沼地へ、その15~白魔女の助け~
***
そしてアルフィリースがさらわれた直後のこと――
「くそっ、放せ!」
「駄目だ! だいたいどこに行ったか当てもないんだぞ?」
「知るか! 沼地全部をさらってもあの蛇をぶち殺してやる!」
「冷静になってください、ミランダ。そんなことは無理です!」
「これが冷静でいられるか、放せぇ!!」
アルフィリースを探しに行くために、フェアトゥーセの住処を飛び出そうとするミランダを必死に止めるリサとエアリアル。そこにフェアトゥーセが帰って来た。
「うるさいねぇ、夜中になんだい?」
「フェア! どこにいってやがった!?」
「レディにそんな野暮な事聞くもんじゃないよ」
「ふざけんじゃねぇ!」
ミランダがリサとエアリアルを力づくで振り払い、フェアトゥーセに喰ってっかかる。
「アルフィリースが蛇にさらわれたぞ?」
「ああ、それはあたしがサーペントに頼んだんだよ。ここじゃどうしようもないからね」
「何ィ!?」
ミランダがフェアトゥーセの胸倉をつかみ上げる。
「アルフィリースを喰わせたってのか?」
「だから違うって言ってるだろう・・・ったく、人の話を聞きな!」
たまりかねたフェアトゥーセがミランダの肘のツボをつまみあげ、腕に走る衝撃に思わずミランダは手を放した。
「つっ!」
「やれやれ。こっちはババアなんだから、ちょっとは手加減ってものをだね」
「んなこといってる場合じゃねぇんだよ!」
「はあ。でもそうやって他人のために怒れる所を見ると、ちょっとは成長したかね。あのエルレインの坊やにべったりしていただけの頃と比べると」
「今さら何を・・・」
ミランダも突然昔の恋人の名前を出され、ちょっと怯んだ。ミランダの中では心の傷にもなっているのだ。
「心配しなくても、あの娘はサーペントがきっちり面倒を見てくれる。それでも駄目なら世界中どこに行ってもどうしようもないさね。少なくとも、今からじゃそんな手を打つ時間が無い」
「どういうことだ?」
「あの娘は今夜が山場だ。もし今夜中にあの邪念が消えなければ、あの娘は呪印に乗っ取られるだろうよ。だからこそ少々強引な方法を取った」
「なんだって?」
これにはミランダが驚いた。そんな重症だとは思っていなかったからだ。
「むしろあれほどの物を抱えて、あの娘が正気を保っていることが奇跡に近い。あの娘は余程自制心が強いんだろうね。そしてアンタ達の事を本当に大切に思っていたんだろうよ。そうでなければ、遊び半分がてらにとっくに殺されているさ。もっとも、本来の性格が特に優しいからこそ、あれほどの邪気にさらされてもあの程度の性格の変化しか出てなかったんだろうけど」
「あの程度って」
「あの程度さ。あの娘が誰か仲間を殺したかい?」
「それはないけど・・・でも森を焼こうと」
「それはある意味正しい判断かもしれないね。気づいたかもしれないけど、この森は普通じゃない。あたしがここに住んでいるのは世の中と関わりたくないのもあるけど、ちゃんと理由があるのさ。ここは邪気や怨念が溜まりやすい土地でね。あたしが定期的に見回っているから大して影響が出ていないけど、そうでなければ魔王を生み出す格好の土壌となるだろうよ。さしものアルネリア教会も、ここの重要性には気が付いていないようだからねぇ。気がついていても手が回らないのかもしれないけど。まあ好き好んでこの土地にこようとは思わないだろうけどさ。だから本当は一回焼いてすっきりさせるのも、一つの手段なのさ。とびきり強引ではあるけどね。あの娘は直感でそれを悟ったんだろうよ。あるいは確信か」
「確信?」
リサが尋ねた。確かにアルフィリースには不思議な点が多い。くの一達の襲来に気がついたことといい、沼人に襲われた時のことといい。能力が上昇したリサよりも、気がつくのが早い時がある。
「ああ、多分あの子は精霊の声を直接聞いているね」
「精霊の声を?」
「そうだよ。魔女や同士なら自分が契約した精霊の声を聞くことはあるし、そこのエアリアルとかいうじょうちゃんもそうだろう?」
「それは確かに」
エアリアルが頷く。エアリアルはその能力でファランクスの死を詳細に知ったのだ。これはウィンティアに言われて気付いたが、エアリアルは風の精霊達と契約状態にあるのだ。だから風の流れが詳細に読めるし、風の精霊を通して離れた場所の状況を知ることもできる。もっとも、万能と言うわけにはいかず、知りたい事を知りたい時に知ることができるわけではない。精霊の気まぐれや、その場に存在する精霊の数にもよる。実際にこの沼地では、全く風の精霊の声は聞こえてこない。
なおもフェアトゥーセは続ける。
「しかもおそらくあの娘は五行と聖、闇以外にも有象無象の精霊の声まで聞いている。本人がそう漏らしたことはないかい?」
「そういえば・・・でも、そんなことありえるのか?」
「実物が目の前にいるじゃないさね。でも少なくともあたしの知る限りでは、そんな前例は今までないよ。だからそれが意味するところもわからないし、考えが及びもしないね。だからこれは想像だけどね」
フェアトゥーセが一度間を置く。
「もし全ての精霊の声が聞こえるなら・・・それは耐えがたい苦痛だよ。精霊ってのはこちらの状況なんてお構いなしに話しかけてくるからね。四六時中そんな声が聞こえることを考えてごらん? 間違いなく発狂してしまうよ」
「う」
「正しい導き手が傍にいれば別だけれどね。だけど前例がないあの子にそんなのがいるはずもなし、魔術協会のボンクラどもにそんなことは無理だろうしね。それでもいればちっとはマシだったろうに、あのボンクラどもは何してたんだい? 占星術なんかで漏れたってのか?」
「さあ・・・」
「まったく、これは一度きつくお灸を据えにいかないと駄目かねぇ? 協会の長は変わってなければテトラスティンの坊やのはずだけど、あいつならあたし達の話にもまだ耳を傾けるだろう。ともかく、あの娘を守るなら末長く守ることさ。あの子がいったいどうなるのか、周囲にどういった影響をもたらすのか。少なくともそれがはっきりするまではね」
「アンタに言われなくてもやるさ」
ミランダがすかさず答える。その瞳を見てフェアトゥーセも少しは満足がいったのか、頷き返す。
「ミランダのじょうちゃんも、多少マシな顔をするようになったもんだ。やっぱり時間は経つんだねぇ。だけど、自分の部下にはしっかり手綱をつけておくんだね」
「? どういうことだ?」
「ラーナ!」
呼ばれたラーナが縄で拘束された楓を連れてくる。簡単に縄で一巻きされただけの様に見えるが、魔女の拘束だから普通ではないのだろう。また魔眼を封じるためか、目には何かの呪文を描いた目隠しがしてある。
「楓! あんた一体?」
「そういえば、昨日も最後まで姿を見なかったと思ったら・・・」
「このくの一は、あの娘の首をかき斬るつもりだったのさ」
フェアトゥーセがさらりと衝撃の事実を述べる。
「実際あの娘がミランダを吹き飛ばした時に、この娘は小刀を抜いて飛びかかる直前だったんだよ。それに気付いたあたしがいち早く拘束したけどね。最初は敵かと思ったが、それにお前さん達が気付かないとはあまりに間抜け。おそらく話に聞いた口無しの類いかと思って、念のため拘束して記憶を少し読んだら、ミランダを警護対象として、必要があれば他の人間を斬って捨てることも厭わない様な命令が出されてたよ」
「なっ・・・」
それを聞いてミランダの顔が一気に青ざめた。話に聞く口無しの冷酷さは知っていたが、まさかそこまでやるとは。
ミランダはつかつかと楓に近寄ると、顔を自分に向けさせ問いかける。
「正直に答えろ、楓。その命令を出したのは誰だ?」
「・・・お答えできません」
「なるほど、最高教主か」
ミランダが複雑な表情をする。ミリアザールならやりかねないことも、多少ミランダは想像していた。だがここまでやらせるとは。もちろん危険な場面ではあったが、もう少し融通の聞く命令は出せないものかと、ミランダは考える。
そんな思いを振り払いながら、さらにミランダは楓に問いかける。
「なら命令に違反しないものだけでいいから答えて欲しい。答えられない質問には答えなくていい」
「はい」
「アタシの次に警護の優先順位が高いのは?」
「リサどの、アルフィリースどの、その他の方の順番です」
「どうしてアタシに無断で隠れた?」
「そうするのが最良だと判断しました。その件に関して、何もミランダ様から指示を受けていなかったので、自分で最善と思われる判断をしたまでのことです」
「アルフィリースを殺そうとしたのは事実か?」
「はい」
「なぜだ?」
「ミランダ様を害する者は、全て殺害対象だと命令されています。そこに旅の仲間を除くという例外は説明されておりません。なので、アルフィリース殿も殺害対象と判断いたしました」
「そう・・・」
ミランダは押し黙った。これは楓が悪いわけではない。おそらくはミリアザールもまた想定にない範囲の出来事。アルフィリースとミランダが戦うなど、当の本人たちでさえ想像していないことだ。楓は忠実に命令を実行しただけ。そして楓と十分な話し合いをしていなかった自分に責任があると、ミランダは痛感していた。むしろ大事に至っていないだけ、奇跡だったのかもしれない。
口無しとはこういう集団なのだ。話に聞いてはいたが、認識が甘かった。これはミランダの油断が招いた事態なのだ。後輩や周囲にいる者の指導など、面倒くさがって避けていたことが裏目に出た。
「ではさらに質問するわ。この場で私の命令を聞く気はあるのかしら」
「はい、現場ではミランダ様の命令に従うようにとの指示を受けております。ただ、火急の際には貴女様の身柄を最優先するようにとの命令を受けておりますので、これに関してはミランダ様の命令を受けつけられない場合があるかと」
「わかったわ。では楓に命令します」
ミランダは元来命令だとか、そう言った出来事が苦手だった。人を従わせるのは好きではない。だが、もはやそんなことも言っていられなかった。
「陰からの護衛はやめなさい。護衛をするなら正々堂々と。私達は旅の仲間よ。寝食を共にし、私達とは普段は対等に接しなさい。そして口無しとして動くときは、私にまず伺いを立てること。勝手な行動は許さないわ」
「は、しかしそれでは・・・」
「火急の際にどうするべきか予め指示が欲しい場合は、あらゆる事態を想定してアタシと予め打ち合わせをしなさい。アタシ達もそうしているし、それが旅を共にする者の務めです。アタシの知らない所で勝手な事はさせない。他の者はどうあれ、最高教主がどうあれ、それがアタシのやり方です。これは命令よ」
「分かりました。ご命令とあれば、確実に遂行してみせます」
「本当は・・・」
「?」
ミランダが一瞬悲しそうな顔をする。
「本当は楓にもこんなことはしてほしくない。アタシが守るに値する人物だと思った時だけ、そのように行動してほしい。アタシは自分を守るために誰かが傷つくのは嫌だから」
「ミランダ様・・・」
楓はどう言っていいのかわからず、言葉を失くした。今まで命令で幾度か仕事をしたことはあるが、このような事を言う人間は初めてだった。自分達は捨て駒。そう思っていたのだが、この目の前の警護対象はどうやら口無し達も人間として扱いたいらしいことが楓にはわかった。
「(不思議なお方だ。だが、口無しの中でさえ、この方に人望があるのはわかる気がする)」
それは楓が決して言ってはならない言葉。だが内心ではその人気に得心がゆきつつあった。
「さて、話し合いも済んだようだし、あたし達も沼地の出口へ向かうかね」
2人の沈黙に話が終わったと判断したか、フェアトゥーセが全員に出立を促す。
「出口に?」
「そうさね。そこでアルフィリースと落ち合うようになってるのさ。もっとも順調にいけばの話だけども。でも信じるしかないだろう?」
「うん、そうだね・・・あ、でも一つ重大な心配があるんだ」
「なんだい?」
ミランダはライフレスの事を話した。もしかすると、彼が追いかけてくることも。その話を聞き、少し唸ったフェアトゥーセだが、やがて覚悟を決めたように表を上げる。
「これは・・・あたしも潮どきかねぇ。いいだろう。あたしもここを引き払う用意をするよ」
「えっ、どうして?」
「どのみち魔術協会には赴くつもりだったし、そうなれば色々と準備も必要なのさ。あたしも、いつまでもここで安穏と暮らしておくことはできないということだね」
その言葉を聞いて、ミランダが申し訳なさそうな顔をする。フェアトゥーセはそのミランダの表情を見て、肩を優しく叩いた。
「気にするんじゃないよ。万物は常に移り変わり、あたしにもその出番が回ってきたってことさ。不老不死のあんたでも、心境が変化するようにね」
「ん・・・そう言ってくれると、救われる」
「沼地を出たら、最寄りの町近くまで転移の魔術を起動してやろう。それなら多少は見つかりにくいだろうさ。あたしにできるのはこのくらいだ」
「いや、十分だよ。感謝してる」
ミランダがフェアトゥーセの手を握って、感謝の意を伝える。
「感謝しているなら、2つ程頼まれてくれるとありがたいんだけどね」
「?」
ミランダは首をかしげたが、フェアトゥーセは少し意地の悪そうな笑みを浮かべるのだった。
続く
次回投稿は4/12(火)17:00です。