戦争と平和、その520~導師の会合④~
「これは?」
「七つの優れたる種族が、まだ健在であったころからの記録の一部だ。本来それらは遺跡の管理者たちのみによって保存されるべきものだが、管理者不在の今、亡き導師の仲間が保存していた。資格なく保存していたので永遠に封印しておくべきものだと考えていたが、このまま我々がいなくなれば散逸してしまう。それではあまりにも惜しかろうとな。かつての時代のことを知る、唯一にも近い手掛りかもしれぬ」
ルヴェールは本を開いて中を見たが、一文字も理解できない。しかも、複数の言語を利用して書かれているようだが、似通った言語は思い至っても、確実にこれだとは理解できなかった。
「・・・私にはまったく読めませんね」
「今では失われてしまった言葉だからな。古い遺跡などの手掛りを使ったり、竜言語などが使える者なら読むことができるかもしれない。そうなると、読める者は限られるだろうな」
「(そう・・・だったら、アルフィリースなら一部でも読めるのかもしれない)」
ルヴェールはそう考え、おそらくは導師たちもそのつもりで渡したのではないかと推測する。そして本の最後に、どうやっても開かない箇所があった。
「――魔術で鍵がかかっているのですか?」
「そのようだが、こればかりは私たちもわからない。この本を作った導師は我々の中でも変わり者でな、一時期遺跡に入り浸っていたことを覚えている。その時遺跡から持ち帰った何かをそこに入れたのではないかと推測しているのだが、仕掛けを作るのが得意な奴でな。天才だったとは思うのだが――まぁ、詳しくは魔力を通してみるといいだろう」
ルヴェールが言われたとおりに魔力を通すと、本から文字と図形が浮き上がってきた。薄暗い部屋に輝く立体図が浮かび上がり、ルヴェール思わず目を奪われた。何らかの問題なのだろうが、ルヴェールには意味がさっぱりわからない。同時に、目の前に浮かんだ数字が減っていくのがわかり、どうしたものかとルヴェールが焦る。
「これはなんですか?」
「おそらくは、幾何学の謎かけだと思われる。正しい答えを選べば、次の設問に行ける仕組みだ」
「間違えれば?」
「問題が消えるだけだ。だが一度間違えると、次の機会は一月後になる。そして無理に開けようとすると警告が出る。乱暴にこじ開ければ、中身は永遠に失われるだろう。そういう仕掛けを作るのが得意だったからな。
そして設問は一つではなく、複数ある。我々も悠久の時の中で何度も挑戦したが、三問目までしか到達したことがない。三問目に至っては数字を記入する形のもので、制限時間は一日もあった。だがさっぱり理解できず、導師全員の知恵を集めたが諦めたよ。解くためにはかつての7種族の知恵が必要だろうな」
「そんなもの、絶対に答えられないのでは?」
「アースガル曰く、常識を覆す者がいるのだろう?」
ルヴェールは即座にアルフィリースの顔を思い浮かべ、彼女ならなんとなく素知らぬ顔で解けてしまう気がした。
「確かに。色々と常識の通じない相手ではありますから」
「ならば期待するのも一興だろう。首飾りもその本の製作者が持っていたものだ。我々の連絡手段も兼ねているから、身に付けろとは言わないが、近くに置いておくとよい。それがあれば、我々に連絡をとることが可能だ。
アースガルがいなくなった今、ターラムの場の安定を測る必要もあるだろう。今やれることはやってから去っただろうが、ターラムを管理するうえで問題があれば聞くといい。暫定的にだが、そなたに導師アースガルの役目をやってもらう必要がある」
「これはご丁寧に――しかし、ターラムの管理がそれほど重要なのですか? 人間にとってはともかく、導師たちにそれほど重要な意味をもつとは思えませんが」
「――なるほど、アースガルは何も伝えていないか。だがそなたも魔女なら気付かずとも、意識したことはあるだろう? ターラムにはいろいろと集まるのだ。そう、いろいろとな」
導師たちの言葉の裏の意味を、ルヴェールは探る。その意図するところを察し、ルヴェールは何となく納得できた。
「・・・詳しくは自分で調べますよ。とにかく、アースガル導師の不在により問題が生じれば、あなた方に相談すればいいのですね?」
「そういうことだ。それもどこまで応じることができるかはわからぬがな」
「どういうことです?」
「オーランゼブルの計画が動けばそれもわかるだろう。それにしても、アースガルはもう戻らぬだろうに、冷たい反応だな。仮にも師弟だったこともあるだろうに」
導師の指摘にルヴェールは素っ気なく応答する。
「尊敬できる師匠ではありませんでしたから。頼んで弟子となったわけでもなければ、袂も分ったようなものですし。ある日勝手にやってきて勝手に去っていく。そのような人です」
「ふふ、奴も弟子との人間関係には失敗したか。人間の相手は苦手だと常々言っていたからな」
「ただ――」
「ただ?」
「魔術を使う者として、信頼はしていました。ターラムの各種結界はほとんどアースガル殿の発案と設置ですし、ターラムにとってそれが有益だったことは間違いがないので」
「人間としては信頼できないが、魔術士としては信頼していたのか。なるほどな。そなたならば、この工房の機能もそのまま引き継げるだろう。こまめな奴だったから、魔術書なども記載しているはずだ。奴の遺産になるだろう、受け取るがいい」
「では遠慮なく」
ルヴェールはそうして導師たちと再度会合する約束を経て、工房を後にした。地上に出る過程で、首飾りに付随している宝石を手に取って眺める。人間の瞳よりも大きな八角錐の形をした紫の宝玉は、暗闇の中ではほんのりと発光し、逆に光の中ではその輝きを潜めるようだった。
「この宝石、一体何でできているのかしら・・・黄金の純潔館で働く間に高価な宝玉はおおよそみたつもりでいたけど、一度も見たことがないものだわ。導師の方々に聞いておけばよかったかしら」
ルヴェールが地下の工房を出て一階の居間に上がると、そこの様子も少し変わっていた。精霊たちのさざめきはなりを潜め、家主が去ったことを示している。いつもこの工房は精霊が多すぎて落ち着かないと考えていたルヴェールだが、やはりいなくなれば寂しいものだと、遅れながらアースガルの無事を祈ったのだった。
続く
次回投稿は、5/8(金)11:00です。




