戦争と平和、その326~統一武術大会五回戦、ベルゲイvsセイト⑦~
「いや、本気だったさ。今ここで出せるものは全て出したつもりだ」
「そうか。ならその言葉を信じるとしよう」
「それより一つ教えろ。あの遠当て、誰に習った? 脚で撃つなど初めて聞いたが」
「誰にも習っていない。そういう技があると聞き、自分で練習してみた。手で撃つものだと聞いていたが、手で撃つよりも脚で撃った方が強いに決まっている。どうして手で撃つ技だと思い込んでいるのか、そちらの方が不思議なのだが」
セイトの言葉にベルゲイは一瞬唖然とし、そして笑った。なるほど。これがあるから彼の拳聖ゴーラはいまだに拳の修業をしているのかと、納得がいった。思うようならないのは、人間である此の身のみかと。
そしてセイトの肩を叩いて、ベルゲイは去っていく。
「お前との戦いも会話も楽しい。もっと強くなれ、俺もそれを見てみたい」
「強くなるかどうかはわからん。俺は獣人だが、それほど長命な種じゃない。せいぜい人間の倍もいかない程度だ。その間にいかほど強くなれるやら」
「強くなるさ、俺より遥かにな」
「待ってくれ、俺はあんたに教わることがまだたくさんありそうだ。この大会が終わったら修行をつけてほしい。頼めるか?」
セイトにすれば真摯な申し出であり、ベルゲイも歓迎したかった。だが、それは決して適わない。
だが断ることもまた、ベルゲイにできようはずもなかった。
「ああ、いいだろう。大会が終わったら声をかけてくれ。お前の傭兵団に俺たちの仲間が加わるだろう? その女に聞けば俺の居所はわかる」
「わかった。楽しみにしている」
「大会が終わったら酒でも飲みたい気分だ。上等の奴を用意しておいてくれ、それが条件だ」
「いいだろう。俺は下戸だからあまり付き合えんがな」
その真面目くさった物言いがどこか面白く、ベルゲイは笑顔で去っていった。戦いには賞賛の拍手が雨のように降り注いだが、それにベルゲイも応えるように手を上げた。ベルゲイは自分がそのような反応をしたことに自分で驚いていたが、不思議と悪い気はせずに競技場を後にした。光の当たる場所に一族の者を多く出してやっていれば、このような人生もあったのかもしれない。その一端を垣間見ることができただけでも、なんという巡りあいかと幸運に思えた。そしてアルフィリースに仲間を託せたことも。
セイトはそのベルゲイの後姿をどこか名残惜しく見送ったが、右肩の痛みで我に返った。ベルゲイの蹴りで折れているだろう。制限のない実戦であのまま戦えばどちらが勝っていたかはセイトもわかっていた。
「・・・悔しいものだな、力が及ばないというのは」
セイトは左拳を握りしめると、勝ったにも関わらず声援には応えることなく会場を後にした。この時、セイトの内心の変化に気付いた者はそう多くはない。
この戦いを見守っていたラインはセイトの才能の開花を密かに喜んでいたが、その傍にいるロッハが逆に難しい顔をしていたので、不思議がって問いただした。
「どうした、大将。強い獣人の出現だぜ、喜ばねぇのか?」
「いや、嬉しいのはそうだが」
セイトの強さがここまでだとは思わなかったのだ。そしてここで勝ったことで、次は天覧試合となる。このままでは天覧試合でも勝ち抜けかねない。
ロッハは正直、適当なところで負けるつもりでいた。獣将の力を白日の下にさらすのが良いこととは思えなかったし、所詮は競技会だ。命を賭けたやりとりとは違うし、本気になる必要はないと考えていた。そして獣人がこの大会で活躍しすぎることがどのように受け止められるのか。苦々しく思われるようなら、グルーザルドの交渉にとってまずいことになる。
さらにセイトの強さが人間世界に広まることが、グルーザルドにとってよいことなのか。ロッハには判断がつかなかった。いち獣人の隊員があそこまで強いことが、グルーザルドへの余計な敵愾心や警戒心を煽りかねない。それに戦いで熱しすぎ、相手に重傷でも負わせてしまえば、それこそ平和会議で不利な材料を相手に与えるだけではないのか。
チェリオとリュンカはまだ年若い。戦闘での指揮経験はそれなり以上でも、政治はできぬと考えている。正直あの二人がさっさと負けてくれてよかったのだ。外交で過小評価されることは有利に働きうるが、過大評価は今はまずい。
「(一度王に会って判断を仰がねばな。そして次の試合で棄権するつもりでいたが、勝たねばなるまいな。最悪、セイトを止める必要が出るだろう)」
ロッハは余計な悩みの種が増えたと悩んでいたが、かつて年若いドライアンを抱えた時のカプルも同じような悩みをもったことは、まだ知る由もない。
***
「――どうしてこんなことに!」
感情に任せて机を叩いたのはミランダだった。
その頃、平和会議の会場は騒然としていた。さすがに諸国の代表であるから叫ぶ者は誰もいなかったが、シェーンセレノなどの女性や、あるいは気が弱いものは体調不良を訴え、席を外して救護室に行く者が多数いた。
その理由は、大陸東の端の国家であるプラジュール公国の使節代表であるセイラーズが用を足している時に殺されていたからである。いつまでも出てこない使節代表のことを部下が迎えに行き、トイレに座ったまま首のないセイラーズが発見された。まだ首からは血が湧きだしており、部下が叫んで発覚したのだ。
セイラーズが個室で用を足している間、人の出入りは多かった。確認できているだけでも、50名近くが出入りしている。だが平和会議を行う建物では出入りの時には厳しい確認作業があるが、建物内は自由に動ける。そのため誰がその時中にいて、誰がいなかったのかを確認するのは困難だった。神殿騎士団も見回りはしていたが、トイレの番をしていたわけではない。
会議九日目にしておおよその方針が決まり、明日からは天覧試合を各使節団が安心して見守ろうという流れになりそうな時になり、会議は急遽中止となった。
「ふん、話会うことがないのなら帰らせてもらおう」
ローマンズランド王スウェンドルはさっさと自分の幕舎に引きこもろうとし、衛兵に止められかけたがそれらを押しのけるように強引に出て行った。代わりにアンネクローゼが残ることとなったが、再度王の補佐を務めることになった矢先のことであり、ここまでの流れを知ることもままならずこうなったことで、明らかに狼狽していた。
そして討魔協会の浄儀白楽は逆に目を閉じたまま、大会議室で憮然としていた。既にあたかも会議に最初から参加していたかのごとく、そこにいるのがさも当然とばかりにテーブルの中央を占拠している。
その浄儀白楽も、一度ちらりと補佐の詩乃を見て囁いた。
続く
次回投稿は4/11(木)17:00です。