戦争と平和、その324~統一武術大会五回戦、ベルゲイvsセイト⑤~
その歩みは遅いでも速いでもなく、ただゆらりと歩くように前に出た。そして掴むまでの一連の動作が、先ほどのベルゲイの『凪』と同様、希薄な気配で行われているのだ。
ベルゲイは、背筋からぞくぞくする興奮を隠せなかった。
「(こやつ、俺が10年かかった動作を見ただけで真似るのか! 完璧には程遠いが、何という再現力か)」
だがもちろんベルゲイはセイトの手を弾く。ベルゲイが使用するのは、『瞬撃』と『凪』を組み合わせた受けの技。まだここに『瞬動』を混ぜることは能わず動くことは叶わないが、迎撃の技としてはベルゲイの知る限りこれを上回るものはない。手を出した者はわけもわからず引き込まれ、その命を奪われる。
『柔獄』と名付けたその技は、剣や魔術ですら捉えうる。まして素手の状態でこの技を攻略する方法はまだベルゲイ自身も思いつかない。本来なら相手の攻め気を誘って使用する技だが、返し技としてはベルゲイの知る限り最強だ。
一度掴めばそれで終わらせることも可能な技に対し、セイトは『凪』を使用してベルゲイの反応をわずかに遅らせる。そしてベルゲイの手が触れるか触れないかで、手を引く。その一瞬の動作が高速ゆえに、ベルゲイとセイトの間では乾いた手を弾く音だけが炸裂し、何が起きているかを見える者はまずいなかった。傍目には、ゆっくりと出したセイトの手が一瞬で戻り、ベルゲイの動作は誰にも見えないという非常に奇妙な光景だった。
「何が起こっているんだ?」
「焚火で木が弾ける音みてぇなのがさっきから凄えな」
「つーか、つまんねぇぞ! 握手じゃねぇんだからよぅ!」
一部の観客からは野次が飛んだが、格闘術の心得がある者は恐ろしい攻防だと思っていた。一瞬セイトが油断すれば、そこで戦いは終わるのだ。そしてそれがわかっていながら手を出せるセイトの行為は、蛮勇にしか見えなかった。
「ほっほ、面白い技を使うのぅ」
ゴーラがこの戦いを観察していたが、本当のところかなり前からゴーラはベルゲイとセイトに注目していた。拳を奉じる一族はゴーラが指導をした中で、最も大多数かつ長くその技術を発展させてきた流派。その根底は姿勢、受け、崩し、であり、身体操作を中心に教えた結果がこのベルゲイだと考えている。
「まだ隠し玉はありそうじゃが、人間は面白い発想をする。こういう発想はワシにはないからのぅ」
ゴーラが感心する一方で、ゴーラの手がついていない格闘術の流派を見ることは難しくなってきた。我流では一流に到達することが難しく、また世にある流派の原型はかつてゴーラが指導したものがほとんどになってしまった。獣人の格闘術はその最たるものであるし、多くの者がその格闘術を基本として自分の技を磨き上げる。それはヤオとて例外ではなく、ニアも戦い方こそ独創的だが、扱う技術はそこから離れうるほどではない。
だがセイトはどうか。獣人の格闘術を学びながら、人間世界にある技術も積極的に学び、そして今また対戦相手から吸収を始めている。再びゴーラが撒いた種を集めるように。その中から単一の技術を選ぶのではなく、混ぜ合わせて新しい物を作ろうとしているように見える。
「さて、どのような戦士が完成するか。これから見物じゃろうて」
ゴーラの期待はすぐに現実のものとなって人の目に入る。セイトの手は徐々に動きが速くなり、明らかに『凪』と『瞬撃』が混ざり始めていた。そして恐ろしいのは、足さばきをこれに混ぜ始めていることだった。一番驚いているのは、戦っているベルゲイの方だ。
「(この男、俺が到達できなかった境地にもう踏み込もうというのか? 人間だからできないのか? それとも獣人だからできるのか?)」
ベルゲイの動揺も無理はない。ベルゲイにはまだ奥の手がいくつかある。だが今使っている柔獄は紛れもなくその一つ。アルフィリースとの約束でも使用する予定はなかった技だ。
だが奥義ですら仕留められないどころか破られるとなると、さすがに沽券にかかわる。ベルゲイの意地が頭をもたげかけたその時だった。ひとひらの葉が風に乗って流れてきた。互いの視界の一部を塞ぐ程度の小さな木の葉。だがそのせいで一瞬ベルゲイからセイトの表情が見えなくなった。その瞬間――セイトの姿が消えた。
「『瞬歩』だと?」
先ほどまで使っていなかったはずの瞬歩をセイトが使用したのだ。ベルゲイの予想を上回る速度で動いたセイトは、背後からさらに瞬撃を繰り出した。ベルゲイの柔獄がかろうじて間に合うが、セイトの瞬撃を掴んだベルゲイのその腕を、さらにセイトが凪で掴み返す。
ベルゲイが何かを考える暇なく、ベルゲイの体が宙に舞う。そしてセイトの渾身の拳がベルゲイの鳩尾に命中した瞬間、ベルゲイの蹴りがセイトの頭をかすめて肩に落ちた。
続く
次回投稿は、4/7(日)17:00です。