戦争と平和、その580~廃棄遺跡中層㉜~
ルナティカが小さな悲鳴を上げたが、駆け寄ろうとするルナティカをレイヤーが手で制する。
「大丈夫だ、異常はない・・・? ぐっ」
レイヤーが蹲って大量の汗をかき始めた。その様子を見て、ハンスヴルが微笑む。
「どうやら、資格ありのようですね。器があるからこそ苦しんでいます。才能という器に、今大量の液体が一斉に注がれたところです、それはそれは苦しいでしょう。
ですがそもそも受けとめる器すらなければ、液体は流れ落ちるだけ。苦しむこともありませんから」
「すぐに治まる?」
「さて、そう長くはないと思いますが? 敵が来るまででそう長くはないかもしれない。あなたも決断するなら早い方が良いですよ?」
ハンスヴルの言葉に、ルナティカが小瓶の蓋を開けて一気に液体を流し込んだ。ルナティカも最初は何も起こらない自分の体を眺めていたが、小瓶が意図せず落下したところから、突然その場に倒れ伏した。
そのまま呻きながら、地面をかきむしるように苦しむルナティカ。ハンスヴルは二人の様子を恍惚とした表情で見守っていた。
「おお、何たる僥倖か。死に際にこれほどの器に二人同時に出会えるとは! 我が人生に一片の――悔いは残りますかね」
ハンスヴルはかつての仲間を思い出した。彼らは何の実績もない自分にも優しく、等しく仲間として扱ってくれた。壊れた自分に既に善悪の区別はなく、それはまた弟子も同じだったが、それでも失っていた懐かしい感覚と感情を取り戻し、ハンスヴルは自分でも知らないうちに立ち上がっていた。
「感謝します、少年少女よ。最後にまっとうな人間に戻った気分です。この道化、最後に他人のためにもうひと踏ん張りだけしましょうぞ」
ハンスヴルは灼けついて動かぬはずの半身を引き摺り、その場を去っていった。
***
「広いですな」
「うむ。先ほどから使い魔を八方に放っているが、まだ端に行き着かん。なんとなく全容は把握しつつあるが、全てを探索するのは無理だ」
オーランゼブルたちは、オーランゼブルが使役する屍3体と、ライフレス、ドルトムント、エルリッチ、ブランシェと共に中層を探索していた。
ウッコの気配と波動を辿ってはいるが、途中でそれとは別の絡繰り仕掛けの敵に出会うこともあり、慎重に向かう方がよいとの意見になった。
からくり人形は魔力反応を持たず感知しずらいため、ライフレスが周囲に烏の使い魔を多数放ち、視覚的に確認を行い進んでいる。それでもすぐにウッコと遭遇すると思っていたのだが、遺跡は彼らが想像しているよりも遥かに広かった。そのため、人と同じ歩みの速度ではまだウッコのいななきすら聞こえない場所だった。
「魔力の波動は感じるがな」
「ええ、これほど大きな魔力の波動は隠しようもありません。それよりも――」
「先程一瞬感知した魔力の波動が何かだな。軽くウッコの倍はあった。俺より魔力の反応が上というだけでも癪に障るのに、さらのその上がいるとなると、腹立たしいを通り越して呆れるぞ」
「私は信じられないという一点のみですが。オーランゼブル殿であればそれくらいの魔力反応の存在を感知したことがあるのでは?」
先ほどから無言で歩んでいるオーランゼブルに向けてエルリッチが質問を振ったが、オ―ランゼブルは無言のまま進んでいた。エルリッチの質問にも反応はなく、不審に思うエルリッチ。
「オーランゼブル殿? いかがされたか?」
「・・・む、済まぬな。考え事をしていた。質問は聞こえていたがな。ウッコの倍もある魔力の話だったか」
「ええ、そうです。思い当る節は?」
「かつての時代にはあったことだ。エンデロードやイグナージ、ダレンロキアの全盛期には魔力の総量だけではゆうにウッコを凌いでいたし、そもそもウッコの魔力自体が全盛期の半分もない。
いかにハイエルフの長といっても、自分の能力が矮小であるかを自覚するには十分な時代だった。だが戦いは魔力の過小で決まるものではないのは、ここにいる全員が知っての通りだ。付け入る隙は必ずある」
「そうではない、師匠よ。ウッコ以外にこれほどの魔力を放出できる存在に心当りがあるか、ということだ。当時の強者を知っているなら、これほどの魔力の総量に心当たりがあるだろう?」
ライフレスの質問に、オーランゼブルが首をゆっくりと横に振った。
「いや、私が知っている反応とはいずれも違う。どうやらシュテルヴェーゼなどは地下にいるようだが、先ほどの反応は私の知らぬ者だ」
「ならば厄介だな。まだ誰か我々の知らぬ実力者がいるというのか? ウッコを倒しても戦いが終わらぬかもしれぬではないか」
「その可能性はある。だが方針は変わらぬ。ウッコを倒し、ここを離脱する。それだけだ」
嘘だな、とエルリッチは感じた。エルリッチは人の嘘には敏感だ。彼がかつて騙される側であり、そして騙す側に回ったからだ。おそらく、先ほどの魔力の源にオーランゼブルは心当たりがある。だからこそ、心ここにあらずだったはずだ。
隠す意味があるのか、知っている者なら交渉できないか、などとエルリッチが考えていると、予想外の相手に出くわした。
続く
次回投稿は、9/4(金)20:00です。