いてきて?」
「ふん、老い先短いババアの一世一代の賭けに若者を付き合わせるわけにはいかないさ。若者は若者どうし、手を取り合って歩いてほしいねぇ」
「私からすればお前も十分若者だ」
「冗談は上手くなったじゃないのさ」
笑いながら2人はテトラスティンのもう一つの隠し部屋に向かい、リシーは静かにその後ろをついてきた。だが部屋に入るために扉に手をかけようとして、リシーが突然前に出た。
その手には既に短剣が握られている。
「お待ちを。中に人の気配が」
「気づいている。入るぞ、フーミルネ」
テトラスティンは見もせずに中にいる人物に声をかけると、堂々と部屋に入った。中には、中央の椅子に項垂れるようにして腰かける中年の男がいた。暗黒魔術派閥頂点で、現協会長のフーミルネである。
その手には一冊の本があった。
「こちらは見つけていたか」
「・・・私にとって、貴方は尊敬する相手であると同時に畏怖の対象だった。協会長を辞めながら、後始末は碌にしていなかった様子。その遺産なるものを読み解こうとするのは当然の流れだ」
「そうか。そう考えた奴が何人いたかは問題だがな」
「私の他には、マリーゴールドとその他数名くらいだろう。だが今、後悔している最中だ。これは何だ?」
フーミルネは手に持っていた本をテトラスティンに突き出した。無地の黒い表紙に、何ら装飾の施されていない簡素な本。それを持つフーミルネの手がわずかに振るえているようにシェバには見えた。
続く
次回投稿は、12/29(火)13:00です。