沼地へ、その13~呪印の謎~
「ラーナ、アルフィリースの様子は?」
だがラーナと呼ばれた女性は一言も答えず、フェアトゥーセにこっそりと耳打ちをしただけだった。
「ふむ。応急処置はできたが、あまり良くないか・・・やっぱり重症だね」
「アルフィリースは一体どうしたんだ?」
ミランダの質問も尤もである。フェアトゥーセも少し考え込んでいたが、首を横に振るだけだった。
「詳しいことはわからんよ」
「そんな無責任な!」
「そう言われても、わからんもんはわからんよ。ただ確実なのは、あの子は凄まじいまでの呪いに汚染されている。いや、単に呪いと言うのも簡単すぎる気がするが・・・それが一番表現としては近いかね。あの呪印を施したのは、一体誰だい?」
「右腕は自分、左腕はアルドリュースって言ってた」
「なるほど、それで術式が違うのか。どっちにしても両方とも天才だね。あんな複雑な術式を見たことが無い。で、ミランダが聞いているのはそれだけかい?」
「昔、アルフィリースの魔力が暴走した時に、アルドリュースが止めたって言ってた。それが左腕の呪印らしいけど、詳しい記憶はアルフィリースもないってさ」
「ふぅむ・・・」
フェアトゥーセはまたしても考え込んでしまった。ミランダはゆっくりと彼女の返事を待つ。
「・・・正直これ以上は封印を施した本人に聞かないと何とも言えないが、そのアルドリュースとやらは?」
「死んだそうだ」
「そうか、それならますます問題だね。あの呪印は自己修復までする優れモノだが、中から噴き出す魔力の方が強い。ようするに、鍋の蓋の重みより噴き出す湯の方が強い状態さね」
「・・・どうすればいい?」
ミランダが深刻な顔で尋ねる。
「アタシにはお手上げさ。もちろん噴きあげる呪いにあたしが聖の魔力をぶつけて相殺することもできるが、あの娘にかかる負担が大きすぎる。そんなことをしたらあの娘を殺しかねないし、このラーナは世にも稀な闇の回復魔術の使い手だが、それでも進行を食い止めるだけで精一杯だと言ってる」
「どうしようもないと?」
「ここではね。他に手掛かりはないのかい?」
「・・・確かアルフィリースは師匠から、自分の死後、東へ向かうようにと言われている。どこの町かは聞いてないけどね」
「ふむ、東か。もしかしたら・・・」
「フェアには心当たりが?」
だが、ミランダのその質問にフェアトゥーセが答えることはなかった。
「どちらにしろあたしの手には余るよ、あの娘は。それに気になることはまだあるのさ」
「たとえば?」
「あの娘、どのくらいの種類の元素の魔術を使える?」
「確か・・・聖以外は全部だって」
「それはどうかね。おそらくあの子は聖の魔術も使えるよ。あたしは白魔女だからね、そのくらいはわかる」
「え、じゃあ・・・」
「そう、あの子は全種類の魔術に親和性を示している。そんなことは人間ならありえない」
フェアトゥーセが全員を見回すように話す。
「魔術には五行があり、それぞれに相関があり、聖と闇もまた対立する属性だ。普通はどの属性化に親和性が高まると、相反する属性の魔術は弱まるものさ。それが精霊魔術だからね。その限界を破ろうと魔術協会が研究したのが理魔術だが、普通は大した出力が出ない。いずれはそのことも解消されるかもしれないけど、今の理論では無理だと魔術協会が嘆いたのさ。だから確かに全部使えない可能性もないわけじゃないが、普通は得手不得手が出てくる。それをあの娘は、どの属性もほぼ均等に大出力で使えるのさ」
「それって・・・」
「さあてね。少なくとも、あたしは聞いたことが無い。まあ、だからってどうするもんでないけど、もう一つの疑問は重大さ」
「もう一つ?」
「呪印は2つだけじゃない。他にもあるよ」
「!」
それにはミランダを含む全員が驚いた。ユーティに至っては、リサが思わず身を乗り出したせいで、リサの肩の上からすべって危うく鍋の中に入りそうになっていた。
「他にもって・・・」
「呪印って言うのは通称さ。呪いにより施された印を全てそう呼んでいる。呪いを施す方法には良い物から悪い物まで色々あるが、あの子と、そのアルドリュースとやらが施したのは単純に封呪の呪印。だがもう一つは・・・」
「何なのさ? もったいぶんなよ!」
「それがよくわからん」
ミランダが思わず滑った。
「散々もったいつけてそれか!?」
「仕方ないだろう? わからないものはわからないんだよ! あたしにわかったのは、とりあえずそのアルドリュースが天才ってことと、さらにもう一つ呪印があるってことだけさ。なんせ魔女のあたしにすらわからないような呪印を読み解き、それに拮抗するようにさらに呪印を施しているんだからね!」
「え、それって・・・」
「元々の呪印は良いものじゃないのだろうさ。さて、あたしからはとりあえず以上だ。ちょっと用事があるから出てくるけど、決してそのラーナに近づくんじゃないよ!?」
全員がラーナを見る。ラーナは俯いたままだった。
「ラーナ、顔を少しだけ見せておやり」
ラーナはこくりと頷くと、少しだけフードを横にずらして、顔の一部を皆に見せる。
「うっ!」
「それは・・・」
「ひええええ」
その顔は腐っていた。一部は骨が見え、顔が変形して完全に目が塞がっていた。そのあまりの異形に、全員が思わず目を背ける。
「醜いだろ? その子は小さい頃大病をやらかしてね。それ以来そんな顔なのさ。おまけに声までなくしちゃってね、不憫な子なんだよ。それなのにこんなラーナでも沼人の連中は『子どもが産めるなら問題ない、よこせ』ってしつこくてね。奴らは極端に女が生まれにくい種族だから、女は外から攫ってこないとしょうがないのさ。もっともこのラーナを奴らにやる気は、あたしにゃ全くないがね」
フェアトゥーセが悲しそうに首を振る。ラーナはそのまま俯いて黙ってしまった。
「それでこの沼地にフェアはずっといるのか・・・」
「まあそれだけじゃないけどね。さ、これでわかったろ? とりあえず今日はもう休みな。ここにいる限り、安全だから。アンタ達も疲れているんだろう、結構ひどい顔してるよ。片づけと看病はラーナがやるからね」
「ああ、恩に着る」
そして一行はようやく疲れた体を休めることができたのだった。
***
その夜の事。
「あああっ!」
アルフィリースが叫び声と共に目を覚ました。
「うっ・・・私、何してたんだっけ・・・?」
非常に嫌な夢を見ていた気がするが、思いだせない。ライフレスと戦った後、川に腕を浸してからの記憶が非常に断片的だ。だが確実に覚えているのは、自分がミランダを傷つけたということ。
「私、なんてことを・・・」
アルフィリースは顔面を両手で多い、さめざめと泣きだした。あれほど呪印の力は危険だと口を酸っぱくして言われながら、飲みこまれてしまった。挙句に自分の親友に傷を付けるとは。不死身のミランダだから生きているが、もしあれがリサやエアリアルだったら? アルフィリースは自分が仲間を傷つける光景を想像し、身震いした。
「もう、どうやって顔を合わせたらいいのかわからないよ・・・」
アルフィリースがぽつりと呟く。熱があるのか意識は朦朧としているし、考えるのが非常にだるい。さりとて今のような精神状態では寝るのもままならないだろうし、どうしたものかとアルフィリースが途方に暮れていると、外から誰かに呼ばれているような気がした。
「誰・・・?」
アルフィリースはそのまま、ふらふらとぎこちない足取りで外に向かう。よく見れば服は脱がされ下着の様な恰好なのだが、それも今はどうでもいい。部屋を出ると足元にはミランダ達が寝ていたが、それもアルフィリースにはあまり気にならなかった。全員疲れていたのか、泥のように眠っている。
「ん、アルフィ・・・?」
ミランダが少し気配を察したようだが、逆にアルフィリースは逃げるようにその場を後にした。そして外に出ると、より自分を呼ぶ声は強くなるような気がした。
「こっち・・・?」
そのままアルフィリースは裸足で歩きだす。足元はおぼつかないままだが、周囲は真っ暗なのに、不思議と進む方向には迷いが無く、つまづきもしない。見えない何かに誘導されているかのようだった。
そのままどのくらい歩いただろうか、気がつくと道はなくなり、崖の様な所に出ていた。実際には少しの高台程度なのだろうが、あまりにも真っ暗すぎて何もわからない。いや、実際そこまで闇に包まれてはいなかったのかもしれないが、アルフィリースの意識も朦朧としていたので、そうとしか思えなかった。
「私・・・ここに何しに来たんだっけ・・・もうどうでもいいや。ミランダ達の前から消えたいよ・・・」
すると足元の泥の中から、巨大な生物がその首を伸ばしてきた。その姿をアルフィリース達は見てはいないが、これが沼人達に恐れられるサーペントである。闇と霧のせいでその姿はよく見えないが、沼の上に出ているだけでも、7~8mはある巨大な大蛇の様な姿だった。
「私を・・・食べるの? いいよ、別にもう・・・」
アルフィリースが両手を広げて、身を預ける意志表示をする。そしてそれに応えるように、サーペントも大きく口を開けたのだった。
***
「ん、んん・・・あれ、さっきアルフィが通ったような」
ミランダはふと夜中に目を覚ました。不老不死のミランダに実のところそれほど疲れはなかったし、寝てないのが多少こたえるくらいで、眠りは他の皆ほど深くはなかった。夢でアルフィリースが悲しそうな顔をしながらここを出て行った様な気がしたが・・・
「まさかね・・・」
だが嫌な予感がする。念のため隣の部屋に行くが、そこにはニアしかいなかった。いつの間にか、ラーナもいない。
「じゃあさっきのは・・・皆、起きなさい!」
ミランダが叫び、慌ててエアリアル達を起こしに走るのだった。
***
「アルフィ、アルフィ・・・どこなの!?」
「ミランダ、落ち着け。そこまで遠くには行ってないはずだ」
「そんなことわかるんもんか! きっとあの子は後悔して出ていったんだ・・・今のまま一人にはしておけない!」
「こういうときこそリサの出番でしょう。センサーが効きにくい土地といえど、あのデカ女が歩けば柔らかい地面は沈みますから、それを辿れば・・・」
「リサ! 能書きはいいから、早く!」
「・・・ありました、こっちです」
ミランダの表情に切羽詰まる者を感じ、リサが誘導する。松明をエアリアルが引っ張り出して、真っ暗な沼地を駆けていく。周囲にはきっと魔物もいるのだろうが、今はそんなことを気にしている心境ではなかった。ユーティですら、叩き起こされたことにも文句を言わず、黙って付いてきている。
そしてしばらく駆けた所で松明が少し遠くに照らしだしたのは、ちょうどサーペントがアルフィリースをその口に収める場面だった。そのまま魔物は沼地の中へと素早く引っ込んで行く。
「ああっ!」
「そ、そんな」
「アルフィ、アルフィー!!」
沼地を追いかけるすべもないミランダ達の叫び声が、沼地に響いていた。
続く
次回投稿は4/10(日)19:00です。