戦争と平和、その286~会議八日目、夜④~
「ねぇ、私が死んでも仇を討ってくれる?」
「貴様を殺すような相手なら、私も危ういだろうからな。どうするかな」
「そりゃそうか」
「だが、それが私のやりたいことに見合うのなら、組織が傾くことになってもやるだろう。そのくらいの覚悟はあるつもりだ」
「ふ~ん」
バネッサはニヤニヤとしながら、ウィスパーの表情を盗み見た。確かに昔アルマスの入ったころのウィスパーと少し変わり、感情豊かになった彼を観察しながらバネッサは悦に入っていたのだった。
***
「おい、スゲェ美人がいるぞ?」
「どこだ?」
薄手のワンピースにトーガを纏い、つばの大きい帽子で顔を隠した女性がゆったりと夜の街を歩いていた。さざめきが周囲で宴に興じる者達に広がっていったが、隣にいた目つきの鋭いエルフがひと睨みすると、全員が思わず視線を外して素知らぬふりをした。
二人は簾で姿を隠せる居酒屋を見つけると、そこに座った。
「シュテルヴェーゼ様、やっぱりよした方がよかったんじゃないのですか?」
「『様』はよしなさいと言ったはずだぞ、ロクサーヌ。ここには仲の良い妙齢の女が二人で呑みに来たという設定である。愛称で呼びなさい、ヴェーゼとか」
「ヴぇ、ヴェ―――ゼ」
「伸ばしすぎである」
「ああ、どうして精霊は私にこんな試練を与えたもう」
酒を飲む前から今にも吐きそうなほど青ざめたロクサーヌを見て、シュテルヴェーゼはため息をついた。お供の三匹やミリアザールがいない隙にたまには羽を伸ばそうと思っていたが、まさか暇なのがこの堅物ロクサーヌしかいないとは思わなかった。
これならジェイクでも呼び出しておいた方がまだ面白かったろうが、さすがに大切な任務の最中にそれはないだろうと自重した。シュテルヴェーゼは自分が人間に気遣いするなど、人間臭くなったものだと自嘲してしまう。
どうしたものかと二人は同時にため息をつき、そして来た酒を一気に煽る。その飲みっぷりを見て、シュテルヴェーゼが感嘆した。
「おお、ロクサーヌ。そちはいける口かえ?」
「この程度の酒であれば、10や20杯など水のようなもの」
「ではこの店で一番強い酒でいくとしよう。料理も楽しみたいでな。おーい、そこな童、こちらに来やれ」
シュテルヴェーゼは酒豪だ。元々竜が酒で酔うかどうかは本人の意志によるところが大きいが、シュテルヴェーゼは酔いたいと思っていてもそれほど酔うことがない。先天的に酒に強いのだろう。かの魔王を酔わせたという酒ですら、簡単に空けてしまう始末。もちろん、古竜たちとの飲み比べでも、一度も負けたことがない。
そしてそのシュテルヴェーゼの酒につき合わされるロクサーヌ。結果はまさに火を見るより明らかだった。
「らからぁ、私はそこで言ったんすろ! 剣ばっかり鍛錬していると、彼女に逃げられるぞって! 彼氏無し20年のわらしが言うんだから、間違いないれすろ!」
「・・・そうか。そろそろ勘定にするか」
「まだれすろ! まだここからが、いいところれすろ!」
ロクサーヌは完全な絡み上戸だった。シュテルヴェーゼはもちろん全く酔っていないのだが、久方ぶりの人間界の酒が全て台無しだった。シュテルヴェーゼはロクサーヌの途切れることない愚痴に、頭痛がし始めていた。
さらに盛り上がるロクサーヌは、一人で勝手に杯を重ね、酒場を追い出される前に散々店を汚して介抱されていた。おかげで店員も客もこちらに構うどころではなかったのだが、そこに一人の人物が滑り込むように座り込んできた。
「これはこれは、珍しい方が下界にいらっしゃる」
「ゴーラか、久しぶりだな」
五賢者のゴーラがいつの間にか対面に座っていた。既に一杯やっているのか仄かに頬に赤みがさしているが、先ほどの動きを見るにまだまだ素面の内だろう。ゴーラは店員に気付かれぬように持参した徳利から酒を注ぎ、勝手にやりはじめた。
「こちらにいらっしゃるとは聞いていましたが、古竜の現長老がどのようなご用件で」
「馬鹿を言え、妾とて生きている限り腹もへれば楽しみも必要だ。たまに人間界に出て来て何が悪いか」
「そうでしたな。貴女は古竜には珍しく、快楽主義者でした。祭りといえばじっとしていられない性分でしたな」
「それはお前とて同じだろうが、狸爺」
シュテルヴェーゼがゴーラの徳利をひったくって飲んでいた。ゴーラの持ち物を正面からひったくれる存在が、世の中にどれだけいるのか。他愛ない動作だが、ゴーラを知るグルーザルドの獣人たちが見れば目を見張ったであろう。
シュテルヴェーゼがゴーラの酒を飲みながら、溜まっていた愚痴をこぼした。ロクサーヌがいなければ吐き出すこともなかった不満だったろう。
「そもそも、妾は古竜の中でも年若かったのだ。年若い真竜たちのことを『新竜』などという馬鹿がでなければ、古竜だなんだという分け方にこだわることもなかったのだ。あの馬鹿が魔人と諍いを起こしたせいで、大陸はひどいことになった。あいつらの一党と勘違いされないためにダレンロキア派の末席についたために古竜だといわれたが、年代的には新竜の側だったのだ。
ダレンロキアたちとはそもそも感覚が合わぬ。管理者として個を殺して、ただ世の中を見守るだけなどと。挙句精霊と同化して、何が面白くてそんなことをしなければならないのか」
「万年を生きる者の気持ちはまだ若輩の儂にはわかりかねますなぁ。ですが楽しいのが至上と言うのなら、アルネリアなど放置しておいてもよろしかろうに」
「年長の古竜たちと違い大陸の管理者を気取るわけではないがな、妾とて自ら蒔いた種には責任があろうというものだ。かつて戯れに助けた魔獣がここまでの一大組織を作ろうなどと、誰が想像しようか。妾の魔眼は遠くが見通せるだけで、未来を見通しているわけではない。
それにグウェンドルフがもっとしっかりしていれば勝手をできたのだが、あの小僧はいまだもって頼りない。あんなのが人間に五賢者としてもてはやされるのだから、貴様がもっと手綱を握るべきではなかったのか」
「それを言われると耳が痛いですが、真竜の手綱を握るのは狸というのはいかがなものですかな」
ゴーラはやぶへびとばかりに、話題を変えた。
続く
次回投稿は、1/22(火)22:00です。