沼地へ、その11~ドラゴンゾンビ~
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「よ、よし。俺達が案内できるのは、こ、ここまでだ。ここからまっすぐ歩けば、一日くらいで、ふ、フェアトゥーセの住処だ。う、馬ならもっと早いだろう」
「わかった、ありがとう」
「フェアトゥーセの住処からなら、このボグって木が生えている所を目印に、き、北へ進め。そ、それなら俺達の手を借りなくても、沼地のそ、外へ出られる。仲間には手出しをしないように、つ、伝えておくからな」
「ん、感謝する」
「い、いいってことよ。お、俺達も、滅ぼされてはたまらん」
それだけ言い残して、沼人達は去って行った。どうやらよほどミリアザールが怖いらしい。
そこから沼人に言われた通り、馬に乗って進む。ここの地面はほとんど湿地程度のぬかるみ具合なので、馬を全力で駆けさせることは無理でも、駆け足くらいなら大丈夫だった。
「そういえば、楓は?」
「・・・すっかり忘れてた」
「沼人に襲われる直前まではいたが」
「無事だよね? 楓、いるかい?」
「はい、ここに」
頭上から逆さになって楓が突然現れた。その登場の仕方に思わず全員がびっくりする。
「ちょ、ちょっと! 脅かさないでくれる!?」
「そう言われましても、これが標準的な現れ方でして」
「・・・口無しってどういう教育をしているのかしら。まあ、いるならいいけど。馬には乗らないの?」
「はい、私は木々の上を走りますので。御免!」
すると楓はそれだけ言い残してすぐに消えてしまった。その神出鬼没ぶりに唖然とする一同。
「湿地だから全速力で走ってないとはいえ、よく馬の速度についてくるな」
「だよねぇ。まあいっか」
ミランダもこの時は軽い気持ちでの発言だったが、翌日にはこのことを後悔することになる。
その後は何も無く旅は順調だった。この辺はリサのセンサーでもあまり魔物、魔獣の類いはいないらしい。むしろアルフィリースを恐れているのかもしれない。だがそれが幸いしたのか、思ったよりも旅路が早い。
「これならすぐにつくかもね」
「ニア、よかったね。腕の保存期間内に間に合いそうだよ」
「あ、ああ。そうか」
「やっぱり具合はよくないなぁ・・・」
ユーティが、エアリアルに抱きかかえられるようにしているニアの様子を見ている。ミランダはリサと、アルフィリースは一人で馬を駆っていた。
そのまま一刻も馬を走らせただろうか。地面に湿地も少なくなり、わずかではあるが草が生えようかというところ、リサがぴくりと何かに反応する。
「前方に何かいます」
その声に反応して全員が馬を止める。
「敵か?」
「いえ、これはなんでしょうか・・・最初は大きな岩かと思ったのですが、動いています」
リサが不審な顔をしながらソナーを飛ばしているようだ。
「岩? どのくらいの?」
「10mはゆうにあります。ですが鼓動が無い。生命活動の兆候が感じられないのです」
「なら話は早いわ。ゾンビよ」
アルフィリースがぺろりと舌なめずりをしながら話す。
「ミランダ、私は我慢しないって言ったわよね?」
「ああ、言ったね」
「ゾンビなら思いっきりやってもいいんでしょ」
「・・・リサ、戦わないと駄目そう?」
「ほぼ正面から、明らかにこっちに向かって来ますから。まあ避けられないこともないと思いますが」
「なるほど。アルフィ、やってもいいけど、ニアの事が優先だからね?」
「わかったわよ。だからこそ倒した方が早いのよ」
そう話すアルフィリースの顔は、だが既にニアのことなど気にもかけていないようだった。そしてやがて地響きと共に、木々の間からリサが岩と表現した相手が姿を現した。その姿を見て、一行は戦うという選択肢を取ったことを、非常に後悔することになる。
「こ、これは」
「ゾンビはゾンビでも・・・ドラゴンゾンビ!?」
アルフィリース達の目の前に現れたのは、ドラゴンのゾンビ。大きさはリサの言う通り、10mをゆうに超える。ギガノトサウルスを見ているアルフィリース達からすれば大きさに驚きはしないものの、やはりドラゴンという存在は威圧感が違う。
10mといってもそれは胴体部分だけのことで、羽を広げれば20mはあろうかという巨体。生前はさぞかし立派なドラゴンだったのだろうが、既にその威厳は見ることができない。全ての人間の武器をはじき返すとまで言われた皮膚は腐り落ち、蛆が湧いてひどいことになっている。体の至るところから膿を滴らせ、目には既に眼球がなく、骨もあちこちで露出していた。
ゾンビには種類があり、死体に悪霊が取り付いて動かすタイプと、生前の妄執が強すぎる余り、肉体を持った悪霊と化す場合がある。前者ならばシスターの悪霊払い(エクソシズム)で成仏させられるが、後者の場合は非常に厄介だ。肉体と精神を同時に破壊するか、未練の元を断ち切るしか方法が無い。聖属性の魔術ならば肉体と精神の破壊を同時に行えるため非常に便利なのだが、問題はドラゴンゾンビということである。
「魔術に対する抵抗力も高いのよね、やっぱ・・・」
「腐っているとはいえ、皮膚もまだ固いだろうな。加えてこの巨体だ。痛みも感じないだろうし、倒しきるのは非常に骨がおれる作業だぞ」
「それにこんな見事な竜、あまり大陸中央にはいないわよ。西方のブローム火山に住んでいるっていう、火竜の一族じゃない? なんでこんなところに」
「そんなことどうでもいいわ。それよりこれは私の獲物よ」
アルフィリースが楽しそうに嗤う。
「うふふ、久しぶりに壊し甲斐のありそうな獲物。さあおいで、この私が直々に遊んであげるから」
「アルフィ・・・」
アルフィリースがドラゴンゾンビに一人立ち向かおうとする表情は、まさに悪鬼そのものだった。ミランダはその顔を見て、もはやアルフィリースが自分の知っている人間ではないのではないか、というような不安にどうしてもかられてしまう。
一方のアルフィリースはそのようなミランダの心配など露知らず、既にドラゴンゾンビとの戦いに全ての意識が集中していた。ドラゴンゾンビを前に舌なめずりをするその様子は、もはやどちらが魔物なのかわからない。
「さぁて、どうやって殺そうかしら。あら? もう死んでるんだから、殺すという表現は正確じゃないわね。昇天? 消滅? まあ、どっちでもいいか」
アルフィリースが手の骨をパキパキと鳴らし、両手で宙に別々の印を描く。
「さて、やっぱりゾンビは火葬よね。特別な火を用意してあげるわ」
【逆巻くは深淵、煮えるは地獄の釜、沸き立つは怒り。奈落の炎に意志を与え、哀れな生の奴隷を解放したまえ】
《煉獄の火葬》
アルフィリースの詠唱と共に、黒い炎が地面から湧きあがった。あっという間にドラゴンゾンビの巨体を包み込み、飛び火した炎が木々に燃えうつる。この沼地の気はかなり湿気ているはずなのだが、火の勢いは全く止まらない。このままでは森を焼いてしまいかねないくらいの勢いだった。
「なんて炎!」
「アチ、アチチ!」
「火の精霊に相性の悪い沼地で、これほどの魔術を用いるとは・・・」
エアリアルは唸った。ファランクスのように生まれつき火に属する生き物ならともかく、基本的には属性を持たない人間がここまでの力を扱うことは、常軌を逸していた。しかもアルフィリースが使っている炎は素人目にも特別製である。以前の《炎獣の狂想曲》もそうだったが、今回の炎も振り払う程度では全く消える気配がない。しかも今度は先の魔術とは違い、炎自身に意志があるように、ドラゴンゾンビの弱いであろう部分へ食い込んで行くように炎が殺到し、肉をはぎ取ろうと襲いかかる。既に痛覚もないだろうが、ドラゴンゾンビが苦しいのかわなないた。
「クオオオオオン!」
「あっは! 泣き叫んでも無駄よ。そのまま燃え尽きなさい! 私の憂さ晴らしのためにねぇ、アハハハハ!」
ゾンビの再生力を上回る炎を扱い、燃え盛るドラゴンゾンビを前にけらけらと嗤うアルフィリースに、全員の震えが止まらなかった。
「あれは、誰です?」
「なんて禍々しい気を発するんだ・・・」
「リサ、怖いよぉ」
ユーティがリサにしがみつく中、一番冷静だったのはミランダだった。
「(だがそれにしてもあのドラゴンゾンビ、全く抵抗する気配がない。炎で包まれたくらいでゾンビが突進を止めることはないだろうに。一体・・・)」
アルネリアのシスターとして、死霊・ゾンビの類いとも戦闘経験豊富なミランダだからこその違和感。人間のゾンビですら厄介なのに、ドラゴンゾンビがこの程度のはずはない。少なくとも、このドラゴンゾンビに敵意はないのではないか。もしそうなら戦闘自体を行う必要がない。そう思ったミランダはつかつかとアルフィリースの方に寄っていく。これ以上アルフィリースに戦わせたら、本当に取り返しがつかないかもしれない。これほど他の皆がアルフィリースに圧倒される中でも、ミランダの心中を占める思いはその点が一番だった。
「(アルフィリースは私の過去を黙って受け止めてくれた・・・今度は私の番だ!)」
例えアルフィリースの本性がどうあれ、自分だけは見捨てたくないとミランダが覚悟を決め、アルフィリースの肩をつかむ。
「アルフィ!」
「またミランダなの? 今、お楽しみの真っ最中なんだけど!?」
「このドラゴンゾンビに敵意はないかもしれない。もう行こう」
「そんなのどうでもいいのよ。私は八つ当たりしてるだけなんだから!」
アルフィリースが面倒くさそうにミランダの手を振り払った。だがこれでミランダも引くつもりはない。
「八つ当たり? 一体何にイラついているのさ?」
「ミランダによ! いつもいつも鬱陶しいったらありゃしない。自分はシスターの分際なのに旅先で好き勝手してるくせにさぁ、私にはあれもだめ、これもだめって。私の保護者気どり!?」
「嘘よ! アンタがイラついてるのは、そんなことじゃないでしょう!?」
ミランダの言葉に一瞬アルフィリースがはっとする。
「一体何にイラついているの? ちゃんとアタシに話してよ!」
「・・・うるさい、うるさい、うるさいっ!」
ミランダが再び握った手をアルフィリースが離そうともがくが、今度はミランダも離すまいとしっかり握っているため、全く離れる気配がなかった。そしてこころなしかアルフィリースが涙目になっているのを、ミランダは見逃さなかった。
「(アルフィにはまだ正気がある。これなら!)」
「なんでミランダは私の邪魔するのよぅ!? 友達なら私の味方してくれたっていいじゃない!」
「アンタが正しいことをしているならね。周りを見なさい!」
ミランダが示したのは、火の海になりかけている森。
「これだけのことをやらかしておいて、あんたは気にかけないってのか?」
「こんな森! 燃えて無くなればいいのよ!」
「!」
パン、と乾いた音が響く。思わず全員が息を飲んだが、ミランダがアルフィリースの頬を張ったのだ。
続く
次回投稿は4/8(金)21:00です。