戦争と平和、その300~統一武術大会五回戦前③~
「(本当なら、こんなことをしている場合ではない。いつカラミティの本体に出会うかわからないし、そうでなくともここ最近奇妙なことが起き過ぎる。
ハミッテのことも一段落ついたとも言えないし、相変わらずヒドゥンとは連絡が取れないまま、カラミティにはいつ襲われるかわからない。昨晩も夫に表情が暗いと心配されてしまった。それに、腹の中の子供のことも――)」
産むべきかどうか、まだアミルことマスカレイドは悩んでいた。スコナーは迫害の末に数を大きく減らしており、女には積極的に子どもを産むように推奨されている。何なら、異種族間で子を成すことも辞さないという節操のなさだ。もちろん、マスカレイドもそのように教えられているし、その覚悟はいつでもあった。
間諜であるためにまだ出産の経験はないが、間諜として役立たないと判断された同期は、里でひたすら子供を産むための装置として一生を過ごすことになったと聞いたことがある。
夫である男は生きるのに器用ではないが、愚直で優しい。平和な時代なら、これで幸せだったのだろう。だが、生まれる子供の瞳の色でばれてしまう可能性がある。スコナーとシーカーが子供を成した場合、瞳の色がどちらに寄るかはまさに半々の確率なのだ。生まれた子供瞳の色が赤かったら――その場で子ども共々始末されるだろう。そして、裏切り者として夫も始末される可能性がある。間諜として誰かを巻き込むことは愚の骨頂だし、何よりあれほど誠実なシーカーを巻き込むことに罪悪感があることには、マスカレイド自身が驚いていた。
そんなことを繰り返し考えていると、ここ数日の睡眠が穏やかでないのは当然のことだった。眠るたびに追いかけられる悪夢を見て、夜中に何度も目を覚ます。起きれば汗だくで、寝間着を何度も変えたこともある。夫の眠りは深くて気付いていないようだが、仕事をそつなくこなせているのは奇跡に近い。
「(このままではいつか重大な失態を犯す。フェンナの補佐を誰かに頼もうか。いや、そんな人材が今更シーカーにいるとは思えない。それに体調不良を申し出れば、心配したフェンナは会見を取りやめると言いかねない。それほど情が深く、愚かな女なのだあれは。
この会見と取り組みは、遠くスコナーにも役立つことだ。成功させておく必要がある)」
マスカレイドは気を取り直すと、まずは目の前の仕事に向かうこととした。その瞬間、マスカレイドの動きが固まっていた。
フェンナが何事かと思い、立ち止まる。
「アミル? どうかした?」
「い、いえ・・・少し厠に寄ってもよろしゅうございますか?」
「さっき寄ったじゃない」
「女性には都合があるのです、察してくださいませ!」
言葉を選ぶ暇もなく、吐き捨てるようにマスカレイドはその場で回れ右をして去った。フェンナの顔が耳まで真っ赤になったような気がするが、そんなことに構っていられない。
マスカレイドは厠に飛びこむと、誰もいないことを確認して手を洗うために溜めてある水で顔を洗っていた。アルネリアの作法では完全に違反だが、そんなことを気にしている暇はなかったのだ。
顔を何度か洗ったところで、ようやくマスカレイドは冷静に戻っていた。
「い、今のはカラミティ――隣にいた人物は『あの人』か。と、いうことはカラミティは――」
「はい、そこまでぇ」
ひんやりとした感覚がマスカレイドの喉元に当り、つぷりと刺さると血の一滴が流れる。厠にガラスを嵌めるのはアルネリアの発想だが、他の都市よりも曇りの少ないガラスには間抜けな顔をしたマスカレイドの顔以外、誰も映っていないのだ。
マスカレイドは息をのむこともせず、背後にいる誰かに話しかけた。ガラスの中のマスカレイドの表情は、みるみるうちに真剣に戻っていく。
「何者か? 私をフェンナ王女の補佐、アミルと知っての狼藉か?」
「わかりやすい芝居はよしましょうよぅ、マスカレイドさぁん」
ややこちらを小馬鹿にしたような言葉に、ぎくりとするマスカレイド。言葉の主は喉元に当てているおそらくは短刀を、首筋を巻くようにゆっくりと移動させながら、マスカレイドを弄ぶように話続けた。
「私は討魔協会の使い、式部都と申します。あぁ、私の名前を知っても無駄ですよ? 私は討魔協会の使節団の中には登録がありませんし、こちらの大陸には来ていないことになっていますから。
私、姿と気配を消すことにかけては自信がありまして。こうやって隠密行動をするのが得意なんですよねぇ。そういう意味では、貴方に親近感を覚える? みたいな」
「・・・戯言はいい。要件を言え」
苛立つようなマスカレイドの言葉に、ため息を漏らす都。
続く
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