戦争と平和、その239~拳士バスケスvs仮面の拳士(大司教)エルザ③~
バスケスはエルザの後ろに回ると、座り込んで右肩に足をかけ寝ころんだ。そしてニタリと笑って声をかけた。
「せぇ~、のっ!」
バスケスの掛け声と共に、エルザの右肘が半分壊れた。声にならない悲鳴を上げるエルザ。いかに鍛えようと、痛みから逃れられるものではない。先ほどの胴への苦痛が一瞬消え去るほど、強烈な一撃。それでもエルザは悶えながら反撃しようとする。
「き、貴様ぁ」
「おりゃ」
今度は、バスケスが口笛を吹きながらエルザの指を一本一本折り始めた。バスケスへの罵声は、無様な苦痛の声へと置換された。その声を聞きながら、バスケスは歓喜に身震いしていた。
「んんん~! いちいちイイ声上げるねぇ、あんた! 中々良い素材だ! ひょっとして、マゾなんじゃねぇの? それとも強気なだけに、アッチの方は受け専門か?」
「~~!」
エルザは無言で左腕でバスケスの顔面めがけて拳を放った。右腕を極められた状態で拳を放てば、当然右腕は壊れてしまう可能性が高い。使いものにならないのなら捨てる。エルザは決死の覚悟で一撃を放っていた。
だがバスケスはそんなエルザを嘲笑うかのようにあっさりと手を放し、後ろ回りで跳ね起きながら逃げていった。右肘は半壊のままだが、肩は今の無茶で外れ、右腕の指は三本まで折られていた。もうこの試合では使い物にならない。
その右腕を見ながら、バスケスは楽しそうに跳ねまわっていた。
「くはは! 知っているか? 折れた腕をくっつけるのは比較的魔術でも楽だが、半壊状態。つまり骨折じゃあなく部分腱断裂やねじ曲がってくっついた骨を整合する場合ってのは、一度壊してから再度くっつけ直す必要がある。
つまり、治す時にもすんげぇ痛えってことだ。痛みってのは慣れるからなぁ。的確に痛めつけるには、忘れた頃に一撃加えるってのが効果的だそうだぜ?」
「この、サディストが!」
「俺も他人に教えられたことだし、当然自覚しているぜ。で、なんでこんな話していると思う?」
バスケスの体が再度消える。そしてエルザは左脚に違和感を覚えたと思ったら、左脚があらぬ方向に向いていた。痛みが一気に来るのではなく、じわじわ来るのが恐ろしい。
「~~~っ!」
「大腿骨を外して180度反対に向けただけだが、大腿の筋肉と神経をねじ切った。血管を切らずにやるのがコツだぜ? 血管をちぎると失血死するからな」
バスケスは頭からエルザの足元に飛びこみ、頭を支点に足をねじったのだ。一瞬の早業に、ほとんどの者は何が起きたかわかっていなかった。
この一連の行為に、ロッハが観客席から身を乗り出して叫んでいた。
「何をしている、審判! 試合を止めろ、勝負ありだ!」
「だが、まだ敗北の意思表示を聞いていない!」
審判はエルザの正体を知っている。その上で、試合を止めないようにエルザに頼まれていた。大会を盛り上げるために貢献したい。そのためには、簡単に試合を中断しないでくれと。主催者側だから永遠に勝ち進むわけにもいかないが、棄権の場面は自分で選びたいと申し出があったのだ。そうでなければ、最低でも試合を中断して棄権の意志を確認しただろう。
バスケスはそのやりとりを見て、ニヤリと笑った。
「そっかぁ、棄権しちゃうのかぁ。残念だなぁ」
「む、ぐぐ」
「でもまだ満足してねぇなぁ。こりゃあ今夜は適当に誰かさんでも襲うかなぁ。なんか負けちまった女騎士とかいたし、その辺がいいかなぁ?」
バスケスがその言葉と共に舌なめずりした。バスケスはエルザの正体を知ったうえで、揺さぶりをかけていた。エルザもまたイライザのことを言われていると気付き、それが挑発だと知ったうえで聞き逃すわけにはいかなかった。
そしてつい、挑発に乗ってしまったのだ。
「誰が棄権などするか! 貴様は成敗してくれる!」
「おほっ! 審判、聞いたな? この女、絶対棄権しないってよ。これなら遠慮なく、本気が出せるぜぇ!」
「ダメっ!」
今度は観客席からシャイアが飛び出した。と、その肩をローブに身を包んだゴーラが掴む。
「師匠、止めないで!」
「他人の競技に手を出せば、お主が失格になるぞ? いいのか?」
「ですが、しかし!」
「見ておれ、これがあの女の選択じゃ。間違えれば、そなたもああなるということぞ」
ゴーラに情がないわけではないが、ゴーラは選んでこの場に立った者にかける情けはないと覚悟を決めていた。
そして段上ではバスケスによる滅多打ちが始まっていた。あまりの悲惨さに、観客のおおよそは目を背け、会場から退出する者すらいた。この場にミリアザールかミランダがいれば止めたに違いない。だが二人とも午後の会議ですでにおらず、大会本部にはエルザより身分が上の者は誰もいなかった。そして審判はロッハの声に反論したことで、逆に止める機会を失ってしまっていた。
このままでは死んでしまう――最低でも再起不能になる。競技者の中には試合を止めるべく身を乗り出した者も多数いたが、そもそもバスケスを止められるほど技量に確信がある者が少なく、また割って入れば自分が失格になることもわかっていたため、それがわかってなお飛び出すことができる者はいなかった。
そしてバスケスはエルザの左腕がねじ折られ、右膝が蹴りぬかれたところで、エルザはついに膝をついて倒れた。前のめりになる体を、バスケスが軽打で叩き起こす。そしてそのままゴムまりのように、倒れそうになる体をサンドバックにしていた。
「ヒャハハ! 力が入らねぇと、倒れることもできねぇだろ!? と、このまま殺しても次の試合に出れねぇしな。ここいらで決めておくか。
あんた、イイ女だったぜぇ!? これで夜に何人か抱けば、イライラもすっきりするだろうよ! あんたをそうしてもよかったんだが、化け物みてぇに腫れた顔の女を抱く趣味はなくてよぅ!
それに、ちょーっともう目覚めることもないかもしれねぇしなぁ。奇跡的に意識が戻ったら、もう一回襲いに行ってやるよぉ!」
バスケスの振りかぶった手刀がエルザの脳天めがけて振り下ろされる。脳天を割れば目覚めなくなる力加減をバスケスは知っている。戦いの中では狙ってやることはできないが、これだけ抵抗がなく、これだけ殴って手ごたえがわかる相手なら力加減は完璧にできる。
バスケスは確信をもって手刀を構えていた。この手を下ろせば、この女は一生目覚めることはないと。いかなる回復魔術をもってしても、傷を塞げば治る類の後遺症ではないと知っていたのだ。
バスケスの頭に去来したのは後悔や逡巡ではなく、せっかく微妙なさじ加減で壊した体の各所だが、一生眠ったままなら治す時の苦痛がなくなるのではないかということ。だがその疑問も実に簡単な回答にて、一瞬で霧散した。
「(まぁ、いっか)」
そしてバスケスの手刀が振り下ろされるまさにその瞬間――
続く
次回投稿は、10/18(木)10:00です。
 




