イズの酒場にて、その1~金の髪のシスター~
***
「ふ~ん、じゃあ森オオカミと別れた後、河水馬にさらわれそうになって、寝床に木のうろを選んだら、その木がまた魔物だった、と。アンタ、どんだけ間抜けなのよ?」
「うるさいな~。私だって好きでやってるわけじゃないのよ?」
ここはイズの町の酒場である。イズの町はティドとミーシアといった大きな町の中間にあり、ティド~ミーシア間は馬で駆ければ半日程度で到着する距離である。そのためイズは宿場としてはあまり用をなさないが、ここから南に少し下れば炭鉱や鉱石採取の場があり、採掘業に従事している者の拠点となっていた。
とはいえイズにおける採掘事業が全盛期を誇ったのは既に30年以上も前であり、レアメタルや一攫千金を狙うような者は既にこの土地から離れている。残っているのは土着の人間や、この町から出る気概の無い者が主であり、そういった者ばかりが集まれば自然と土地柄というものは悪くなる。ややはずれているとはいえ東西を結ぶ主要な街道の一つにある宿場町なのに、ここは珍しく治安が良くなかった。
そろそろ日が沈んでから1刻も経っただろうか。小さな町とはいえそれだけに娯楽も少なく、逆に盛り場であるこの酒場にはそれなりに人が集まってきている。そんな中に年頃の女性が二人いれば酔っ払いに声をかけられそうなものだが、皆彼女達をちらちらと見るばかりで声をかけてこない。しかもなぜか彼らの目に、怯えの色が見えるような気がアルフィリースにはした。
「(何かやらかしたのね、このシスター・・・)」
このシスターは普段はフードで顔を隠しているが、結構、いや相当な美人である。青い瞳に透けるような金髪であり、大都市の貴族階級に多い風貌をしている。このようなシスターかつ美人ともなれば様々な危険を伴うため、巡礼するシスターには神殿騎士などの護衛がついているのが普通だが、このシスターは一人旅をしていた。いかに世間知らずなアルフィリースでも、さすがにこれは危険ではないかと考えたが、このシスターはアルフィリースよりも頭一つ小さいくせして、剣を振う彼女と腕力が同程度あるのだった。当然、腕力に見合った実力も。以前このシスターが深酒していた時に絡んできた男の顛末など、哀れ過ぎて語る気にもならない。うら若い女性が一人旅をするには、それなりの実力や理由があるということだろう。
ともあれ、アルフィリースがほうほうの体で魔物から逃れて辿り着いたこの町で、半ば彼女の予想通りこのシスターが待ち構えていた。アルフィリースが辿り着いたその日に散々からかわれ、さらに倍増した疲れから目を覚ましたのが翌昼過ぎ。それから町を出るのも面倒なような気がしたため、彼女はこの町にもう一泊して休息を取ることにしたのだった。幸いにも路銀にはまだ困っていない。
本当は柄の悪い土地での連泊など避けたかったが、体調が悪い状態で旅をするよりは幾分かましだと判断したのだ。そのせいで連日アルフィリースはこのシスターにからかわれているわけだが・・・その時、ふとシスターの目が真剣になる。
「にしても、河水馬なんて、通常もっと大きな河にしか出没しないのよね。しかも氾濫後とか、小さな川なら人里離れた場所に限るわ。植物系の魔物にしろ、多分木人とかだと思うんだけど、出没地域はもっと南だし。これは大きな街に着いたら、騎士団か教会に調査を依頼した方がいいかもしれないわね」
「どうゆうこと?」
カラカラと氷の入った手元のグラスを回しながら、シスターが答える。
「いい? 通常、魔物の知能は低いし、生息範囲を自ら広げに来ることはまずないわ。元の生息範囲を取り戻しにくることはあってもね。縄張を崩すような真似をするのは、人間くらいのものよ。
魔物が縄張りを広げるような行動をとるとすれば、森オオカミやゴブリンの群れとか、そういった単一種族が起こすことよ。今回みたいに複数の魔物の生息範囲が変わる時は、強力な指導者が存在してる可能性が高いわ」
「強力な指導者?」
「一般に魔王と呼ばれるような魔物が出現した可能性がある、ということよ」
「魔王って言うと、昔世界を滅ぼしかけたとかいうアレ?」
アルフィリースが半信半疑な様子で問いかける。彼女は、魔王などという存在は伝説の中だけの事と思っていた。既に魔王は人間が駆逐したとばかり思っていたが、そういえばギルドにある依頼の張り紙に「魔王討伐!」と書いた紙を見たことがあるような気がする。
だが、アノルンはアルフィリースの意見を否定した。
「それは極端ね。だいたい大陸は昔、魔物の方が占拠していたんだし。人間の勢力が大きくなってからも実際にいくつかの国は滅ぼした魔王はいるけど、現在そこまでの魔王は存在しないわ。あんたが言っているのは、魔王の中でも史実に残るような伝説級の個体よ。
一般的に、種族を超えた魔物を統括できるような魔物を、魔王と呼ぶことになっているのよ。だから魔王と言ってもその強さはピンキリ。ちなみにアタシが知っているだけでも、最低4体は現存しているはず」
「そんなにいるんだ」
「実際はもっといるでしょ。賢い奴ほど隠れ棲むしね。人間の社会で噂になるのはたいしたことがないか、よっぽどの大物よ」
「ふぅん、じゃあその4体なら私にもなんとかなるかしら?」
「いや、アンタじゃ無理だから」
「なんでよ~」
アルフィリースが不満を垂れるが、シスターは表情を変えない。
「歴史上の分析から、通常魔王討伐には最低一個師団、つまり3000人が必要だわ。魔王はある程度以上統率された軍勢を持つしね。安全に行くならっていう仮定の話だから、実際にはもうちょっと少ない人数で討伐に行くことも多いし、魔術士なんかを抱える国ならもっと楽に狩ることができるかもね。
さらに、世の中には数人のパーティーで魔王討伐をするような勇者サマもいるとは聞いたけど、まぁ世界に何人もいないわね」
「そうなんだ・・・」
「ちなみにアンタ、傭兵ギルドでの階級章とかもらってないの?」
「なんかこんなのもらってるわ」
アルフィリースは腰から階級章を出して、シスターに見せた。紋章には小剣の絵が刻んである。
「ん~それはランクE、一番下の階級章ね。まだまだ駆け出しじゃない。魔王討伐に傭兵が雇われることもあるけど、雑兵扱いでも最低Cランクからよ。まずはせっせと傭兵として仕事をこなして、ランクを上げることね」
「それはそうだけど、師匠の言いつけどおりにまずは東にいかないと」
「・・・永久にそこに行きつかない気がするのは、アタシだけ?」
「失礼ね!」
さすがに子供扱いされた気がしたのでアルフィリースはぐっと火酒を煽ったが、案の定むせてしまった。そんな彼女の様子を見て、またしてもシスターがニヤニヤしている。
「ほらほら、成人したとは言ってもまだ20歳にもならないお子様なんだから、一気飲みはやめなさい。旅をするなら酒は情報収集の時にも必要だけど、酒は飲んでも飲まれるなってね」
「シスター、説教くさいわ」
「そりゃシスターですもの。アタシたちは説教してナンボよ」
そう言って快活に笑うシスター。
「まったく・・・にしてもシスター、物識りよね。巡礼をいったいいつからやってるのよ」
「以前世話になった僧院を出てから10年は経ってるかしらね~」
「え、じゃあそろそろ3・・・」
「何か言った!?」
酒をアルフィリースの盃にどくどく注ぎながら、シスターの目が全く笑ってない。これ以上の追及は生命の危険にかかわりかねないと、アルフィリースの直感が告げている。アルフィリースはあわてて話題をそらしにかかった。
「と、ところでシスターは次はどこに向かうのかしら?」
「特に目的なしよ。魔物の件もあるからミーシアには最低行くわ」
「私もミーシアには行く予定だし・・・じゃそこまでは最低一緒ね」
「そうね。アタシはかよわいシスターだから、傭兵さんにしっかり守ってもらわないとね」
ウィンクするアノルンに対し、「どこがかよわいんだ」というセリフはぐっと我慢するアルフィリース。その突っ込みを入れると、一晩中酒の相手をさせられるだろう。
「でも、一介のシスターがそんなことを言っても、騎士達は聞いてくれるの?」
「あら。アタシこんなはかなげな風貌だけど、教会本部でもアタシより立場が上な人って数人しかいないのよ? そのくらい地位が高ければ、うちの宗派の国の騎士団をいくらかは独断で動かすことも可能よ」
「ほ、本当に?」
信じがたいという目を向けるアルフィリースだが、シスターが何の自慢にもならないと言った表情で応える。
「まあ気付けばこんな立場だったってのが正直なところね。地位には興味がなかったんだけど、一人でこうやって巡礼してるのが本部ではとても評価されているみたい。『まさに聖女のごとき苦行だ!』ってね。聖女が苦行するもんでもないでしょうに。本部のお偉いさんも変わった人が多いから」
「シスターが偉い人なんて、なんだか世の中間違ってる気がしてきたわ・・・」
「なんでさ! まあアタシとしては地位があっても、弟子とかまっぴらごめんなんだけどね。希望者は山のようにいたんだけど、めんどくさいから本部で一回演説したら皆辞退したわ」
「・・・念のため聞いておくけど、何について話したの?」
おそるおそる尋ねるアルフィリースを見て、シスターがニヤリとする。
「旅先における、酒と男のあしらい方について」
「・・・信じられない」
「もう大司教の青ざめっぷりが傑作でね! シスターたちはアタシの演説の素晴らしさに次々気絶するし、中々素敵な時間だったわ」
「私、頭が痛くなってきたよ・・・」
こんなことを天使のような風貌で話すのである。だれが見た目でこのシスターの本質を見抜けようか。
「ところでアタシのことばっかりじゃない。たまにはあなたのことも話しなさいよ」
「私のことなんかつまらないわよ?」
「そうでもないわ。7年間も山籠りなんて普通じゃないし、あなた最初に出会ったときは夏でも長い肌着を来てたわよね? あのクソ暑い日にそんな恰好だったから、アタシの目を引いたのよ? まあ男並みの長身で、美人で、しかも黒髪ってのもあるけどね」
「シスターが『クソ』とかいうもんじゃないわよ」
「話を逸らさないでよね。まあ冒険者が着込むのは、色々下に隠すためでもあるから不思議じゃないけど、それでもローブやマントでよくない? あなた絶対に人に肌を見せようとしないし・・・病気とか、悪い事して懺悔するならシスターの前がいいわよ? いまなら格安で聞いてあげるわ」
そこまで言って、シスターがグラスの酒をグビリと飲み干す。酔っ払った状態で懺悔を聞くつもりなのだろうか。
「お金取るの? まあ懺悔するようなことは何も・・・してないってわけじゃないわね」
「人に言えることなら言った方が楽よ。一応アタシもシスターですからね、懺悔の内容について他人に漏らすことはないわ」
「うん・・・ありがと。でもこれも師匠の言いつけでね、あんまり人に話すようなことじゃないんだ。でも万一それでシスターに関係がでてくるようなら、きっちり話すから」
「そう、ならアタシも深くは追求しないわ。でも夏場にその恰好は否応なしに目立つわよ。多少は事情が知れれば、知恵だけでも貸せるとは思うわ」
「それは・・・」
このシスターになら少しだけ話してもいいかもしれないと、アルフィリースが思った矢先である。
「オヤジ、酒だ! さっさとしろ!」
突然の粗い声と共に、いかにも柄の悪そうな連中が入ってきた。ここの酒場にたむろしている者もお世辞にも上品とはいえないが、今入ってきた連中は段違いの人相の悪さである。みかけで人を判断するのは良くないが、日ごろの行いは外見に現われる。旅をして長くはないアルフィリースだが、何度も危険な目にあったせいで、それなりに人物を見る目と危険性については身についた。今入ってきた連中の人相は、まさに恐喝や暴行を楽しめる種類のそれだろう。
よしんばそういった危険性がわからなかったとしても、他の客にはそそくさと酒場を離れるものや、明らかに目を合わせまいとする仕草が見て取れた。かなり危険な連中なのかもしれない。この空気が読み取れない者は、旅をする資格すらあるまい。
「面倒くさいことにならなきゃいいけど」
さっきまで大量に酒を飲んで、やや目がとろんとしていたシスターの目に鋭さが戻っている。やっぱりこのシスターは侮れないと、アルフィリースは感じた。
「部屋に戻ったほうがいいかしら」
「あいつらが座った席の隣を通って? 逆にここは端だし、目立たなければ見えないわよ」
「いや、シスターの恰好が目立つわよ」
「それもそうね・・・おい、そこの!?」
シスターが目の前の男達を呼びつける。すると、
「へぇ。なんでしょう、アネゴ」
「シスターと呼びな。ガタイがでかいの何人か集めて、あの柄の悪そうな間抜け面どもを私の目の届かないようにするんだよ。酒がまずくってしょうがない」
「わ、わかりやした」
大の男どもがすごすごということを聞いて動く。
「(私が到着する前に本当に何をやらかしたのか、このシスターは)」
などとアルフィリースが考えるのも無理はない。
「アネゴって何よ?」
「そこは流しといてよ。ともかくこれでいいでしょ。あの手合いは関わらないのが一番よ」
「シスターに関わったら、向こうの方が運のツキかもしれないけどね」
「人聞きの悪い」
「事実よ」
そのようなやり取りを2人が続けるうち、そのタチの悪い連中から明らかな脅し文句が聞こえるまで、そう時間はかからなかった。
続く