戦争と平和、その494~クルムス陣営、深夜①~
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「レイファン様は?」
「さすがにお休みになられたわ」
レイファンの宿のこと。警備の一部をイェーガーから出してはいるが、レイファンの寝所に近い警護はさすがに近習が受け持っている。
そのとりまとめはノラ。レイファン即位時より、変わらぬ警護担当だ。そしてその近習たちも、ノラの気心の知れた仲間によってほぼ占められている。彼らは元暗殺を兼業する娼婦たちがほとんどだが、取り立ててくれたレイファンに忠誠を誓っていた。そしてレイファンもまた、彼らを出生で差別するようなことは決してせず、働きに応じて大切に扱った。
今や彼らはレイファンにとって信用のおける精鋭であり、またレイファンが新しく運用する諜報部隊ブルーウィンの一部も担っている。レイファンが寝てからも、彼らは休むことなく活動している。
ノラはレイファンが就寝したことを確認するとそのまま部屋を出て、外にいた夜警の者たちに話しかける。
「さて、報告を聞きましょう」
「はい。レイファン様の指示通り、噂をばらまきました。内容はアルネリアの不信感を煽るもの、シェーンセレノの中傷、そして合従軍の危うさを示すものと優位性を示すものです。
会議の前から各使節に潜り込んだ我々の手の者、あるいは平和会議が始まったころより変わらず流しておりますが――レイファン様の予想通りになりました」
「つまり、アルネリア相手の情報はかき消され、シェーンセレノ相手の中傷は一定以上に響かず、合従軍は優位性を示す噂ばかりが広まると?」
「まさに」
報告を上げた者はやや青い顔に見えた。夜の照明のせいだけではなく、その手ごたえがおかしいことと、レイファンの予想通りに事が進行してしまうことだろうか。
裏の世界に生きている者として、噂をばらまくことなど日常茶飯事である。ただここまで大規模かつ用意周到でやるのは初めてだが、それがあまりにレイファンの予想通りになっていることが恐ろしいのだ。それは底なしの沼に杭を打つような出ごたえしかなく、誰もここまで噂に踊らされない状況を見ることが、彼らにとって恐ろしかった。
報告をしているブルーウィンの一人が、ノラに不安を吐露する。
「あの・・・レイファン様はこの結果をいつから予測されていたので?」
「最初からよ。おそらくこうなるだろうと、最初から告げられていたわ。諜報戦ではアルネリアに勝てず、シェーンセレノには通じない。そして何をしても、戦いの機運が高まるだろうと予測されたわ。ただその結果を確かめる必要があるとも」
「確かめる。何のために?」
「さて・・・」
ノラはそこまで告げなかったが、レイファンからはしっかりとその理由を聞いている。アルネリアの諜報機関の力量がどの程度なのか、レイファンは確認する必要があると述べていた。ブルーウィンはノラもレイファンも自信をもって作り上げた組織だ。少数だが、精鋭ばかり。表向きに大きな戦力を持てないクルムス公国は、諜報戦に全力を注ぐ覚悟でレイファン就任以降鍛えた組織である。
もしこのブルーウィンが手も足も出ないとなると、練度そのものを最初から見直す必要がある。山がどの程度かわからねば越えようもないからだ。レイファンの予想では、アルネリアの諜報機関は大陸最高。諜報機関の練度は歴史に比例するだろうことは予測できるが、わずかでも通じねば諜報戦を本格的に仕掛けることは自殺行為に等しいと理解すべきである。今回の会議で主導権を握ることは見送るべきだと、レイファンは考えていた。
一方、シェーンセレノが最近頭角を現した人物であるなら、諜報戦では互角になると想定された。だが会議に入る前の下調べでは、どうも強固な国際的組織をもっているように感じられた。それが「賢人会」なるものであることまでは理解できたが、その正体がつかめない。それなりに歴史はあるようだが、アルネリアにすら圧力をかけていることを見ると、まっとうな組織ではないように感じられた。
諜報戦でこちらを潰しに来るのでもなく、ただ効果がない。これは既に諜報うんぬんではなく、魔術的な要素が加わっているとレイファンは考えた。魔術が相手では、現時点のレイファンはお手上げと考えている。一応『ある手』を打とうとはしたが、まだそこまでの影響力を持つにいたらない。
そして現代において、戦へ世論が傾くようなら、非常に危険だと思っていた。自分の兄が起こした戦争でさえ危険視されて抑え込まれたというのに、どうしてこの流れで戦争に世論が傾きうるのか。それは、この戦争が予め決められた予定調和に他ならないと考えたのだ。
ならば、やることは一つである。戦争に「自主的に」加わるのか、「巻き込まれて」加わるのか。各国の動きを見定め、どれが本当に人間の中に潜む敵なのかを見極めることが必要になる。レイファンは兄ムスターの最後を忘れてはいない。誰かに操られ、人間性すら歪められて、国が滅びかけた。二度とあのような悲劇を起こすべきではないと固く決意している。
そのためのアルフィリースとの契約、ドライアンやミューゼとの関係性である。現時点で信用できるのはこれしかないと、ノラにだけは正直に話していた。
だからこそ、ノラは自分の仲間すら信用しない。ブルーウィンに既に誰かの手が入っていることを否定できないのだ。だからノラは一度目を閉じ、静かに事実だけを諜報員たちに告げた。
「主の御心は主のみが知る。お前達は充分に役目を果たしたわ、今日は休みなさい。また明日起きれば、レイファン様が新たな仕事を与えるでしょう。今日が一番休める日、そうなるのではないでしょうか?」
「ですが、しかし――」
「アルネリア、ローマンズランド、アレクサンドリアなどの天幕は忙しそうですが。調べなくてよいのですか?」
「何かが起きているのは知っています。ですが、現時点ではお前たちの仕事の範疇ではない。下がりなさい」
ノラの厳しい一言に、無言で下がるブルーウィンの者たち。そして入れ替わりに、ノラが個人的に使用する者が入ってきた。
「はぁい、お久しぶりね、ノラ」
「フェリン、遅かったじゃない」
「仕方ないでしょ? こっちだって他の仕事をしながらなのよ?」
フェリンはかつてのノラの仲間であり、現在はターラムで働く娼婦である。そしていまだに暗殺者として現役である女でもある。今回、特別にノラが報酬を払ってターラムから呼び寄せているのだ。もちろんフェリンとその仲間数名も共にである。
続く
次回投稿は、3/17(火)13:00です。連日投稿になります。