ルキアの森の魔王戦、その3~呪印解放~
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「くっ、ふっ!」
魔王の突き出す手をかいくぐりながら、必死に間合を取るアルフィリース。彼女はリサとは別々の方向に逃げながら矢を射かけている。リサは身軽とはいえやはり盲目なので、あまり切羽詰まった状況で逃がすのは危ないとアルフィリースが判断した上での行動だ。
そのためリサには目的地まで一直線に走るように指示しておいて、アルフィリースはジグザグに走りながら魔王の注意を引いていた。そしてアルフィリースが危機に陥りそうになるたびに、リサが気配を飛ばして注意を引くと言った作戦だ。
魔王には目が沢山あるゆえか、リサが気配を飛ばす度に反応して目を向けるため、アルフィリースへの注意が一瞬それる。それを利用して距離を保ち続けていた。即席にしては良い連携である。これもリサの能力が優れるゆえだった。
「(よし、このまま…)」
やや開けた、目的の場所が見えてきている。残り50mもないくらいか。リサは既にその手前まで到達している。と、その時魔王の目が一斉にリサの方に向き直った。
「な、なんで?」
魔王もこのままでは埒があかないと考えたのか。先にリサをなんとかするために、アルフィリースを無視してリサの方に全力で駆けだした。
「リサ、逃げて!」
魔王が跳ぶようにして前方に突進してゆく。そして空中でリサに向かって酸を吐き出した。
リサの方もその動きを察知したのか、既に広場に向かって走り出しており、前に飛びこむようにして転げまわって逃げた。酸はぎりぎり回避したが、足を取られて立ち上がるに時間がかかる。その間わずか数秒だったのだが、リサが立ちあがったときにはほんの10mもないくらいの位置にまで魔王に追いつかれていた。
「目的地まで残り10mもないのに・・・リサッ!」
アルフィリースは矢を射ようとするが、リサが手を上げてアルフィリースを制する。自分でどうにかする気なのだろう。
確かに魔王の背後にいるアルフィリースに魔王が再度突進してきたら、彼女はそれこそ危機に陥り、誘導も台無しになる可能性がある。
「だからって!」
そんなアルフィリースの心配をよそに、リサは冷静だった。魔王と面と向かっているのに呼吸もほとんど乱れていない。大した肝の据わりっぷりである。魔王もじりじりと距離を詰めるが、一気には仕掛けない。リサも魔王の動きに合わせてじりじりと下がる。あと8m、7m・・・5m。
ここで魔王が動いた。手を使ってリサを捕まえに行くが、リサはひらりとかわす。だがかわした方向には木があり、さらに魔王もこの動きを予測したか、リサが跳んだ方向に酸を吐き出す。それでもリサは冷静だ。
「感知済みです」
と言って、自分のローブを使って酸を防ぐと同時に、一瞬魔王の視界から自分を隠す。さらにローブを脱ぎ捨て、木を上手く蹴って一気に距離を稼いだ。苛立った魔王が奇声と共に突進してくる。そして広場にリサと魔王が入った瞬間――
「リサ! 横に跳べっ!」
アノルンの鋭い声と共に、周囲一面が光に包まれた。
「こ、これは? 光爆弾?」
爆発の代わりに閃光を発生させることで、相手の視界を奪うためのものだ。主に相手を生け捕りにしたいときに用いられるが、ここまで光の強い爆弾をアルフィリースは知らなかった。アノルンの特製だろうか、アルフィリースも何も見えない。
そして虚をつかれた魔王の動きが一瞬止まる。その隙を利用してアノルンが対魔系の神聖魔術を行使する。
【我、光の主に仕える従順なる僕にして、主の法の執行者なり。今まさに悪しき魂を捕えて、主の御手に委ねんとす。ここに汝が奇跡の片鱗を示さん】
《光縛牢》!
光が捕縛網のようになって魔王を絡めていく。アルフィリースは初めて見たが、結構な高位魔法のはずだ。やはりアノルンが高位の司祭であることには間違いがないらしい。
自由を失った魔王が光の網の中でもがきまわるが、簡単にははずれない。
「いけぇ、アルベルト!」
「ォオオ!」
間髪いれずアルベルトが斬りかかる。最初の一撃で魔王の片側の手を一斉に斬り払った。そして出来た空間を利用しながら回転し、バランスを失って倒れてくる魔王を渾身の一撃で斬り上げる。
「ムン!」
アルベルトが振り上げた剣は、そのまま見事に胴体を輪切りにした。流石の魔王もなすすべなく真っ二つになり、ズズン、と音を立てながら倒れこんだ。魔王が倒れ込むと同時に切り口からは血が噴き出し、そして開いていた口や目が徐々に閉じていき、手も溶けるように腐り落ちて行った。
その光景を見届けたアルフィリースは、リサに駆け寄る。
「リサ! 平気!?」
「大丈夫ですアルフィ。ちょっと擦りむいたくらいです」
「ごめんね、引きつけきれなくて・・・」
「お気になさらず、後退する過程のうち、あと数歩以外を引き受けてくれたのです。状況によっては半分くらいはリサがやることを覚悟していました。まあ、どうやらリサでは数十歩も逃げ切ることは無理だったでしょうね。デカ女にしては上出来です」
「もう、口の減らない子ね」
アルフィリースはリサの頭をコツンとやろうとするが、リサはひょいっ、とよける。もう一発やろうとしたが、また避ける。今度はフェイント込みの連続で繰り出してみたが、全部避けられた。
「・・・か、可愛くない!」
「感知済みです」
リサがふふっ、と微笑む。
「(ちょっとは打ち解けた、かな)」
それでもこの一連の戦いを通して、アルフィリースは少しリサとの距離が縮まったような気がしていた。
***
「やったのでしょうか?」
「どうだろう? でも大ダメージではあるかな。とっとと跡形もなく燃やした方がいい」
「ではその準備を」
アノルンとアルベルトが、動かなくなった魔王の体を見ている。体を真っ二つにしたからといって死んだとばかりは限らないが、少なくとも今は動く気配が無い。ならば今のうちに完全に燃やしたほうがいいと、アノルンがアルベルトとアルフィリースに指示をした。アルネリア教会は動く死体(ゾンビ―)を相手にすることもあるため、彼らは火葬用にある程度の燃料や聖水を持ち歩く。今回ももちろん準備はしていた。
アルベルトが斬りかかるのに邪魔であった荷物は、木陰に置いてある。アルベルトとアルフィリースがその中にある燃料を取りに行こうと、魔王に背を向けたその時。
「! まだです! ボケっとしないで、アルフィ!!」
魔王の死骸があるはずの方向から、矢のような何かがアルフィリース目がけて何本も飛んでくる。アルフィリースは完全に虚を突かれており、振り返る前に避けるという反応ができなかった。
リサが彼女をかばおうと抱きついてきたが、軽量なリサではアルフィリースを押し倒すのが間に合わない。そして――
ドン! ドドン! ドン!!
明らかに肉体を貫く音が、鈍く響き渡る。
「(え・・・? 私、死んだのかな・・・?)」
だがアルフィリースに痛みはなかった。おそるおそる彼女が目を開けると――
「う・・・ウソ・・・」
目の前にはアノルンがアルフィリース達をかばうように彼女達の方を向いて立っていた。その体中から何かが突き出ている。
「・・・アノルンって、こんな装備付けてたっけ?」
「・・・怪我してない、アンタ達?」
「アノルン!」
リサの一言で我に帰るアルフィリース。ぐらりと倒れかかるアノルンを抱えるが、アノルンの口から血が吹き出ている。
「ド、ジったぁ・・・うぶっ」
さらに大量の血をアノルンは吐き出している。
「アノルン、アノルン! な、なんてこと、血が止まりません。アルフィ、何をぼやっとしてるんです! 血止めを!!」
「なんで・・・アノルンの胸からこんなのが突き出てるの??」
体を何本かの矢のようなものが貫いているが、心臓の位置からも矢が突き出ている。これでは・・・助からない。まるで現実感のない光景をアルフィリースは頭のどこかで冷静に分析しているが、リサは完全に狂乱状態だ。
「なんでもいいから血を止めるものを早く!」
「これって・・・致命傷、だよね・・・?」
「アルフィー!!」
「なんで・・・あんなに強いアノルンが・・・なんで・・・」
「脈が・・・脈が急激に弱くなってる・・・こ、これでは・・・」
リサが懸命にアノルンに呼び掛けてるが、遠い世界の出来事のように声が遠ざかり、アルフィリースの目の前が真っ暗になっていった。アルベルトが剣を構えなおした姿がぼうっと見えるが、まるで夢の中の出来事のようだ。
「(アルベルト・・・一体何に剣を向けてるの??)」
そのアルベルトの剣が向いた先では――
魔王が再生を始めていた。いや、正確には違う。輪切りにした二つの柱から、中身である何か肉のようなモノが這いずり出てきていた。そして人型に変形していく。
片方は顔らしき部分に大きい一つの目が。もう片方は全身に小さい目が浮き出てきている。そして共通するのは体の正中に大きな口が縦に開いていること。さらに手がそれぞれ5本と6本。手の先に指はなく、爪のようなものが不規則に生えている。そしてそれらの目がアルフィリース達を認識すると、ケタケタと笑い始めた。
「アルフィリース殿、一度撤退を! シスターを連れて早く! ここは私が時間を稼ぎます」
「・・・どいてよ、アルベルト」
「アルフィリース殿!」
「私は、どけと言った!!」
瞬間、凄まじい殺気をアルベルトは自分の背後から感じ、思わず身がすくんだ。彼は剣を握っておよそ20年、戦場に出てから既に10年。恐怖や冷や汗を感じることはあっても、圧力で身がすくんで動けなくなったことなど一度もない。そのアルベルトが一歩も動くどころか、振り返ることもできずにいた。そしてその横をアルフィリースが悠然と歩いて前に出る。
「お前達が、アノルンをやったのか?」
女性とは思えない程低く威圧的な声で発するその問いに、答えることなくケタケタと笑い続ける魔王達。
「・・・その鬱陶しい笑いを止めろっ!」
アルフィリースが叫ぶと、一帯の大気がざわりと震えた。流石の魔王達も驚いたのか、笑いが止む。
「真っ二つにしても死なないのね・・・わかったわ、跡形もなく消し飛ばしてあげる」
聞いたこともないような暗く深い声をアルフィリースが発する。そしてアルフィリースが右腕の袖を引きちぎると、服の下の呪印が姿を表す。その呪印はまるで生き物のように蠢いており、同時に何かしら黒い液体が滲み出てきて、彼女の足元に小さな漆黒の水たまりを作っていた。血にも似ているが、それにしては色が黒すぎる。
アルフィリースの、女性の体にそのような黒いモノ(呪印)が蠢いているのは、見ているアルベルトに生理的な嫌悪感をもよおした。だが一向にアルフィリースは気にかけていない。もはや怒りでそれどころではないのだろう。
【解呪】
その一言で右腕の文字が空中に浮き出てくる。
【我と誓約を結びし古の封印よ、我が血肉を代償にさらなる力を我に授けん。汝が誓約の主はアルフィリース。その因果と律により、我が敵の全てを貪れ!】
そして空中で組み換わり、再びアルフィリースの右腕に戻っていく。するとアルフィリースの体から、可視化出来るほどの魔力がほとばしり始めた。
続く
次回投稿は10/21(木)20:00です。よろしくお願いします。