沼地へ、その16~昇天~
「頼みごとを2つ?」
「そう、2つだよ」
フェアトゥーセがミランダに語る。
「まず1つ目はあたしがここを離れる間、代わりにこの土地を聖化する人員をアルネリア教会から貸してほしい。もともとはアルネリア教会の仕事だし、アルネリア教会なら沼人の協力も得られる。悪い話じゃないだろ?」
「アタシにそれを認可するほどの権利はないけど、最高教主に聞いてみるよ。まあそのくらいなら大丈夫だろ」
「うむ。で、もう一つの方が難しいかね。このラーナを預かって欲しいんだよ」
「この子を?」
ミランダは少し難色を示す。彼女の顔を見たせいというのも多少はあるが、ラーナは闇属性の魔術の使い手だ。そのような人間を、簡単に仲間に引き入れてもいいものだろうか。性格は確かに大人しそうだが、まだ出会って一日だし、なにせ話せないのではコミュニケーションが取れない。それにこの容姿では町中を連れ回すのは大変だろう。
「うーん、できなくはないけど・・・」
「しかしあの娘のためにはきっと必要だよ? 闇系統の回復魔術を使う人間は非常に珍しいからね。探してもいるもんじゃない」
「それは確かに。あたしだって何人かしか見たことないもんね」
「この子なら、きっとあの娘の呪いの進行を食い止めることができる。そこの水の妖精には無理だろうがね。悪いことは言わん、連れてお行き。ほら、ラーナからも頼むんだよ!」
言われてラーナが前に進み出て、かわいらしくぺこりとお辞儀をした。この仕草から察するに、まだ年若いのだろうか。それならなおのこと、あの容姿は不憫な事だ。
「アタシはいいけどさ、とりあえずアルフィにも聞いてみないと。なんだかんだで、あの子がアタシ達のリーダーだから」
「ほっ、そりゃもっともさね。じゃあとりあえず皆で沼地の出口にまで行こうかね。まあその前に腹ごしらえだよ」
そうして、フェアトゥーセとラーナが家に入っていく。ルージュはどこに行ったのか見当たらなかった。昨日は比較的この家の近くにまで付いてきていたのだが。
だがフェアトゥーセが言うことは尤もなので、ミランダやエアリアル、楓も後に続く。残されたのはユーティとリサ。
「ユーティ、回復魔術は水と闇で何か違うのですか?」
リサがユーティに尋ねる。
「ん? 何かっていうより、全然違うよ? 水の回復魔術は、体液操作。体の中にある液体の操作を行うんだ。毒素も排出できるし、足りない物は補える。そうなるとかなり応用範囲は広いから、聖属性の回復魔術と並んで有名どころね。対して闇の回復魔術は、呪いや毒素の排出といった異物の除去に特化するのよ。ニアの調子が良くなったのも、そのせいね」
ニアは既に起き上がるのも平気になったようで、ミランダを止めるほどの体力は戻っていなかったものの、入口の所で様子を見守るくらいのことはしていた。お腹を押さえている所を見ると、既にお腹が空いているのかもしれない。左腕はまだ完調ではないから、腕は固定しているけども。昨日のフェアトゥーセの話では、一週間もすれば固定は取れるかもしれないとのことだった。完全に元通りになるには、個人差もあるが獣人の回復力なら一月でも大丈夫だろうのことだった。
「ふむふむ、かなり違うのですね」
「ちなみに、聖属性の回復魔術は体自身の再生と活性化。火の回復魔術は滅多にないけど、これも体の活性化かな。特に血流操作に優れるはず。風は水に近いけど、離れていても効果を及ぼす反面、効果が弱い。土は抵抗力・耐性を上げるわ。金は欠損した部分を補うことかな」
「詳しいですね・・・」
「当然よ、水の妖精は本来回復魔術に特化しているんだから! もっとも私がさらに回復魔術が意で、色々勉強しているのも大きいけどね!」
「そうですか、水の妖精でしたね」
「何だと思ってたのよ?」
「てっきり鍋の妖精かと」
「キーッ! それは誰のせいだと思ってるのよ!? あ、こら。待ちなさい!」
一人起こるユーティをほったらかして、リサはフェアトゥーセの家の中に入っていく。後はアルフィリースの無事を祈るのみだった。
***
一方で当のアルフィリースとサーペントである。彼らはサーペントの用事で、寄り道をしていた。
「で、用事って?」
「ルージュのことだ」
「ルージュ?」
「そなたが戦ったドラゴンゾンビのことだ」
「ああ」
アルフィリースは決まりが悪そうだった。いくら呪印に乗っ取られかけてたとはいえ、ひどいことをしてしまった。だがそんな彼女の様子に気がついたのか、サーペントが優しい言葉をかける。
「気に病むな。本来ならあれで灰に還してやるのが一番良いのだろうが、中々そうもいかなくてな。それに既に痛みなどは感じるようなものではないから、特に恨んでもいるまいよ。それどころか、そなたに懐いているようですらあったと、フェアトゥーセが話していたな」
「ゾンビに懐かれてもねぇ・・・」
またミランダにからかわれるなとアルフィリースは思いつつも、以前のように彼女達が接してくれるだろうかと、ちくりと胸が痛む。
「それで、どうしてそのルージュが?」
「あれは生前、俺に惚れていた」
サーペントが少し悲しそうに言う。
「ルージュは生まれた時からはねっかえりの火竜でな。まあルージュが小さい頃、興味本位で海に遊びに来ていた時に溺れたのを助けてからの縁だが、すっかり懐いてしまわれてな。当時俺は海に住んでいたから、結構な距離があったのだが、ねぐらに帰ると常に俺を待っているんだ。ブローム火山に帰れと、何度言っても帰らなかった。時には帰っていたようだが、それでもほとんどを俺のねぐらで過ごしていた」
「・・・」
「火竜と海竜のつがいなぞ、冗談にもならん。火竜はだいたいが泳げんし、俺は人生の大半を海の中で過ごす。生活が違いすぎるのだよ。それに真竜と普通の竜では、いくらなんでも寿命が違う。俺達は何千年も生きるが、奴らはせいぜい数百年だ。人語も喋れない者がほとんどだしな。だがルージュは非常に美しく成長し、正直そんな竜が毎晩黙って俺のねぐらで待っているのだから悪い気はしなかった」
「悪い竜ね、あなたって」
アルフィリースがの言葉に、サーペントが苦笑する。
「返す言葉もない、その通りだ。だがそれがいけなかった。ある日、海で暴れている魔物がいるから退治してくれと、人魚どもにせがまれてな。とりあえず様子を見に行ったわけだが、解決するのに思わぬほど時間をとった。そのまま人魚の歓迎を受けるうちに、何ヶ月が経ってしまい、俺は久しぶりにねぐらに帰った」
「・・・」
「するとどうだ、そこには瀕死のルージュがいたではないか。やはり海竜の領域が合っていなかったのか、ルージュは病にかかっていた。俺はどうにかして治してやろうとしたが、ルージュはもうすぐ寿命だから傍にいて欲しいと訴えてきた。俺は彼女の最後を看取ったよ。だが、ルージュには何かしらまだ未練があったのか、そのままゾンビとなってしまった。そのまま悪さをするでもないが、俺に惚れた女の姿が徐々に崩れていく様を見るのはつらかったよ」
「それで沼地に?」
アルフィリースの問いにサーペントは黙っていたが、やがて重々しく口を開く。
「まあそれだけではないが・・・住処を変えればルージュも諦めると思ったのだが。彼女は付いてきてしまった。それからも普段はフェアトゥーセの所にいるものの、何日かに一度は必ず俺の顔を見に来る。そこで俺がいないといつまでもその場所にいるんだ。だから顔を見せて、安心させてやらないといけない」
「なるほど」
サーペントはそれを最後に黙ってしまった。アルフィリースもまた黙ったまま何も言わない。重い沈黙が2人を包んだが、やがてサーペントは綺麗な水が湧きたつ畔にやってきた。そこにルージュが佇んでいる。
「ルージュ、来たぞ」
「クオオオオオ」
「今日も変わりないか・・・どうやったらお前の魂を天に還してやれるかな」
サーペントが複雑な表情でルージュを見つめる。ルージュは既に目がないが、その様子から痛いほどサーペントを慕っているのがわかったので、アルフィリースもまた悲しくなってきた。
そんなアルフィリースの表情を察したのか、ルージュがアルフィリースにすり寄って来る。正直、腐った生物にすり寄られるのはアルフィリースとしても気持ちのいいものではなかったが、ルージュの心中を察し、その行動に答えてやった。
その様子に驚いたのはサーペント。
「妄執に囚われたゾンビが、妄執以外の行動をするだと? これは一体・・・」
だがアルフィリースの方はルージュと触れあううち、何かに気がついたのか、ルージュと話し始める。
「え、何?」
「クオオオオ」
「そっか、それで・・・」
「クオオン」
「うん、わかったわ。ちゃんと伝えるから」
「まさか、話しているのか?」
ありえない、とサーペントは考える。竜族の言葉は、真竜であるサーペントには全て理解可能だが、死してゾンビとなった者は例外である。彼らにはだいたい知能が失われているので、言葉自体を思考することすらできない。そのゾンビと、目の前にいる人間の娘が言葉を交わしたのだ。
そして振り返ったアルフィリースの顔は、まるで別人のように慈愛に満ちた表情だった。
「サーペント、聞きなさい」
「?」
「この娘は貴方を慕ってついてきているだけではありません。むしろ心配しているのです。自分のせいで貴方が笑わなくなってしまったと。その後悔の念こそが、彼女をこの世界に引きとめているのです」
「なんと・・・」
「ですから貴方が彼女にしてあげられることは、彼女に約束してあげることだけ。貴方が元の貴方に戻ることを。心のまま、自由におおらかに生きる貴方が彼女は好きなのです。今の貴方は、様々しがらみに囚われすぎている」
「なぜそれを」
サーペントには心当たりがもちろんあったのだが、なぜそれをアルフィリースが知っているのかが不思議でならなかった。だがそのような事を問う前に、アルフィリースはさらに言葉をつなぐ。
「この娘は、私の力で魂を解き放ちましょう。ですから、貴女は彼女に誓いなさい」
「・・・いいだろう」
「では・・・」
アルフィリースがルージュの顔に手を沿わせるようにすると、ルージュの体が端から灰になってゆき、後には何枚かの鱗が残されただけだった。そしてその後に、赤く長い髪をした、深紅の瞳の美しい女性が立ちつくしている。その姿は幻のように透けており、既にこの世に存在していないことを示していた。
「ルージュか?」
「サーペント。貴方とようやくお話ができる・・・」
稀に歳経た竜が人間やその他の生物の姿に幻身するという。ルージュは若くして死んだものの、ゾンビとして存在した時間まで考慮すれば、かなりの年数を経ている。なれば、幻身ができてもおかしくはない。
「(まさか、アルフィリースが?)」
「彼女の力を借りて、少しの間お話しする時間を頂きました」
ルージュがアルフィリースに軽く会釈をする。アルフィリースは微笑みでルージュに返した。
「最初に感謝の言葉を言わせてください。ゾンビとまでなった私を、見捨てないでくれてありがとう」
「何を言う。俺こそ、そなたに何一つ報いてやれず・・・」
「もういいの」
ルージュがサーペントに顔をうずめる。それを受けて、サーペントもまた幻身で人の姿になった。髪は蒼く短く、瞳は海を称える色だった。少し勝気な風体だが、なかなかの美男子である。
「私が一方的にずっとあなたを好きだっただけ。貴方の心はずっとあの大海原にあって、その後は・・・」
「ルージュ、そなたは全てを知っていたのか」
「ええ。でもそんな貴方が好きだった。海そのものである貴方に傍にいて欲しいなんて、私がだいそれた思いを抱いていたの。せめて海の生き物に生まれたかったけど、でもそれは叶わぬ夢だわ」
「ルージュ・・・」
サーペントがそっとルージュの頭をなでてやる。
「でも後悔も恨みもしていません。後悔があるとすれば、私のせいで貴方が笑わなくなったことだけ。ですから、これからは好きなように生きて欲しいの。貴方の気持ちに正直に。約束してくださいますか?」
深紅の瞳が、蒼海の瞳と交わる。そしてゆっくりと頷くサーペント。
「ああ、約束しよう。この真竜の名にかけて」
「よかった・・・これで思い残すことはありません。最後まで私の我儘に付き合わせてしまいましたね」
「いや、そうでもないさ。俺こそ、振り回していたような気がするよ。俺達はもっと早くに色々な事を話すべきだったな」
だがルージュは笑顔で返しただけだった。そしてアルフィリースの方を振り向く。
「人間の娘。もしブロームの火竜の一族を訪ねることがあったら、私の顛末を告げていただけますか?」
「いいでしょう、しかと」
「その代わりといってはなんですが、貴女に火竜の守護があらんことを・・・」
すると、ルージュの鱗がアルフィリースの小手に触れ、その一部となっていく、形はほとんど変わらないが、一部が深紅に染まったようだ。
アルフィリースがそれを確認すると、既にルージュの姿は霧散していた。思いを全て遂げたのだろう。
「アルフィリース、俺からも礼を言おう。俺もこれで・・・おい!?」
サーペントがアルフィリースの方を見ると、アルフィリースがぐらりと倒れるところだった。急いでかけより、サーペントが抱きとめてやる。
「どうした、しっかりしろ!」
「・・・すー」
「寝ているのか・・・全く不思議な娘だ。それにしても」
一連の行為はどうやったのか。また先ほど話していたのは本当にアルフィリースなのか。
「(この真竜にもわからんことがあるとはな。どうりでグウェンの兄者が目を付けるはずだ。だが借りができてしまったな。止むをえまい)」
サーペントは腕の一部を竜の姿に戻し、鱗をはぐとルージュと同じようにアルフィリースの小手に埋め込む。
「これでいい。火竜だけでなく、海竜の守護も得ることができるだろう。小さいが、まず少し返したぞ」
そしてルージュの残した鱗を集めると、一枚をさきほどはいだ自分の鱗の部分に埋め込む。
「ルージュ、共に行こう」
そしてサーペントは元の姿に戻ると、アルフィリースを頭の上に乗せ、沼地を泳ぎだす。
「さて、恩義をどうやって返すか・・・そうだ」
サーペントは小さな海鳥のような使い魔を召喚すると、はるか天空に向かって飛ばすのだった。
続く
次回投稿は4/13(水)16:00です。