戦争と平和、その579~廃棄遺跡中層㉛~
突然の声にレイヤールナティカは警戒したが、ハンスヴルの様子を見て警戒を解いた。ハンスヴルには前であった時の殺気や邪気のようなものはなく、得体の知れなさもなりを潜めていたからだ。もうまもなく命の灯が消える戦士、ただそれだけに見えた。
「死にそうだね」
「ええ、まもなく。死に方としては満足できましたよ。最後の戦いも良いものでしたが、死ぬ前に多少の心残りがありましてね」
「心残り?」
「ええ、あの大魔獣を放っておくわけにはいきません。仕留める手段と可能性、そして私が得た者の伝授というところでしょうか」
ハンスヴルは懐から小瓶に入った飲み物を取り出すと、2人に上げて寄越した。薄赤い液体は、やや禍々しく2人の目には映る。
「これは?」
「辺境でとれる薬草を複数煎じた霊薬です。それに私の血を少々」
「・・・これを飲めと?」
露骨に嫌そうな顔をしたレイヤーとルナティカに、ハンスヴルが笑う。
「それはお任せしますが、先ほどの絡繰りを倒したいなら飲むことを勧めます。ま、私の話を聞いてから判断してはどうでしょうか? そのくらいの時間はあるでしょう。死にゆく道化の懺悔のようなものです」
「・・・いいよ、聞かせて」
「ふふ、お優しいことだ。私はかつて勇者の仲間でした――ああ、今もゼムスの仲間ですが、あんなクズとは違います。本物の勇者の仲間だったのです。もう50年も前のことになりますか」
語り始めたハンスヴルの瞳は虚空を眺めていた。もう視力がなくなってきているのがレイヤーにもわかった。
「私は辺境近くの村の出身で――ただそれだけの荷物持ちでした。勇者たちに現地で雇われ、彼らの荷物を持ち運ぶだけの少年でした。辺境出身で荷運びの仕事をしていましたから、力だけは並みの大人を遥かに凌駕していましたし、体力だけは自慢でしたから、彼らの旅路に同行するようになりました。その際に荷物しか持てないのでは情けないと思い、せめて彼らの労苦を癒そうと芸を覚えたのが道化師としての始まりです。
彼らは素晴らしかった。実力、人格、連携、どれをとっても理想の勇者八人組だった。彼らは辺境の開拓に情熱を傾けていました。人間の住む世界を広げるのだと。新しい素材を発見すれば、いまだ不治の病を治療するのに役立つのではないかと考えていました。
もちろん名声や富が目的の仲間もいましたが、勇者が持つ熱は彼らをして動かすだけの強さがあった。私もそうです。そして我々が辺境で活動するようになって3年ほどが経った頃、一つの油断がありました。妙に進みやすいと思った私は、慎重になるように仲間たちに促しました。だけど、誰も取り合ってくれなかった。一つ前の帰還の報酬が大きかったのもあった。丸一年は命の危険があるような敵に出会っていないこともそうさせたでしょう。
ですが今でも思います。私があの時強く諫めていれば、もう少し違った結末だったのではないかと。父からその存在を聞いていたのに――」
「何がいたのさ?」
「各種辺境には王種が存在します。最低一体、多いと複数。霧の谷のザラタンエンペラーなどは有名ですが、私たちが出会ったのもその類の魔物でした。地元民しかしらない、森の王、ヴェルドワルンと呼ばれる存在。姿は誰も見たことがありませんが、その存在はまことしやかに語られていたのです。森が妙に進みやすい時は気を付けろ、誘われていると。進めば二度と出られないと。
私たちは大幅に今までの記録を更新し、奥地で見たこともない素材の採取をしました。その場で行った実験では、いくつかの不治の病の特効薬が作れるかもしれないとの推論もでました。ですが、帰り道がどうやっても見つからなかった。高台に上って方向を確認しても、どうやっても迷う。道しるべに考えた目標が動かされていると気付いたのはその3日後。4日目には白い追跡者亜種に襲撃を受けて仲間が分断され、5日目に再度合流した時にはその中に人間に化ける魔物が混じっていました。そのせいで食料や装備の大半をなくす羽目になり、死者も出た。
仲間は4人に減り、私は大怪我を負った仲間を抱えてひたすら走りました。それから一定の間隔で魔獣や魔物の気配を感じるのですが、彼らは決して襲い掛かってこなかった。代わりに甘い匂いが漂い――幻覚を見るようになった仲間は徐々に正気を失っていった。争う我々を嘲笑うように笑い声が響き、食料も底を尽き、あれほど食料が豊富だった森では果実の一つすら見つからなくなった――生き延びるために私たちは仲間を――」
「――あんたの能力は、仲間のものか?」
「はい、喰らったものの特性を一部継承する。それが私の本来の特性です。私が辺境から帰還したのは10年後。ヴェルドワルンの追撃を振り切り、仲間のタグと形見を集めてギルドに帰還しました。その時の恰好があまりに珍妙かつ鬼気迫っていたのか、私は狂った道化師と呼ばれるようになりました。
その時持ち帰った素材と討伐証明をもってS級へと一気に認定されましたが、もう人間の生活に戻れる気はしなかった。私はヴェルドワルンや他の辺境の主を追いかけ辺境暮らしを継続し、気が触れたと者としてギルドでは認識されました。実際頭がおかしいでしょうが――そこで出会ったゼムスは、私が初めて感じた危険な人間。彼を見張る意味でも――あれはあれで私を見張っていたでしょうが――そうやって彼の仲間になったのです」
「なるほど。では、この液体を飲むと、あんたの能力を僕たちが受け継ぐと?」
レイヤーは赤黒い液体をちゃぷんと揺らす。ハンスヴルは頷いた。
「ええ、私とその仲間――そして、何体かの王種を私は仕留めることに成功しています。全てが継承されるわけではなく、その一部、あるいは器次第では全く継承されないかもしれませんが、あなたがたの実力なら、継承される可能性が高いのではないかと。
少なくとも、今ここを生き延びるには最低限、必要な行いでしょう」
「話はわかった」
それだけ頷くと、レイヤーは躊躇いなく小瓶の蓋を開けて液体を飲み干した。
続く
次回投稿は、9/2(水)20:00です。