戦争と平和、その620~解ける封印㊵~
「よぅ、アルフィリース。俺っちの知恵と力が必要かい?」
「パンドラ? 今は忙しいわ、貸せるものがあるならなんだって寄越して!」
「そうかいそうかい、まぁあんたが持っている力を行使するだけなんだがね。正確には権利を行使する、かな?」
「? 何のこと?」
「あんたは既に契約している。ただ、向こうが力を示すことを躊躇っているだけだ。俺っち以上のちゃらんぽらんに見えて、自制心の強い奴だからなぁ。自らの力を振るうことを恐れているのさ。だが必要なら、あんたが直接交渉するんだ。遺跡の力を、そしてその中に何があるかを知った今なら、あいつも交渉の場くらいにはついてくれるだろうさ。場は俺が容易してやる」
耳飾りに変化したパンドラがちりん、と鳴るとアルフィリースは突然暗闇の中に放り出されたような感覚に襲われた。そしてその先に、一人の男性が立っている。それが誰なのか、アルフィリースにはすぐわかった。
「・・・レメゲートね?」
「わかりますか」
「そりゃあね。いつの間に私はあなたと契約したのかしら?」
アルフィリースはここが実際の空間でないことを体感していた。おそらく、外の時間は止まっている。ここはアルフィリースとレメゲートだけが存在している場所なのだ。あるいはパンドラの中なのかもしれないとアルフィリースは感じていた。
レメゲートは所在なさそうな、そして申し訳なさそうな表情でその場に跪いた。
「最初から出会うべくして出会ったのでしょう。なのに私は貴女の元から姿を眩ませました。まずはその非礼をお詫びしたく」
「ちょ、ちょっと! 堅苦しいのはなし! 私は誰かに跪かれるような人間じゃないってば」
「いずれ私と言わず、多くの者が自然と膝を折るようになりましょう。そのことに慣れていただかなくては」
「うーん、王様になれとでも? なんか嫌だなぁ」
心底嫌そうなアルフィリースを見て、レメゲートはくすりと笑った。自らの主たる資格をもつ人間がこのような人となりでよかったと思う。
「いずれそうなります、私を振るう者は常に王のみ。様々な形の王がありますが、どのような王になるかは貴女次第。ただ、人の世にあるような王にはならないでしょうね」
「王、ね。そりゃあなたを自在に振るえばそうなるでしょうね」
「私の力がわかりますか?」
「危険性もね。元から少し知ってはいたのよ。あなた、インパルスと外で会っていたでしょう?」
「これは――」
まさか監視がついているとは思っていなかったのか、思わぬアルフィリースの抜け目のなさにレメゲートが苦笑する。
「インパルスの動向はエメラルドが気付いていたのよ。あの子の本質は狩人よ? 普段はのんびりしているけど、魔剣たるインパルスの去就や行動に配慮できないほど抜けてはいないわ。それに傭兵団にも他国の密偵や、他の傭兵団のスパイのような者が多くてね。少しでも怪しげな傭兵がいれば、全て報告が上がってリストアップされているのよ」
「なるほど――やはり完全に人間のふりは無理だったと。あえて泳がせてもらっていたのですね?」
「私の身近から消えた魔剣の去就を気にしないわけがないけど、悪いことをしている様子でもなかったしね。意志ある相手なんだから、害がなければ好きにさせるつもりだったわ。一つわからないのは、人間の姿を取れるのならどうしてあなたが私と直接話をせずに、姿を消したのかね」
「御子とは――相容れない存在ですから」
レメゲートの言葉に、アルフィリースがぴくりと反応する。
「私の能力には気付いているでしょう?」
「魔剣の王――いえ、マナの制御かしらね。ひょっとして、遺跡にも関与している?」
「ええ。私は遺跡全てに通じる鍵のようなものです。遺跡の能力を封印、解放すると同時に、制御することもできる。そして非常機能として、遺跡由来の何かが暴走した際には、マナを制御してそれらに対する対抗手段を取ることもできる」
「それは――」
「ええ、人造の御子に近い能力です。本能で御子は私を忌避するでしょうし、私がいることで御子そのものにも影響が出る可能性があった。御子と対になりうる私を振るうのが、御子を宿す者とは何とも皮肉なものです。普通なら、貴女は私を握る資格すらない。それどころか、御子に取り込まれる可能性すらあった」
「御子に取り込まれる――そう、やはりそうなの」
アルフィリースの言葉は沈んでいた。あるいはその可能性を予期していたのかもしれない。
「最近影――ポルスカヤと話すようになってわかったことだけど、最初に人を殺した時――魔術の暴走は影のものではなかったそうよ。御子と皆が呼ぶ存在は、詳しくを私に語ってくれないわ。あるいは語れないのかもしれない。
そうなると、最初に私の身を守るために力を発動させたのは誰か。答えはおのずと決まるわ」
「ええ、御子が自衛のために力の一端を解放した結果でしょう。御子に選ばれた者は徐々にその人格を書き換えられ、成人前後で御子そのものになります。あるいは御子のもたらす膨大な知識と力に、普通の人間は耐えられない。御子とはシステム。自然の代行者としてマナを自在に行使し、必要に応じて大陸の害となるものを排除する。それが魔物のこともあれば、人間のこともあるでしょう。
御子に選ばれるかどうかは全くの偶然。ただ御子に選ばれた者は幼くしてその力の一部を行使するため、多くは疎まれ敵視され、成人までに殺されてしまうことが多い。御子の素体となる者が死ねば、御子は次の新しい生命に宿る。それが人間のこともあれば、違うことも。だがおおよそ、御子に選ばれた者が育つことはない。御子は常に大陸のどこかに存在しながら、その力を振るえるように成長することはせいぜい数十年に一度程度だった」
「人間が大陸の覇者になってからは、もっとその周期が長かったのでは?」
アルフィリースの推論をレメゲートは肯定した。
「ええ、ここ200年前後はまともな御子が顕現したことはないはず」
「私は成人したけど、まだ顕現していないわ」
「それは――特例としか言いようがありません。私も初めて見る事例。それがポルスカヤのせいなのかはわかりませんが、まだ御子は充分に顕現していない。あるいはアルフィリース、十分に顕現する用意を整えながらも、貴女が耐えているのか。
一つ確定的なのは、御子そのものも迷っているということ。このまま貴女の人格を消してしまうのがいいのか、共存すべきなのか。ゆえに導師もアースガルを除いて活動を停止した。どうすればいいのか、わからないから」
「――導師は御子の信者なのね?」
「ええ、御子が人間を殲滅することを望めば、彼らは迷わずそうするでしょう。彼らは人間だった者もいるが、多くはそのことすら忘れてしまっている。だからオーランゼブルにも協力するが――今は悩んでいるようだ」
「なるほど、事情は理解したわ」
その時、二人がいる闇の中がゴゴゴ、と揺れた。どうやら空間が維持できなくなるらしい。
「もっとゆっくり話していたいけど、今は目の前の問題を片付けなくては。パンドラの能力にも限界がありそうよ。私はあなたを振るう資格があるのかしら?」
「限定的には。ウッコの存在は遺跡にしても明らかな異常事態です。条約67の3項に抵触しています。私を振るうことになんら問題はない」
「67も条約がるの? 面倒くさそうね、あなたを振るうのは」
「条約は全部で数百はありますよ。それだけ力を持っているので」
レメゲートが笑うと、彼は剣に変形した。その柄をアルフィリースはしっかりとつかむ。
続く
次回投稿は、11/23(月)14:00です。