戦争と平和、その559~廃棄遺跡中層⑲~
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「シュテルヴェーゼ様、生きてるか!」
「? どうした、ジャバウォック。そんなに血相を変えて」
きょとんとしたシュテルヴェーゼを見つけた時、ジャバウォックは心底恐ろしいと思った。千里眼を持ち、ピレボスの峰から世界を眺めるこの最強の古竜が、何も気付いていないことに。トゥテツの言う通り、最初からこれはシュテルヴェーゼを殺すための罠だった。おそらくは防音も衝撃もシュテルヴェーゼに届かぬように、様々な仕掛けが施されているのだろう。
もしトゥテツが万一を考えて、通信手段をロックと自分に与えていなかったら。ジャバウォックがミリアザールに興味を抱き、まがりなりにも人情の機微について理解をしようとしていなかったら。そして統一武術大会がこのタイミングで行われず、自分が幻身の練習に精を出していなかったら。そもそもロックルーフではなく、自分が先に狙われていたら。
そんな小さな一つ一つの積み重ねがなければ、今ここでシュテルヴェーゼに声をかけることすらできず、おそらくはシュテルヴェーゼは何も知らないまま泥の底で戦うように、抵抗すらままならず殺された可能性すらある。
それがわかって、ジャバウォックは震えたのだ。
「シュテルヴェーゼ様、落ち着いて聞いてくれ。ロックが死んだ」
「は? そんなことがありえるか? 何の連絡もないし、そもそも戦いの気配すら感じなかったぞ?」
「シュテルヴェーゼ様、千里眼が使えますか?」
シュテルヴェーゼは千里眼を使おうとして、青ざめた。
「馬鹿な――使えぬ?」
「・・・いつから?」
「中層に降りた瞬間は使えた。いや、先ほども問題なく使って――いや、妾は一体何を見ていた? そもそも一体ここはどこで、妾は何をしようとしていた?」
「は? いやいや、落ち着いてくれシュテルヴェーゼ様。ここはアルネリアの近くの廃棄された遺跡の中層だろ? 伝説の魔獣ウッコが目覚めたから、それを討伐しようと――」
「馬鹿な、これしきの戦力でウッコを討伐しようなどと! あれはシモーラとイグナージ、白銀公、エンデロードがいて初めてなしうる所業。古竜が数千からいても成しえなかったものを、我々だけでどうにかできるわけなかろう?
誰だ、そんな馬鹿なことを言いだしたのは?」
おかしい。シュテルヴェーゼ様の言っていることが、辻褄が合わない。ジャバウォックはぞくりとした。そういえば先ほどの分岐点でも、何も考えずにシュテルヴェーゼに判断を委ねたのを思い出す。シュテルヴェーゼは確かに崇拝する絶対的な存在だが、その存在がもしおかしかったら? 判断がまともにできていなかったら?
よくよく考えれば、どんな敵がどこにいるかもわからず、シュテルヴェーゼですらかつて苦戦した遺跡の中で分岐して中を捜索するなど、愚策も愚策。シュテルヴェーゼ以外は接敵すれば、即死亡確定である。
ジャバウォックはじり、と一歩下がった。その様子を見て、シュテルヴェーゼが頭を抱えた。
「いつからじゃ? いつから妾の頭の中にかように霞がかかっておる? アルネリアに来てからか? いや、そのもっと前か? 妾はいったい、どうなっておる?」
「落ち着いてくれ、シュテルヴェーゼ様! あんたにそうなられたら、俺たちは打つ手を失う。それよりも今はここを脱出すべきだ。この遺跡での出来事は、最初からあんたを殺すために仕掛けられた罠だ!」
「罠じゃと? ウッコを起こすことが罠じゃと? そんなことがありえてたまる――」
「はっ!?」
ジャバウォックは奥から漂ってくる、きらきらとした無数の紙の様なものに気付いた。それらが風にあおられて遊ぶように舞い飛び、彼らの横を流れていった。そして洞穴の行く先がぴかりと光ったかと思うと、無数の光が紙で乱反射しながら突然飛んできたのだ。
それは、彼らを死へと誘う光の舞踏だった。
「んだとぉ!?」
「ぬぅうう!」
光の線そのものは細く、一撃で致命傷になるようなものではない。だが避ける場所がない。いくつかが命中し、彼らは傷を負った。幸いなのは、傷を受けてもさほどダメージにはなっていないということ。
だが確実に傷を負った。じわりと流れる血が、彼らを後退させる。
「シュテルヴェーゼ様、撤退を!」
「だが、この攻撃は遥か後ろまで届いているぞ? それよりも前進して倒す方がよいのではないか?」
「だめだ、それも罠だ! この遺跡から一刻も早く出るんだ!」
「じゃが!」
シュテルヴェーゼ様は確かに勝気だが、撤退を恥と考えるような価値観は持ち合わせていないはずだ、と考える。現に、ブラディマリアがアルネリアに執事を連れて乗り込んできた場合のことを想定し、色々な策を練った。その中には、撤退しながらの戦いや、局地的には勝利を譲るなどの作戦も入っていたのだ。
判断力がおかしい、そういう毒か。などとジャバウォックが考えていると、今度は洞窟の奥から倍程度に膨れ上がった魔力を感じた。これだけの魔力をオドで出すとすれば、相手の力量はそれだけで尋常でない。この段階で既に自分たちと同等かそれ以上の力があることは明白である。
そしてもう一撃、今度はより太い光線が飛んできた。先ほどとは軌道も変わる攻撃に、ジャバウォックとシュテルヴェーゼが身を捩じる。
「ちきしょおっ!」
「うああ!」
かろうじて急所を守る二人。ジャバウォックは光線が太腿を貫通した痛みを感じたが、気合で倒れるのを防いだ。だが、シュテルヴェーゼはその場に倒れ伏していた。
「なんのこれしき! シュテルヴェーゼ様!」
「いかん、脚の腱をやられた! 立てぬ!」
「抱えますよ、失礼!」
「そんなことをしておる場合か、さっさと貴様一人で――」
その先を聞く前に、洞穴の先から感じる魔力がさらに倍に膨れ上がった。その魔力を感じると、シュテルヴェーゼですら瞳孔がかっと見開かれ、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。
ここまでの内臓魔力を単体で放つ生物を、彼らは知らない。圧倒的戦闘力を有する個体は数多くしれど、純粋に魔力という点では、魔人すらもゆうに凌ぐ魔力量。洞穴の先が陽炎でゆらめくように、道が見えなくなっていた。
「いかん、逃げよ!」
言われるまでもなく、ジャバウォックが全力で駆けた。先ほど紙が舞ってきたのなら、すぐに逃げれるはずだった。だが洞穴の上から横から、小さな風穴から紙吹雪が流れ込んでくる。
狭い洞穴で速度が殺されるといえど、彼らの行く手は一面紙吹雪となった。
「ちきしょおっ!」
「なるほど、確かに罠じゃな――やむをえん!」
シュテルヴェーゼが古竜としての能力を解き放ち、幻身を解いてブレスを洞穴奥に向けて放つ。体は洞穴を塞ぐ格好になるが、逃げ場所がないならどうでも同じと判断し、それよりも反撃を選択したのだ。
「シュテルヴェーゼ様、そんなことをしても相手に攻撃は届かねぇ!」
「黙っとれ!」
シュテルヴェーゼのブレスはグウェンドルフほどではないにしろ、目の前にあった紙吹雪を一掃するには役立った。シュテルヴェーゼのブレスは洞穴の壁に当たって爆散したが、衝撃派と熱波で、紙吹雪が融け消えた。
「あ、なるほど」
「相手には通じずとも、これなら先ほどの攻撃は使えまい」
シュテルヴェーゼが得意げに告げた直後、一本の細い光の線が飛んできて、シュテルヴェーゼの胸に吸い込まれるように消えた。
続く
次回投稿は、7/24(金)23:00です。