戦争と平和、その548~廃棄遺跡外周③~
「・・・おかしいぞ。底がない」
「底がない? どういうことだ?」
アースガルは目の前に出現した横穴を指さして答えた。
「シモーラの話では、ここが上層の最下部のはずだ。ここに底があって、浄化の遺跡の最深部に入る最短経路として使用していると言っていた。普段は閉じている道だから、安全性に欠けると」
「安全性に欠ける?」
「底の隙間は空いており、人間程度なら通ってしまえるのだとシモーラは言っていた。ただし精霊の加護の及ばぬ、奈落だとも。シモーラも管理ができず、精霊の力も借りることができない。内在魔力でしか魔術の起動できぬ場所だそうだ」
「それは、魔術に長けるほどに不利となるということかのぅ?」
「そういうことだ、老魔術士よ」
シェバの疑問にアースガルが答えた。魔術の初心者は精霊の力を上手く借りることができないため、内在魔力である小流のみで魔術を起動しようとして、失敗したり小規模の魔術しか展開できない。魔術士として優れるほどに精霊の力を上手く借りることができ、大流を使用した大規模の魔術が使用可能となる。
人間はもちろん、エルフなどの亜人やブラディマリアのような魔人ですら、内在魔力の量は限界が知れている。導師であるアースガルとて、精霊の力なしでは並みの魔術士から大きくは逸脱しないのだ。
精霊の声を聴くことに慣れ過ぎたアースガルとしては、精霊の声が一切聞こえぬ土地というのは真の闇と同じである。数千年を生きたアースガルをもって、このような土地というのは初めての経験だった。もちろん彼だけではなく、シェバもその弟子も、エネーマたちもまたアースガルの言わんとすることは理解して青い顔になっていた。
「グウェンドルフ、君はどうする? どのくらいの魔術なら使用可能だ?」
「私はそもそも攻撃だけならブレスを使えばいいわけだが、魔術の補助がないとなると、些か正確性や制御に欠けるな。アースガルは私のことを知っているだろうが、私のブレスは本来制御ができるものではない。魔術の補佐を使って威力を減衰し、ようやく制御できるようになったものだ」
「つまり、暴発すると?」
「威力、方向性、ともに」
「それは厄介だ」
アースガルが頭を抱えそうになったが、その傍でシェバは神妙そうな顔をしていた。
「御二方、悩んでいる所を悪いが、私たちの目標はあくまで仲間の道化師の始末さ。ここいらで別行動させてもらいたい」
「もちろんだ、老魔術士よ。我らに気を使わずともよい。許可なく別行動したまえ」
「じゃが、あんたがたの目標である魔獣の魔力は、遥か下層から感じる気がするよ。もしこのシェバの力添えが必要なら手助けするが、どうするね? こお絨毯はわずかな内在魔力で使用可能さ。ご希望があれば、連れて行ってもよいが?」
「(巧いわね、さすが妖怪婆ぁ)」
万能学者のヴォドゥンが感心していた。道化師ハンスヴルがなぜこの遺跡に向かったか。それはアルネリアに集った猛者たち相手に暴れるよりも、魔獣相手の方が面白いと感じたに決まっているからだ。
ハンスヴルは何を考えているかわからないところがあったが、以前から死に場所を求めているようにも見えた。相手が強そうに見えるほど、ハンスヴルは喜々として向かって行く。ヴォドゥンが直接ハンスヴルの内心を問いただしたわけではなかったが、ハンスヴルにはそういう性質があった。
ならば必ず魔獣の近くにいるはず――それなら、仲間内での最強級であるハンスヴルと戦うよりも、この真竜と導師に魔獣ごと仕留めてもらうのがよい。そうシェバが考えたのは明白だった。
当然、ヴォドゥンも同じ考えである。そしてこんな金にもならない依頼より、ヴォドゥンの興味は遺跡そのものに向いていた。ハンスヴルのことなど放っておいて、今すぐにでもここから離脱して遺跡の探索に向かいたい。そう考え、絨毯のへりからヴォドゥンが奈落の底を見つめた瞬間、何かがチカッと赤く光ったのをヴォドゥンは見た。
「婆ぁ、回避!」
「!?」
飄々として滅多に聞かない、ヴォドゥンの叫び声。聞き返すよりも早くシェバは絨毯を前進させ、グウェンドルフとアースガルの頭上を飛び越し、横穴に飛びこもうとする。
一瞬遅れてアースガルの首根っこを掴んで引き寄せた彼らの目の前を、赤い光の柱が横切った。赤い光はそのまま天井を突き抜け、空の雲も切り裂いて雲に隠れた月の顔を覗かせる。
天井を突き破って、岩がばらばらと雨のように降り注ぐ中、グウェンドルフが幻身を解いて、真竜の姿に戻っていた。
続く
次回投稿は、7/3(金)7:00です。




