沼地へ、その10~沼地の魔物~
「そ、それで・・・この沼地に何の用だ??」
「そうだった。白魔女のフェアトゥーセを知っているかい? 結構なばあさんだと思うんだけどさ」
「も、もちろんだ」
「そこまで案内してほしい。もちろん連れも一緒にね」
「い、いいだろう。馬がいるのか・・・ならば、ふ、船を出そう」
男が何やら合図すると、沼地の中から船が何艘か浮き出てきた。そしてその船をひっくり返して泥を落とすと、ミランダ達に乗るように促してきた。
「フェ、フェアトゥーセの所まで俺達が漕いで行ってやる」
「お、気がきくね」
「そ、そうしないと、あの女が来ると言ったからな。約束を破るような事があれば、お、俺達を皆殺しにして木に吊るすと言っていた。当時のあの女の暴れ方は、ど、どんな沼の魔物よりも恐ろしかったと、長老がずっと代々伝えているんだ」
「そりゃあまた・・・」
ミランダはちょっと呆れつつも、そのおかげで今こうして助かっているのだから文句は言えなかった。それにしても、ミリアザールはいったいどのような暴れ方をしたのか。アルネリアに帰ったら聞いてみたいなと思うミランダだった。
そこからの旅はのんびりしたものだった。沼人達は沼に棒を突き立て船を漕ぐのだが、まるで河を下るように滑らかに船は進む。軽く馬を駆けらせるくらいの速度は出ていた。木が密生しているわけだが、その隙間を器用に縫って船は進む。どうやら彼らにしかわからないようなルートがあるようだ。
そのままどのくらいの時間を進んだのであろうか。薄暗い沼地では時間間隔がない。既にだいぶ沼地の奥に分け入ったのか、魔獣か何かの不気味な泣き声が頻繁に聞こえてくる。さしものユーティも口数が少なくなっていた。
「ぶ、不気味だよう~」
「ですね。リサもちょっとおっかなびっくりです。そこいら中に生き物がいますし、私達の後をずっとつけてきている生き物もいるのですよ」
「え、ええ~?」
「まあ仕掛けてくることはなさそうですが、せいぜい私達が何かにやられた時に、死肉をついばむつもりなのでしょう」
「怖い事言わないでよう・・・」
「(そんなことより、先ほどどうやってアルフィリースはリサより先に沼人の気配を察知したのでしょうか? まったく、謎は深まるばかりですね)」
リサは周囲の様子よりもその疑問が気にかかっていた。元々が盲目なリサには周囲の明るさや不気味さは関係ない。だが、沼地の中にはセンサーが元々効きにくいのか、リサもやや落ち着かなさそうだ。そんな様子を見て、沼人が仏心でも出したのか、言葉をかけてきた。
「し、心配するな。ここの生き物で、お、俺達に逆らうのはほとんどいない。ぬ、沼地の主は俺達だからな」
「なるほど。それでこれだけ回りに生き物がいるにも関わらず、殺気がほとんどないのですね」
「そ、そうだ。だが、れ、例外もいる。それが・・・い、いかん」
「?」
沼人が急に慌て始める。と、同時に周囲には突然霧が立ち込め始め、あっという間に視界を奪っていった。出ている船は5艘。ミランダ達を2分割し乗せ、馬用の船が3艘である。だが、既に濃く立ち込めた霧で全くお互いの船が見えなかった。それどころか、ユーティの隣にいるはずのリサの姿までもが、ほとんど見えなくなっている。
「な、何これ?」
「? センサーが急に効かなく・・・」
「い、いいかおまえら。何があっても騒ぐんじゃないぞ。さ、騒いだら、全員死ぬからな!」
「何事だ!?」
「さ、サーペントだ!」
男のその言葉を最後に、周囲からは音が消え去った。船はどうやら限界まで端に寄せた様で、そのまま声を沼人達は潜めてしまった。あれほど周囲にいたはずの生き物たちもいまや音を潜め、周囲からは生き物という生き物全てがいなくなったようだった。
そしてやがて、規則的に船が揺れ始めた。この重たい泥をして、波が立っているのだ。波は徐々に大きくなり、そして船が傾くほどの大きさになっていく。リサは必死で船につかまったが、同時に一緒に乗っているニアも落とさないように捕まえていた。そして、傍にはとてつもなく大きな生物の気配が近づいてくる。
「(何か・・・いる!)」
リサがその気配を察知した瞬間、横を通り過ぎようとしたその生き物が停止した。リサは自分の心臓が早鐘を打つのを感じ、全身からは汗が噴き出してきていた。緊張のあまり呼吸するのも息苦しく、体がカタカタと震えるのが自分でもわかる。だがそれはニアやユーティも同じようで、自分とは別の震えをしっかりとリサは感じていた。だからこそ、怯えているのは自分だけではないと、少し安心もできたのだ。
「(この気配、ファランクスより大きくありませんか? いえ、下手すると・・・ライフレスより? そんな馬鹿な)」
リサが自分の能力を疑いかかった頃、再び生き物が動き始めたのか、また一際大きな波が立ち、やがて波が治まって行った。そして同時に霧も晴れていく。
「も、もういいぞ・・・」
沼人のその声と共に、全員が息を大きく吐き出す音が聞こえた。誰一人生きた心地すらしてなかったのだ。だがアルフィリースだけは、面白い物を見たように顔を輝かせていた。
「なんだったんだ、今のは?」
「姿が霧で見えなかった。だがとてつもなく大きかったような・・・」
「さ、サーペントだ」
沼人が額の汗をぬぐいながら答える。
「あれも沼の魔物か?」
「いや、あれが現れたのはここ200年くらいの話だ。そ、それまではあんなのはここにはいなかった。それからだ、こ、この土地に俺達の言うことをきかない生き物が増えたのは。あれが一番やばい奴だが、ほ、他にもいっぱいいるぞ」
「なるほどね。早いところフェアトゥーセの所に行った方がよさそうだ」
「そ、そうだな。それにしてもサーペントと出くわして無事なのは、う、運がいい」
そして沼人はまたしても船を漕ぎ始めた。安堵する全員の中で、アルフィリースが誰にも聞こえないように呟く。
「ふぅん・・・ただの沼の魔獣じゃあなさそうね。興味深いわ」
だがその言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
***
その頃、シュティームは魔王の群れに襲撃されていた。美しかった木々は焼かれ、あるいは腐り、妖精たちは逃げ惑い、既に数刻前の様相は見る影もなかった。それでもウィンティアの指示で既に大半が逃げ出していたため、妖精達の被害は最小限に抑えられた。
だがウィンティアは全ての妖精が脱出するまで、この場所を見届ける義務があった。また、自分が築いた里を最後まで見届けたいと思ってもいた。そして当然のこととして、その場に佇むウィンティアと、背後に隠れる精霊達を魔王達がじりじりと取り囲む。彼らが一斉にウィンティアを攻撃しなかったのは、ウィンティアの威圧感が凄まじかったからだ。
精霊は自発的に他者に関わるのは原則的に禁じられているが、求められれば応じることがあるのは、ニアを助けた例を考えてもわかる。積極的な攻撃に関してもそうで、力が強いからこそ自分の存続の危機に至るまでは決して自発的には攻撃をしない。例え目の前で自分の眷族が殺されようが、里が滅ぼされようが、それは絶対の掟だった。
それでもウィンティアは怒りの眼差しで魔王達を威圧していた。自分にまで手を及ぼすつもりなら、その時こそは容赦しないぞ、と。それがわかっているから、魔王達も本能から手出しを躊躇っていたのだ。
その拮抗状態を崩したのは、男の声。
「何をやっている」
その声に魔王達が反応し振り返ると、そこにはライフレスが立っていた。反射的に一体の魔王が跳びかかったが、横にいた巨漢の鎧の騎士が、その頭を素手で叩き潰した。
「ドルトムント、精霊の里を汚すな」
「これは失礼を。王に手だしをするなど、無礼千万の輩につい」
鎧の騎士は膝まづき、臣下の礼を少年にとる。その圧倒的威圧感に、他の魔王達が思わず道を開けた。
「ふむ、上位精霊か。名を聞こう」
「随分と尊大な態度の人間ですね。自分が精霊に命令できる立場だと思っているのでしょうか?」
「そちらこそあまり舐めた口を聞くなよ? 神格を得るような上位精霊ならともかく、たかが並の上位精霊ごときが俺に勝てると思っているのか? だいたい貴様ごときを消し飛ばした所で、俺の魔術には何の影響もない。全ての魔術にとって自分達が崇拝の対象だと思っているのなら、とんだ思い上がりだ」
「くっ・・・」
ライフレスの言い分はある意味では正当だった。ウィンティアと直接契約をするような精霊魔術を行使するような者がウィンティアに害を成すのは、自分の足元を自ら崩すような行為だが、ライフレスは精霊魔術に限らず理魔術や暗黒魔術まで行使できる。さらに風の上位精霊といってもウィンティア一人だけではないため、実際に上位精霊を消滅させた所で使用する魔術に影響が出ることはほとんどない。普通の人間ならば上位精霊と直に口を聞いただけでも感動的な出来事なので、そんな大それたことを考えようとは誰一人思わないだろうが。
ウィンティアもまたライフレスの話を聞いているし、目の前の男がそうだと予想も付いている。それに直に見た感想から、とてもではないが対抗できるような人物ではないことがよくわかった。それでも精霊の誇りにかけて、人間のいいなりになるわけにはいかない。
「・・・」
「だんまりか、気の強い精霊だ」
「吐かせますか?」
「よせ、ドルトムント。自ら精霊に嫌われるのも得策ではあるまい。それに逃げるだけならこの精霊はいつでもできる」
立ち上がりかけたドルトムントをライフレスが片手で制し、ウィンティアをじっと観察する。
「ふむ、見目は好みだがな」
「・・・汚らわしい目で見るな、下郎」
「そういうつもりではない。単純に褒めただけだ、そう気分を害するな。それに俺はもっと儚げな女が好きでな。お前みたいに気の強い娘はあまり好みではない」
嘲笑気味に笑うライフレスにかっとなりかけたウィンティアだが、思いとどまりもう少し目の前の少年の様な男を観察することにした。
そうして睨みあうこといましばらく、ふいにライフレスの元に一羽の鴉が舞い降り、鳴く。
「ふむ・・・そうか、アルフィリースは既に沼地に入ったか」
「なんと? いかようにして」
「どうやら沼人が協力したようだな。どうやったかはしらんが。どうやらこのまま追いかけても、追いつくことは無理だな。沼地は知らぬ者が入れば迷うだけだし、あのような場所で人探しなど愚の骨頂。沼地を焼け野原にするなら別だが、それでは奴らの生死も確認できぬ。アルフィリースは確実にこの手で息の根を止めておきたい」
「ならばいかようにいたしますか?」
エルリッチの問いをライフレスはしばし頭で反芻し、やがてゆっくりと答える。
「・・・どの道出てくるのは北からだろう。だが万一元の場所に帰って来ることを考えて、エルリッチ、貴様は魔王の半数を従えて南で待機。ドルトムントは俺と北に先回りする。南と北に俺の使い魔で防衛線をはる。逃がしはせんさ」
「馬鹿な。どれだけ沼地が広いと」
ウィンティアがそんなことができるものかと思わず口にしたが、ライフレスは一笑に付した。
「それはどうかな?」
ライフレスの体から大量の鴉の使い魔が湧きでてくる。その数はシュティームの上空を黒く埋めて、なお余りある数だった。
「な・・・これだけの使い魔を同時に・・・」
「悪いが、俺の魔力は並の魔術士10万人相当だ。その気になれば、現代の魔術協会の魔術士全部を集めても、まだ俺にとどかんだろうな」
「そんな馬鹿な! 人間にそんな魔力を扱えるはずが」
「もちろん研鑽はしたさ、それこそ血反吐を吐くほどな。およそ軟弱な貴様らでは、俺の修行は想像もできんだろうよ。もっとも魔力が多ければ偉いわけではないのは、魔術を扱う者ならだれでも知っているだろう。魔力が多いと便利ではあるがな」
そしてライフレスが空中に光を打ち上げると、鴉達は一斉に飛び立ち光が再度射した。舞い落ちる黒い羽根に、不吉な予感を隠せないウィンティア。
「(こんな奴を相手にあの子達は・・・エアリアルの不安も無理はない)」
「さて、貴様はどうする上位精霊。ここは大気の元素が充実した場所だからな。少しここで魔力を補充させてもらおうか。最近魔力を使いっぱなしで、今は総量の半分程度しかないからな。別に貴様がここに留まっても、取って喰いはせんが」
「いえ、お暇いたしましょう。既に移動の準備はできていますから」
「そうか、ならばそのようにするがよい。そしてお前達」
ライフレスが魔王達を見ると、びくりと魔王達が怯えた。
「いつまでここで呆けている。さっさと大草原に散れ!」
そのライフレスの一喝に、魔王達が全力で逃げ出して行った。その様子を見届けると、その場で座し、瞑想に入るライフレス。ドルトムントはそれにならいその場に坐し、エルリッチは自分たちが連れてきた半分の魔王を連れて去って行った。
その様子を見届けるウィンティア。そしてゆっくりとまた自分もシュティームを後にする。
「(ユーティ、エアリアル・・・どうか無事で。また会えますよう、風の導きがあらんことを)」
ウィンティアは祈るような気持ちで、さりとて自分にいまさらできることもなく、無力を噛みしめながらその場を後にした。
続く
次回投稿は、既に今日になりますが、4/7(木)22:00です。