ジェイクの新しい生活、その3~怒り~
「これ・・・」
「・・・なんだこりゃ、破れているじゃないか」
ジェイクが見た所、バッグは一部が破れ、手下げの部分は片方が取れていた。だがどう見ても自然に取れたものではない。明らかに誰かが悪意を持ってやったのだ。
「誰にやられたんだ?」
「・・・わからない」
「わからないってことはないだろう」
ジェイクが少しイラついたように言う。だがロッテは首を横に振るだけだった。
「本当は知っているけど、言ってはだめなの。だって私はここに特別措置で通う身分の生徒だし、問題を起こしたらすぐに退学にされちゃう」
特別措置というのは、学園に通う時に学資を免除してもらう代わりに、卒業後はアルネリア教会のために一定年月を奉仕するという制度である。庶民はこの制度を用いてグローリア学園に通うものが多い。むしろ女性はまともに就く職業も選べない時代であり、女性ならば願ったりかなったりの制度である。学校に通う事自体が不可能に近かったのだ。ミランダが言うように、アルネリア教会のシスターが世の中で人気なのはこの制度のせいもある。
そしてロッテの態度に、犯人は貴族の誰かなのだろうと見当をつけるジェイク。元を辿れば、一番身分の高いデュートヒルデには違いないだろうが。
「なるほど、あいつらか」
「・・・何を考えてるの?」
ジェイクの剣幕に、ロッテが不安そうな顔をする。
「悪い事は悪い。そうあいつらに教えてやる」
「どうするの?」
「明日、全員の前で言ってやるさ。こんな陰険なことをするなんて、許せないだろ?」
「やめてよ!」
ロッテが大きな声で反論したので、ジェイクはちょっと驚いた。
「な、なんでだよ」
「そんなことしたらもっとひどくなるわ」
「やってみなくちゃわからないだろ?」
「私だって、ただ黙っていただけじゃないのよう」
ロッテがまためそめそと泣きだす。
「最初は反論したのよ。でも余計ひどくなるばかりで・・・黙ってさえいれば、思い出したようにこういうことされるだけだから」
「じゃあなんで今日は泣いてるんだよ」
ジェイクがロッテをなだめるように言う。
「だって、これは母さんが私が学園に通うためにって作ってくれたものだから」
「・・・なんだって?」
「ほら」
確かに、バッグの裏に「愛するロッテへ」と刺繍が入っている。
「だから母さんになんて言ったらいいかって。私が学園でこんな目に合っているって聞いたら、絶対に心配かけちゃうわ」
「・・・あったまきた」
ジェイクの瞳に怒りの炎がともる。もはや貴族とか庶民とかはジェイクには関係なかった。絶対に責任を追及してやると、ジェイクは心に決めたのだった。
「と、その前に」
「?」
「そのバッグを直さないとな」
ジェイクが自分の荷物から針と糸と布を取り出す。今日はたまたま自分の破けた衣服を学園の空き時間で縫い付けようと、裁縫道具一式を持ち込んでいたのだった。
「直せるの?」
「まあ裏から布地を充てることになるけど、色が違うから不細工だな。どうしようか・・・そうだ!」
ジェイクがパチンと指を鳴らし、ハサミを取り出す。
「このかばん、ちょっと切っていいか?」
「え、どうするの?」
「それはお楽しみだ!」
ジェイクはそういうと、ハサミで器用にバッグを切り始める。その様子を心配そうにロッテは見守っていたが、ややあってジェイクが完成させたバッグを見ると思わず声を上げた。
「かわいい!」
「リルカの花の形をにしてみたんだけどな・・・どうかな?」
ジェイクはかばんの破れた部分を花の形に切り抜き、その裏に布を当てたのだ。元のカバンがこげ茶色なので、明るい色の布地は花に見える。稚拙な出来かもしれなかったが、ロッテにはジェイクの気遣いが何より嬉しかった。
「あ、でもこの歳になってこれは幼稚かな・・・」
「ううん、嬉しい! 私リルカの花が大好きだし、大切にするね」
ロッテが自分のバッグを抱きしめるようにしていた。そのバッグをもう一度貸すようにロッテに促し、取っ手の部分を直し始めるジェイク。
「よし、もうすぐだからな」
「うん」
隣でジェイクがバッグを縫う様子を見つめるロッテの目に、先ほどとは少し違う感情が宿っていることにジェイクは気が付いていなかった。
***
次の日の昼休みに入る直前の事、まだ教室で全員が出て行く前に、ジェイクがいち早く教室の前に出ると、黒板をダン! と叩いた。
「おい! この中に昨日、ロッテのバッグを破いた奴がいるだろう? どいつだ!?」
昨日ロッテと話しあった結果、やはりこのままではいけないとジェイクがロッテを説得したのだ。断られるかとジェイクは思ったが、ロッテは不思議な事に頷くのみだった。なぜ態度が急に変化したのかジェイクにはわからず不思議に思ったが、気にしない事にした。
そしてジェイクのその言葉に全員が一瞬顔を見合わせるが、真っ先に口を開いたのはデュートヒルデである。
「まあ、ジェイクさん。証拠はあるのかしら?」
「証拠はない。だけど、ロッテはずっと同じような嫌がらせを受けていると言っていた」
「ロッテさんが嘘を言っている可能性は?」
「何!?」
その言葉にジェイクがかっとなる。だがデュートヒルデはあくまで冷ややかに対応した。
「その可能性だってあるでしょう? まずは証拠を見せなさいな。明確な根拠も無しに他人を疑うなど言語道断。そんな態度では、あなたはこの教室の全員を敵に回すことになりましてよ?」
ジェイクが見回すと、貴族の子弟達は薄く笑いながら白い目でこちらをずっと見ていた。庶民の生徒は関わりたくないと思ったのか、全員ジェイクから目をそらす。
そしてなおもデュートヒルデは続けた。
「謝るなら今のうちでしてよ、ジェイクさん?」
「なんで俺が謝らなきゃならない?」
「貴族であるワタクシ達を始めとする、この教室の人間全員を新参者のあなたが犯人扱いしたことに対するお詫びですわ。そんな事もわからないなんて、所詮庶民の人間は頭の中身が少々弱いようですわね」
クスクス、と貴族たちが笑う。ジェイクはまんまと貴族達の思うつぼにはまったことを感じながらも、怒りでどうにかなりそうな自分を必死で抑えていた。ミーシアにいた頃のジェイクなら、有無を言わさず殴りかかっているだろう。
「(くそっ! 我慢だ、我慢・・・俺が馬鹿にされるのはいい。そんなのはいくらでも耐えれるし、我慢は得意だ。それにアルベルトも言ってたじゃないか。騎士として得た力は、守りたいものを守るために使うものだって。俺の力はリサや皆のためのものだ。自分のために振るっちゃだめだ)」
ジェイクはじっと笑われるのを耐えながら、下を向いていた。そんな態度を、ジェイクに対して優位に立ったと確信したのか、デュートヒルデがさらに言葉を浴びせかける。
「どうしても謝らないつもりなら、ワタクシ達としてもそれ相応の対処というものがありますわ。規律をを乱す存在には、世の中の仕組みというものをこのワタクシ達が教えてさしあげましょう」
そう言い残し、デュートヒルデ達は嘲笑しながら教室を出て行ったのだった。
***
数日して。ジェイクの思いとは裏腹に、やはりといえばやはりの事だが、貴族たちの嫌がらせはジェイクに向かうようになった。既にジェイクが孤児出身だということも知っているのだろう。これでジェイクがどこかの貴族出身だと、こんな子ども同士の諍いから国同士のいがみ合いに発展しかねないので、そのあたりは貴族たちも心得ている。デュートヒルデに対して生意気な態度を取ったジェイクが何もされなかったのは、ジェイクの出自を彼らが調べていたからに他ならない。彼らもどうやらジェイクが聖騎士団に出入りしていることは知っていたが、まさか深緑宮のミリアザールの庇護下にあることまではわからなかったのだろう。そのため、孤児出身の子が特別措置で騎士団の世話でもするために出入りしているのだろうという見当をつけたのだ。
だがいきなり表面化させるほど、彼らも愚かではない。いや、余計に陰湿だという方が正しいかもしれない。どこまでやれば反撃が来るのか、あるいは誰かが出てくるのか。その境を見極めるために、ジェイクに対する嫌がらせは少しずつ、少しずつ度を増していった。
ジェイクの荷物入れに泥が入っていたり、あるいは黒板に悪口が書き込んであったり。ロッカーの荷物が外に投げ散らかされていたり。すれ違う時に意味もなく突き飛ばされる事もあった。
ネリィはその様子を当然のように心配したし、それはラスカルもロッテも同じだった。今や他の面々は完全にジェイクを無視し、あるいは関わるのを避けているかのようだった。誰だって貴族の矛先を向けられたくはないだろう。ジェイクは意気地の無い奴らだと思う一方で、やむを得ない事だろうとも自分を納得させていた。
だがそこまでされても、ジェイクはまだ我慢ができた。少なくとも、今日までは。
そして――
「きゃあっ!」
教室の入り口から悲鳴が上がった。ジェイクとネリィはいつものようにつれだって学校に来たのだが、先に教室に入ろうとしたネリィが、教室の戸を開けると上から水の入ったバケツが落ちてきたのだ。当然のようにずぶ濡れになり、その場に呆然と立ち尽くすネリィ。下級生の教室に行くためそこまではいつも付いてくるルースも、いつもの眠たげな目を見開いていた。
「ネリィ!」
ジェイクは呆然とするネリィの手を引いて、教官室に行く。既にルドルがこちらに来る途中の場面にちょうど出くわしたが、びしょ濡れのネリィを見るなり手を取って救護室に連れて行った。ジェイクには先に教室に戻っているようにルドルは言い渡したが、ジェイクとルースはその場に立ちつくしていた。ルースがジェイクの後ろにいるわけだが、後ろからでもジェイクの拳が凄まじい力で握りしめられているのがよくわかる。
大抵のことを怖がらないルースだが、リサのお仕置きと本気で怒ったジェイクだけは怖かった。それに比べれば、夜一人でトイレに行ったり、暗がりのお化けなど屁でもないとルースは思うのだ。比べる対象がまだ子どもじみているのは、なんともルースもまだ子どもである。
そしてジェイクの顔を見るまでもなく、ルースは彼が本気で怒っているのがよくわかった。
「じぇいく、どうする?」
「決まってる」
ルースはややおそるおそる尋ねた。その言葉にジェイクが即答する。
「俺に手を出すのはいい。だが家族に手を出すのは許せねぇ」
「ぼくもどうかんさ。あいつらにはほうふくがひつようだね」
ルースが待ってましたといわんばかりの顔をする。リサがいない間、ジェイク達にちょっかいを出してくる連中は、ジェイクとルースで撃退していたのだ。リサがどこまで気が付いていたかは彼らは知らないが、リサに余計な心配をかけまいと彼らなりに必死で努力していたのだ。そしてルースは悪だくみをするのが大好きだった。悪ガキどもを罠にはめる瞬間、彼はえも言われぬ充実感を覚えるのだ。
だが振り向いたジェイクの表情は複雑だった。
「でもどうしたらいい? うかつに手をだすわけにはいかないし・・・」
「てをだすなってことだよね? てをださなくても、やつらがじばくするようにすればいいのさ」
「どうやって?」
「こんなこともあろうかと、げぼくをつかってすでにしたしらべはやってある。みみをかして」
ルースがひそひそと計画をジェイクに耳打ちするのだった。
続く
次回投稿は5/8(日)15:00です。