戦争と平和、その256~悲願⑯~
「あれは・・・」
まだこの一帯はアルネリアによって封鎖されているはずだ。その場を歩いてくるということは、彼もティタニアに対する刺客ということなのだろう。その姿にも見覚えがある。統一武術大会の出場者で、まだ勝ち残っている出場者のはずだが、名前を思い出せない。
ただ黒衣に身を纏った青年だということは印象に残っているのだが、強さも大したことがなかったはずだ。強いて言うなら、戦い方がぎこちない、ということだけが印象に残っている。まるで剣を握ることになれていないような、その程度の印象しかなかった。
だが今考えると、戦い方がぎこちない人間が統一武術大会の五回戦まで勝ち抜けることができるのだろうか。今日の試合も勝利していたはずだ。バネッサはその事実に気付くと、急に得体の知れない青年のことが不気味に感じられた。
その青年がゆっくりと歩いてくると、バネッサに声をかけた。
「彼は?」
「何?」
「背中の少年だ。無事なのか?」
「これから見せるところだけど、まぁ大丈夫でしょう」
「そうか」
それだけ言うと、青年は過ぎ去っていく。バネッサは関わるべきではないと感じつつも、思わず声をかけた。
「この少年に縁があるのかしら?」
「その事実が、お前に関係があるのか?」
「それは、ないけど」
「――好敵手、になりえるかもしれない相手だ。生きてさえいれば」
青年はそれだけ告げると、振り返ることなくティタニアの方に向かっていった。バネッサは青年の名前を思わず聞きそびれていたが、それでよかったと感じていた。戦わないのなら名を知らぬ方がよい。姿の通り、それだけの不吉な予感を連想させる相手だったからだ。
***
「各所、連絡が遅いわ!」
「申し訳ありません」
ミランダはティタニア包囲網の陣頭指揮を執っていた。元よりその予定ではあったものの、エルザありきの指揮系統であることは否めない。エルザは多人数を指揮してこそ本領を発揮する。ミランダが総大将だとしたら、エルザは現場の指揮官としてもっとも力を発揮する。
アルネリアには有能な戦士はたくさんいるが、指揮官となりえる人材は少ない。ましてエルザがいないこの時、ミランダの想像以上に神殿騎士団が稼働しなかった。
「(エルザ一人いないだけでここまで稼働しないとは――梔子を借りてくるべきだったかしら?)」
ミランダが爪を噛みながら考えていると、次々と報告が入る。
「バネッサがティタニアと遭遇するも、負傷したジェイクを抱えて離脱。いかがいたしますか?」
「ジェイクが負傷? 何があったの?」
「拳を奉じる一族が雇ったゴロツキ共に、不意打ちを受けたようです」
予想外の報告に、ミランダは怪訝な顔つきになった。
「そんな連中に不意打ちを受けるとは、変ね――で、重傷なの?」
「意識が戻らないようです。おそらくはこちらに運ばれてくるかと」
「最高の医療班を準備なさい。くっ、バネッサの離脱はやむなしか」
バネッサの出自を洗っていたところ、彼女は自らアルネリアにその腕を売り込んできた。調査を行う口無しの虚を突くだけで実力は充分と考え申し出を受けたが、戦わずして離脱するとは思わなかった。まぁ元よりどの程度役に立つかわからなかったのだ。計算には入れていない。
そして次の報告。
「スピアーズの姉妹たちがティタニアと戦いに入りました」
「よし、これで時間稼ぎができるわね。素直に動いてくれるとは」
スピアーズの姉妹たちなら時間稼ぎができるだろう。この隙に拳を奉じる一族が戦ってくれればと考えたが、どうも彼らの動きが鈍い。仕掛けもバラバラだし、一体何の理由があるのか。彼らに存分に戦わせるための戦場なのだが。
自分たちを信用できないのはわかるのだが、それにしても彼らがそこまで手札を明かさず秘密主義にする理由があるのだろうか。先の会談では確かにベルゲイには殺気を飛ばされたが、それなりに関係性は上手くいったと思っていたのに、見込み違いなのか。
それとも使い潰すつもりなのが、ばれたか。だがそれでも彼らは戦わなければならないはずだ。これ以上お膳立てをされた戦場は今後見込めないのだから。
ミランダは不可解な彼らの動きを訝しみながら、次の手を動かそうとする。
「右手のないティタニアなら、三姉妹でそれなりの勝負になるでしょう」
「右手がない、でありますか?」
「・・・なんでもないわ」
ミランダは自分で言っておきながら、はっとした。先ほどまで使い魔を通じて戦いを直に観察していたのだが、現在は位置が悪く戦いが直接見えない。そのことを部下には伝えていないため、会話に齟齬が生じたのだ。ミランダが使い魔を用いて直接戦いを監視していることは、そもそも誰にも教えていない。
だが報告に来た騎士はミランダの言葉を否定した。
「物見の報告ではティタニアの右手は健在です。スピアーズの三姉妹が押されている状態です」
「は? なんで右腕があるわけ?」
「なぜと言われましても・・・」
騎士は返答に窮したが、ミランダは自ら動けないこの状況をもどかしく思った。ここにアルフィリースがいれば、使い魔や伝達手段も含めて、理由がわからないなどということはあるまい。アルフィリースが指揮するイェーガーの戦いの報告を聞くたび、その情報伝達の速度と正確性に驚くのである。
ミランダが自らの使い魔を増やそうとしたところで、次の報告が来た。
「黒衣の青年がティタニアの元に向かっています」
「黒衣の青年? 名前は?」
「は、それが――不明です」
「どういうこと?」
「ミランダ様の手駒ではないのですか?」
傍に控えていたイライザが疑問を投げかけた。ミランダもまた報告を受けて、初めて聞いた姿だった。
続く
次回投稿は、11/21(水)8:00です。