沼地へ、その9~沼人~
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既にアルフィリース達はシュティームを後にし、沼地へと歩みを進めていた。アルフィリースが「戦いたい」とぐずったが、ニアの調子がそれどころではないし、馬の数に余裕がない事、ライフレスが追撃していることを伝えると、しぶしぶながら沼地へ向かうことに納得した。
後は変わったことと言えば、
「ユーティは私達と一緒に来るのですか?」
「当たり前よ! 私がいないと皆どうするの?」
リサのセリフにユーティが胸を張るが、
「別にどうも?」
「いてもいなくても、ねぇ?」
「鍋の具が一つ減るかどうかの違いだな」
「さっそくこの言い草だよっ!」
と、ユーティがふてくされたくらいのものだった。もちろん皆の冗談だが、このぐらいがすぐ調子に乗るユーティにはちょうど良いと、皆顔を見合わせて笑いあった。
そして一行がシュティームを出てから既に結構な時間が経っているわけだが、道のりの闇があまりに深かった。松明の光も吸い込まれてしまうように闇の中、周囲を照らさず、まるで闇が意志をもって迫るかのように周囲はただ暗かった。足場は徐々にぬかるみ始め、木は徐々に不気味な形に歪んでおり、湿地帯へと入った様相を呈していた。
ついに彼女達は帰らずの沼地に足を踏み入れたのだ。
「どうどう」
「ここからは馬を引いて歩いた方がいいかもな」
「ええ、馬が足を滑らせるわね」
馬が思うように速度を出せなくなったのを見て、各自が馬から降りて手綱を引く。ニアだけはまだ歩かせない方がよさそうなので馬の上に残し、安静にさせておいた。
「で、ミランダの『あて』というのを説明してもらおうか?」
エアリアルが質問する。大草原の守人であるエアリアルといえど、帰らずの沼地は管轄外だ。ファランクスからも立ち入るなと教えられてきた。土地が持つ魔力のようなものがあり、一度迷うと出られない。またここの住人は特殊な能力を有しているのか、どこに集落を作っているのか、誰も見たことがなかった。さらに、最近では妙に強力な魔物が出るとの話もあり、不可侵の領域として魔物や魔獣すら近づかなかった。
そんな場所をどうやったら抜けられるのか、エアリアルにも興味があった。
「別になんてことはないわよ。大昔、うちの教会が沼地へ遠征して、その時にここの蛮族を成敗しているのよ。昔、この沼地の住人は、積極的に他の土地へ侵略する種族だったらしいわ。それが目に余るから、当時の最高教主が成敗したって記録にあるの。その時に他の土地へ侵略しないことと、アルネリア教会関係者には何があっても手を出さないことを約束させた。それがあてよ」
もちろんミリアザールが成敗したということだ。その後、この沼地を北から南へ通り抜けたミリアザールとその一行がファランクスを助けるのだが、その事はなんとなくミランダには想像がつきつつも、伏せておいた。ミリアザールのことは、まだリサとアルフィリースしか知らないのだ。
「へぇ~、ちなみにいつの事?」
「記録によると、今から570年ほど前のことよ」
アルフィリースの少し小馬鹿にしたような質問に、多少むっとしながらミランダが答えるが、その答えを聞いて全員が不安げな顔をする。
「その約束はまだ生きているのか?」
「・・・200年前にアルネリア教会が沼地に関わった時には、まだその約束は生きていたと記録にあるわ。その後は知らない」
「で、フェアトゥーセとかいう魔女の住処は?」
「おそらく沼地の中ほどだわ。詳しい場所は私もわからないけど」
「お話になんないわね。雲をつかむような話だわ」
「そんならどうしろって言うのさ!?」
アルフィリースの不満気な物言いに、ミランダが苛立ちを隠せない。リサが思わず窘めたが、アルフィリースはそこまであてどない話なら私を巻きこんでくれるな、ライフレスと戦っていた方がましだった、と目で訴えていた。
エアリアルは同調するわけではないが、やはり不安はあるようだった。
「沼地は広い。蛮族に話が通じなかったらおしまいだぞ?」
「わかってる! アタシが交渉してみるよ」
ミランダがアルネリア教のシスターの恰好に着替える。その恰好でないと、アルネリア教会関係者だと信用されないと思ったのか。
今までは比較的旅の行き先が決まっていたし、あるいは案内がある旅だった。だが今回は薄氷の上を歩くように不安定な道のりだ。それもあってか全員が不安を隠せない。そんな中、リサがさらに言葉を発する。
「それよりも沼地の魔物と、『沼人』は、沼に人間を引き摺りこんで食べると聞いたことがありますが」
「事実だと思う。実際に征伐した時も、それが理由だったらしい。沼人は元来、食人の習慣がある連中だ」
ミランダの答えを聞いて、リサが表情を強張らせる。沼人は蛮族として中原でも名前だけは有名である。昔は魔王に与する数少ない人間として、忌み嫌われた存在だ。もっとも人語を解すのかどうかも定かではないし、人間を食べたりすると言われる所からも、本当に人間かどうかすら怪しい。大戦期が過ぎてからは滅多に姿を見なくなっているそうだが、今でも時々若い人間をさらっていくとういう話は聞くので、存在はしているのだろう。もっとも伝説に近い状態ではある。
「話が通じなかったら」
「・・・私の腕のことはいい。皆の安全を優先してくれ」
ニアが目を覚ましたのか、あるいはずっと聞いていたのか。話すのもまだ少しつらそうだが、自分が足手まといになってはと、必死の表情だった。
「それにしても、なんでこんなに体調悪いかなぁ? 獣人って生命力強いし、確かに腕が切れた後応急処置程度でかなりの長距離を移動したけど、こんなに悪いはずがないんだけどなぁ」
「ニアの腕を切った風の魔術に、闇の属性が入っていたのよ。闇の属性は、人間や獣人には毒だから」
ユーティの問いにアルフィリースが答える。その言葉にぎょっとするユーティだった。
「そんなことに気付いているなら、なんで早く言わないのよ!?」
「言ってもどうしようもないでしょう? 魔術による毒は魔術でしか消せないし、闇属性は闇か光でないと打ち消せない。私やミランダは回復魔術を使えないし、ユーティは水でしょう? 言ってもどうしようもないことは口にしない性格なの、私」
「それでもっ!」
ユーティが何かを言いかけた時、その体をアルフィリースが掴む。
「むぎゅうっ!」
「シッ」
アルフィリースが全員を制した。どうもどこか空気がおかしいことを察知したようだ。
「リサ、気配は?」
「いえ、何も・・・」
一面は既に足先が埋まるくらいの沼地だった。そう深いわけではないが、足は思うように動かせない。だが沼地が深くなるにつれて、不思議な事に木が密生していた。
普通の湿地帯ならば気は枯れ木になり本数も減っていくはずだが、逆に木は生い茂り、生命力を感じさせない黒い葉が繁っている。木の形も人の手のように見え、まるで伝説の呪われた森にでも迷い込んだようだ。湿度が高く、泥のせいなのかよくわからない、何かの腐ったような嫌な臭いが立ち込めていた。
「・・・いるわよ」
「リサは何も感じませんが・・・」
「使えないセンサーね。沼の下よっ!」
アルフィリースが叫ぶと同時に、全員の体が突然沼地に腰まで沈んだ。同時に、沼地から巨大なヒルのようにぬめぬめした胴体と、のこぎりのような歯がついた、大蛇ほどの大きさの魔獣がアルフィリース達を囲むように姿を現す。
「うわあっ!」
「何ですか、アレは?」
「沼ヒル? にしても、大きすぎる!」
「くそっ、身動きが取れない!! 急に沼が重くなったぞ?」
「当然よ。魔術だもの、これ」
アルフィリースがしれっと答える。アルフィリースだけは体を沼から浮き上がらせていた。
「なるほど、水、土、木の集団複合魔術か。解呪しにくいし、センサーも防げぐのね。こんな陰気な土地に引きこもってるただの蛮族だと思ってたけど、立派な知性を持っているわね。なかなかどうしてやるじゃない」
「アルフィ、呑気な事言ってないで、なんとかしなさいよっ!」
「・・・うるさいわね。言われなくても何とかするわよ」
ミランダの怒声に、ため息交じりに答えたアルフィリース。眼前には沼ヒルが迫る。
「寄るな、雑魚共っ!」
だがアルフィリースがパチンと指を鳴らすと、10匹以上いたヒルが一斉にはじけ飛んだ。アルフィリースが目の前に電撃で防衛線を張ったのだが、あまりの早業に他の人間にはヒルが弾け飛んだようにしか見えなかった。
そしてさらに沼地からは大物が姿を現す。目が6つ並んで付いている、巨大な鰐のような生物である。体の割に妙に頭が大きく、さらに足と尻尾を器用に使って立ち上がっている。だがアルフィリースが睨みつけると、その生物も前進が止まり、怯えたように固まってしまった。
「大したことないわね。もう終わり!?」
アルフィリースが周囲に叫ぶ。すると沼からは今度は人間が浮かび出てきた。これが沼人かと全員が目を見張った。驚いたことに、彼らの体は灰色で一切の体毛がなかった。彼らは粗末な腰巻をしているだけで、手には蔦で作ったムチを持っており、先ほどの鰐に必死でムチを入れている。だが鰐はアルフィリースを見たまま、ピクリとも動かなかった。
さらに沼からは次々と沼人が出てきた。今度は様々な武器を手にしており、槍、弓が主だった。さらに顔には何かの骨でできた仮面をかぶっている者もいる。彼らが手を合わせると、沼が蠢き、アルフィリースの体に、蛇のようになった泥が撒きつこうとする。だがそれすらも、アルフィリースがその内の一つを握ると、全てがただの泥に戻ってしまった。その様子を見て、さすがの沼人にも動揺が走った。
「はっ! 全ての元素を操るこの私に、この程度の魔術で挑もうなんて片腹痛いわね。この沼地の肥やしになるがいい!」
アルフィリースが手に雷球を作り出す。その様子を見て沼人達が慌てふためくが、既に戦いの歓喜に目覚めたアルフィリースは、逃げようとする沼人にも容赦がなかった。
「死ねぇー!」
「駄目!!」
ミランダが飛びついてアルフィリースの魔術を止める。そのせいで狙いがそれたアルフィリースの雷球は、はるか上の木に直撃して爆発した。その周辺の木が吹き飛び、暗かったはずの沼地に陽光が指した。いつの間にか、夜が明けていたのだ。
ライフレスと戦ったのが2日前の深夜、シュティームに辿り着いたのがさらに夜だったので、丸二日ほぼ移動づくめだったらしい。
射した光がアルフィリースとミランダを照らした。
「ミランダ、何をするの?」
「殺しちゃだめよ! それこそ、ここから打つ手がなくなる」
「私に逆らったのよ、こいつらは!?」
「それでも! 我慢なさい!」
ミランダが一歩も引かない剣幕でアルフィリースを制する。しばらく続く睨みあいの中、アルフィリースが妥協した。
「・・・いいわ、引いてあげる。でも、次はないわ」
「・・・そう」
アルフィリースは舌打ちをしながら引き、先に沼から脱出したエアリアルがリサや馬を引き揚げるのも、手伝おうともしなかった。
そして残ったミランダが声を張り上げる。
「誰か話を出来る者はいないか!? アタシはアルネリア教会の司祭、ミランダだ!」
すると、沼人の中に動揺が走った。やがて後ろから、少し歳を経た容貌の男が出てきた。だがよくよく顔を見ると、沼人の多くは目が悪いのか、目の色も白く濁り、瞼は腫れぼったい。年齢が外見からはわかりにくく、だが体の装飾が多い者が何やら話し合うところから、身分は装飾の多さであらわされるのだろうと想像できた。
やがて一番多くの装飾を付けた者が、ミランダの前に立った。
「アルネリア教会・・・し、証拠は?」
「汚れちまったがこのローブと、身分証ならあるけどね。でもアンタ達が知っている時代の物とは違うかも」
「白いフードとローブ、金の髪・・・い、いいだろう。お前をアルネリア教会の人間と、み、認めてやろう」
「へえ、そんな簡単に認めていいのかしら?」
少し疑い深げにミランダが男を見つめる。だが男は気にしていない様子だった。
「か、構わん。ど、どの道、俺達には細かいことはわからん。ただ、白いフード、ローブ、金の髪の女はみ、見逃すことにしている。そ、そういう約束だ」
「それ以外なら?」
「お、俺達の里に連れて帰って・・・ぐふふ」
「あー、いいや。言わなくって」
男が不敵な笑みを浮かべたので、その先はなんとなくミランダには知れてしまった。だそんな適当な約束だとは思わなかった。もっともこの沼人にあまり細かな約束事は覚えられないのかもしれない。それでも600年近く守られているのだから、大したものだ。
あるいは、それだけ徹底的にミリアザールが暴れたのかもしれない。何をやったかちょっとミランダが考え、悪鬼のごときミリアザールを想像して身震いする。容赦のない折檻のことを考えたら、ちょっと沼人が気の毒にさえ思えた。
「(ファランクスといい、沼人といい・・・ホントにどこにでも出没してるわね、マスター)」
半ば感心、半ば呆れるミランダに、沼人達が話しかけてくる。
続く
次回投稿は、4/7(木)0:00です。