戦争と平和、その560~廃棄遺跡中層⑳~
「あっ・・・」
「な――」
ジャバウォックもシュテルヴェーゼ当人ですら、反応ができなかった。熱波によって舞った土煙が、彼らの視界を遮った。そして煙で減衰するはずの光は、一直線にシュテルヴェーゼの心臓めがけて飛んできたのだ。
だがその光線がシュテルヴェーゼに当たることはなかった。なぜなら、その光の線はシュテルヴェーゼの心臓の前に出現した転移魔術によって、あらぬ方向に飛ばされていた。
そしてシュテルヴェーゼの背後から、声がかかった。
「シュテルヴェーゼ、尻をどけろ。前に出れん」
「し、尻だと?」
「さっさとしろ、死にたいのか?」
声に反応し、シュテルヴェーゼが再度幻身して人型になった。その表情は憮然としていたが、目の前にいるユグドラシルを見ると、こころなしかシュテルヴェーゼが小さくなったようだった。
「失態だな、シュテルヴェーゼ」
「う・・・返す言葉もない」
「あんた、さっきの群れをもう撃退したのか?」
「足止め程度の戦力だったからな。あの程度、私にとってはまさに足止めんしかならん連中だ」
「そ、そうだったか?」
そんな生易しい敵には見えなかったのでジャバウォックが疑問を呈するが、ユグドラシルはさらりと流した。
「だが、その足止めでお前たち二人を殺す程度の時間は確保されていた。十分な脅威ではあったと言えよう」
「む」
これにはジャバウォックもぐうの音も出なかったが、ユグドラシルは咎めてはいないようだった。
「そう落ち込むな。相手の欠点は、おまえたちを撃滅するのに必要な最低戦力しか投下していないところだ。舐めているのか、あるいは投下できないのかもしれない。
お前達は相手の目論見を覆し、生きている。それだけで成果としては十分だ」
「そうか?」
「そうだ。現に、相手は退いた。私が来た以上、相手をするつもりはないらしい」
ユグドラシルが指さす先に、既に陽炎のような圧倒的な魔力は消えていた。あれほど圧倒的な魔力が掻き消えるのは不思議な気がしてならないジャバウォックだったが、安堵したのも事実だった。
ユグドラシルはため息をつくと、二人の背を押して促す。
「あれほどの気配が消えるとは・・・」
「消えもするだろう、あれは人間だからな。魔力を隠し、一般人に偽装するならお前達より簡単だ」
「待て、あれが人間だと!? 俺が知っているどんな古代の魔獣や幻獣よりも強力だったぞ!?」
「お前が何を知っているかはしらんが、それが事実だ。私の想定では、七体の魔獣――イグナージやエンデロードとも戦いうる戦力だ。それがお前たちの出会った相手なのだ」
「信じられん・・・そんな奴が、これまで能力も正体も隠して人間の世界にいたというのか? 馬鹿な」
シュテルヴェーゼの感想はもっともだったかもしれないが、ユグドラシルはあえて深くは答えなかった。
「奴が何を考えているかは知らんよ、それこそ奴に聞くしかなかろう。推論を重ねても無意味だ、もう行くぞ。これ以上ここにいても何もならん。お前達をエンデロードの元に送る。さすがにあれの庇護下なら、そうそう相手も手出しできんだろう」
「それはそうだが、シュテルヴェーゼ様がおかしいんだ。見てくれないか?」
「おかしい?」
「ああ、記憶が前後したり、判断力が低下している。まるで――」
「呆けたようだと?」
いいにくいことをずけっという奴だとジャバウォックは辟易したが、その通りだったので黙って従った。
ユグドラシルはシュテルヴェーゼの目をのぞき込んでいたが、眼がチカリと光ると、少し渋い顔になった。
「ふむ・・・カビか胞子、あるいは粘菌の類か」
「何が」
「寄生されている。脳の中だ」
ユグドラシルの見立てに、ジャバウォックが息を飲んだ。
「寄生だってぇ? しかもカビって・・・胞子とか、キノコってことだろ?」
「馬鹿にしたものではない、キノコに覆われて滅びた国もある。南の大陸では最大で八千歩分のキノコの菌床が確認されたこともある。奴らのメカニズムはいまだわからないことも多く、我々は亜種も含めて全体の一割の把握していないと言われているのだ」
「んなことはいーんだが、治す方法はあるのか?」
「ないな、清浄な空気の場所で静養するしかあるまい。古竜の免疫機構なら負けることはあるまいが、今の生活場所はまずかろうな。地下かどこかにいたはずだな? 原因がさきほど挙げたどれかにしろ、閉鎖空間はまずい。
ますますもって、エンデロードの庇護下に行くがよかろう。火山帯の空気は清浄ではないかもしれんが、いかなるカビにしろ胞子にしろ、生息に向いている土地ではなかろう。
さて、転移で飛ぶぞ。ここは他の連中に任せろ。まだシュテルヴェーゼを失うわけにはいかん。ロックルーフもレイキもなき今、お前達が要になる」
「は? レイキのおっさんも死んだのか?」
「なんだ、気付いていなかったのか?」
ユグドラシルの提案に、ジャバウォックは呆然としつつも納得せざるをえなかった。シュテルヴェーゼも青い顔をしながら、判断力に欠けているせいか、ただ頷くだけだった。
だがジャバウォックの本能が告げる、それだけでは何かが足りないと。それが何かはわからないが、ジャバウォックはこうと決めると行動が早い。
続く
次回投稿は、7/26(日)23:00です。