ジェイクの新しい生活、その2~確執~
ジェイクはネリィと学食なるもので昼ご飯を済ませると、教室に戻って来る。昼食の時にデュートヒルデとご飯を食べなった事でネリィに散々文句を言われたが、ジェイクは全て聞き流していた。ネリィには理由はどう説明しても分からないだろうとジェイクは思っている。自分でもどうしてそこまで依怙地になったかは、よくわからなかった。
そして教室に入る前、ジェイクはネリィに一声かける。
「ネリィ、気にするんじゃないぞ?」
「え、何を?」
だがジェイクは答えず、扉を開ける。そこには、彼にとっては予想通りの展開が待ち構えていた。教室の半分近い生徒が、自分達の方を一斉に白い目で見たのだ。ネリィはその光景に驚き息を飲んだが、ジェイクは一歩も引かず驚きもせず、ゆっくりと彼らを見回してその顔を覚えた。わざわざジェイクが学園を探検しながら時間を潰し、次の授業直前に帰ってきたのは誰が自分の敵となるかを見定めるためである。
「(予想通りの展開だな・・・まあミーシアとおんなじか)」
ミーシアではおそらくはリサも実態をよく知らない事であったが、ジェイク達は子どもだけで暮らしているということで、スラムの様な地区にあってさえ、さらに差別されていた。不良に絡まれることなどざらだったし、その辺の貴族の子どもが面白がって自分達に犬をけしかけた事もある。その度ジェイクは子ども達の矢面に立ち、彼らを守ってきたのだ。ネリィは女の子だからなのかすぐに感情的になるし、上手く立ち回れない。なんとか相談ができたのは、せいぜいルースくらいのものだった。ルースは歳の割には頭が非常によく回るのだ。ジェイクもよく助けられている。大抵は迷惑な方向に頭が回るのも、知っている。
さらにジェイクは人間心理をよくわかっていた。集団があれば必ず弱い者を見つけ、それを攻撃するのが人間だということを。そして、誰も攻撃される側には回りたくないから、心ならずも周囲は攻撃する側に従うという事を。
「(先手を打つか? いや、揉め事はやめろってミリアザールに言われているし、アルベルトなら『騎士なら意味のない暴力を振るわない』とか言うんだろうな・・・でもここでミリアザールの名前を先に出すのも癪だな。どうしよう?)」
ジェイクはその事を考えて唸っていたが、その様子を見ていたのはもう一人。
「なんだなんだ、なかなかおもしろそうなてんかいだな・・・?」
「ルース君、もう次の授業が始まっちゃうよ?」
ジェイクの後をこっそりつけていたのはルース。ルースは自分の教室の代表を後ろに従えている。その眼鏡の気弱そうな代表はすっかり怯えており、手を揉み絞るように合わせている。彼は9歳なのでルースよりは2つ上なのだが、既にルースの子分の様な扱いだった。
「ルース君ってば」
「うるさいな、こっちはいそがしいんだ。もどるならかってにしろ。ただし」
「ただし?」
「おまえがとなりのるなちゃんのことがすきだと、がくえんじゅうにいいふらしてやる」
「ひ、ひえっ!?」
その一言に、気の弱い少年は飛び上がるように驚いた。
「な、なぜそのことを」
「このルースさまは、なんでもおみとおしだ。あまりぼくをなめるなよ? まあ、みぶんちがいのこいも、ほどほどにしておくんだな」
「ひ、ひぃ!」
少年はもう涙目になっている。彼はさる貧乏貴族の出なのだが、頭だけはかなりいい。それに魔術の腕も中々だが、隣にいるルナという子に恋したのがまずかった。ルースが得た情報では、ルナという子はどこかの国の王家につらなる血筋の者らしい。身分違いの片思いも甚だしいのだが、べた惚れなのは誰が見ても明らかだった。何せ今日学園に来たルースでさえ気がつくのだ。もっとも人間観察をするために、わざと一番後ろの席を陣取ったのはルースの作戦だ。
そこでまずは自分の思い通りになる人間を作ろうとしたルースに目をつけられたのが、哀れなこの少年というわけだ。そして、そんな少年が後ろでカタカタと震えているのをほっといて、ルースは考え事をしていた。
「(ふむ。がくえんにはいって、じぇいくをさんざんからかってあそぼうとおもったが、なんだかくもゆきがあやしいぞ? これは、じぇいくにかたいれしておくほうがいいか? とりあえずは、あのたてろーるの、いかにもきぞくなおんなのよわみをにぎるか。よし)」
ルースが決心をすると、後ろの少年を振り向く。純粋な少年は、どうして自分がルナを好きなことがばれたのかわからず、恐怖におびえている。授業中に20秒に一回は彼がルナの方を見ているので、誰でも気づくことなのだが。
「よし・・・きめた」
「な、何を?」
「おまえをかんぜんに、ぼくのげぼくとしてこきつかってやろう。はっはっは」
「ひ、ひいいいい」
既に授業が近いため人気がまばらになり始めた廊下に、ルースの高笑いと、哀れな少年の悲鳴が響くのだった。
***
午後の授業でもジェイクは悶々としていたが、とりあえずその日は何事もなく無事に終了したのだった。そして学園が終われば、彼は騎士団に直行することになる。念のためネリィとルースを深緑宮まで送り届け、彼は踵を返して外周部の騎士団の所に走って行く。
「申し訳ありません、遅れました!」
「ああ、今日から学校に通うらしいな。話は聞いているから、訓練に入れ」
「はいっ!」
いつも世話になっている外周部の隊長に挨拶すると、ジェイクは急いで鎖帷子を身に纏い、練習用の簡易鎧を装着し、具足と面体をつけ、木剣を腰に差し外に駆け足で集合する。その間わずか30秒。鎧の着脱程度一瞬で出来なければならないと、彼は初めて来た時に延々と鎧の着脱を仕込まれた。
そして彼は練習が遅れているので、慌てて取り返すべく走り始める。ジェイクの鎧は、練習用かつ少年用に軽く作っているとはいえ、完全装備で7kgはある鎧である。それを着たままの状態で、練習場の壁際を10周する。一周500m程度だから、5kmはある計算だ。
その途中には丸太が地面に刺してあり、その周囲には布が巻きつけてある。丸太があるたびそれを木剣で5回叩き、また走る事を繰り返す。実戦で走りながら戦うことを想定した、持久力を上げるための訓練である。
それが終わると、鎧を脱いで休む間もなく基本的な騎士剣の型を教わる。基本を学ぶなら外周部の隊長達に聞いた方が良いとのアルベルトの提案で、ジェイクはアルネリア教の騎士剣を教わっている。
その後盾を用いた型や、槍や弓の扱いなども教わり、騎士たちと手合わせを経てジェイクの外周部での鍛錬は終わる。その後夕飯を外周部の騎士達と一緒に済ませると、彼はまた走って深緑宮に移動し、今度はアルベルトかラファティの訓練を受ける。手が空いていない時は、代わりにロクサーヌやベリアーチェ、時には梔子やミリアザールが相手を務める。こちらはもはや手合わせというよりは、ほとんど一方的にやられるだけだったかもしれない。
だがジェイクの立派な所は、一切の手抜きもなく弱音も吐かないということだ。それだけリサとの約束を大切にしているのだろう。時に訓練が終わってそのまま力尽き、その場で寝る事もある。そのような生活をもうずっと続けているわけだが、その甲斐あってか、ジェイクは木剣限定なら外周部の騎士とはそこそこ渡り合うようになって来ていた。これは実に驚異的な出来事なのだが、ジェイクの目標は遥か高く、一向に満足する様子も偉ぶる様子も見せなかった。
これがジェイクの毎日だったが、今日からはこれに勉強が加わる。眠い目をこすりながら勉強をするジェイクに、勉強を教える係はミリアザールが務めるが、まあ仕事をさぼる適切な口実であったと言い変えてもいい。
そうしてジェイクの新しい一日は終わりを迎えたのだった。
***
その翌日。当然と言えば当然だが、教室のジェイクを見る目は冷たかった。まだ全員が白い目を向けていないだけましだが、自分を差別するのは貴族、金持ち。そうでないのは平民かとジェイクは予想をつける。自分に白い目を向ける人間は、教室の奥側である左半分に固まっており、右半分とは交流がない。あながち予想も間違いじゃないのかとジェイクは考え、とりあえずネリィと共に右半分の席に座る。
すると、ジェイクの肩を後ろの少年が叩いた。
「ようお前。あのデュートヒルデとやり合うとは、肝が据わってるな?」
「誰だそれ? そのデュー・・・なんとか」
「はっ、こりゃ大したもんだな。昨日お前が昼飯を断った貴族の娘だよ」
「ああん、あのくるくる頭か」
「くるくる・・・」
ジェイクに声をかけた少年はその言葉に虚をつかれたようだったが、余程面白かったのか、思わず噴き出した。
「ぷっ、くっくく・・・お前面白いこと言うなぁ?」
「見たまま言っただけだ。そのデューなんとかは舌を噛みそうだからな」
「確かにな! おっと、それはそうと俺はラスカルだ、よろしくな」
「俺はジェイク」
2人は握手を交わす。
「で、あのくるくるって何者なんだ?」
「デュートヒルデはここから東の王国、リストリア国の宰相の一人娘さ。母親は王族から降嫁してきた人だし、リストリアといえば東ではかなり大きな国だ。そこの一人娘ともなれば、当然我儘放題で周りは皆言うこと聞くし、威張り散らしたくもなるわな」
「ふーん」
だがジェイクの返事は、自分でも思ったよりそっけないものだった。とりあえずデュートヒルデが貴族でありさえすれば、没落貴族だろうが王様だろうが、全部同じだとジェイクは思っている。庶民が手を出せば、それで一貫の終わり。たとえどんなに貴族が悪かろうと、責任は庶民になすりつけられるとジェイクは思っていた。
それにミリアザールとの約束もあるし、どのみちジェイクは女の子に手を上げるようなことは決してしないと誓っていたのだ。
そしてその日は何も無かった。ジェイクにしてみれば肩すかしを受けたような印象だったが、貴族達の態度はジェイクを無視する方向に向かっていた。その方がジェイクとしても都合が良い。正直、日々の鍛錬と勉強で限界を迎える彼にとって、貴族などという厄介なものに関わるゆとりも余力もなかったのだ。
学園の授業も少しずつわかるようになり、鍛錬も問題なくこなせている。ラスカルという友達もできた。ここまではまあ順調とも言える生活だったかもしれない。
そんなある日の事。
ジェイクは忘れ物を取りに教室に戻るところだった。教室にはもはや誰もいないはずだったが、その中で一人泣いている生徒がいる。おかっぱ頭の女の子で、確か庶民出身だったはずだ。ラスカルが「ちょっとかわいいよな、あの子」と言っていたので覚えている。確か名前はロッテだったか。
ジェイクは話しかけるかどうしようか悩んだのだが、はたとその子と目があってしまった。女の子は一瞬びっくりしたが、またその場でしくしくと泣きだしてしまった。
「(これで放っておいたら男が廃るよな・・・)」
ジェイクは頭をぼりぼりと書きながら、今日の訓練は遅刻になることを覚悟しながら、ロッテに話しかける。
「えーと・・・確かロッテだっけ? どうしたんだ」
ジェイクは可能な限り優しく話しかけたつもりだったが、ロッテが泣きやむことはなかった。ジェイクはどうしたものかと悩んだが、とりあえずロッテが泣きやまないことには話が始まらない。どうしたものかとジェイクは俯くロッテの下から覗きこむようにしていたが、彼にもこんな経験はないので頭の中が混乱している。とりあえず涙が止まればいいのかと思い、手でそっと涙を拭ってやる。子ども達が泣いた時にはジェイクはよくそしてやったのだ。するとロッテがびくりとして、驚いたようにジェイクの方を見た。
「あ・・・」
「泣くなよ、俺でよかったら相談に乗るからさぁ。とりあえず何があったか話してみないか?」
「・・・」
「あ、俺はジェイクな。知ってるんだっけ? まあいいや。あ、そうだ。話をするのは始めてかもしれないけど、いつもロッテの事をかわいいよなって話していてさ・・・」
その一言にロッテが真っ赤になる。ジェイクとしても女の子を泣きやませるすべなど知らないので、とりあえず適当に何か話せばいいのかと普段より口数が多かったのだが、他人が聞けば非常に誤解を受けそうな内容だった。ジェイクも多少動転していたのか、「ラスカルと」が抜けている。
「・・・で、何の話だっけ?」
ジェイクが困った顔になったので、ロッテは思わず彼の顔を見て可笑しくなった。
「・・・うふふ」
「ふう、やっと笑った。そっちの顔の方がいいや」
ジェイクのその言葉に、またしてもロッテが真っ赤になる。ジェイクは「その方が話しやすい」という意味で言ったのだが、ロッテはそう受け取らなかったかもしれない。
そしてロッテがおずおずと自分が学園に持ってきている鞄を取り出した。
続く
次回投稿は、5/7(土)17:00です。