戦争と平和、その237~拳士バスケスvs仮面の拳士(大司教)エルザ①~
ルナティカは疲労とダメージからそこで膝をついたが、対するヴァトルカは無傷の状態だった。勝者はルナティカだったが、その様相は真逆と言っていい。
ヴァトルカはしばしまじまじとルナティカを観察し、問いかけた。
「あなた、先ほどは何をしようとしていました?」
「――え?」
息を切らせてそれどころではないのか、質問はルナティカに耳に届いていなかったらしい。その様子を見て、ヴァトルカはふっと笑った。
「なるほど、無意識の動きですか。それはそれで――私が資質を見誤ったと。なるほど、面白い」
「何を言っている?」
「しばし、様子を見守ってもよいでしょうと言っているのです」
ヴァトルカは身を翻してその場を去った。
「身柄を確保するのはしばし待ってあげましょう。外の世界にいることで予想外の進化をするというのなら――まだ見極めるには時間が必要ということでしょうね」
「どういうことだ?」
「我々の主が目覚めるまで、待ってあげましょうと言っているのです。まずはこの大会をあらん限り勝ち上がることです。私たちでも一目置く競技者がこの大会には集まっています。この大会でどこまでいけるか――それがあなたの資質の証明にもなりましょう」
ヴァトルカは楽しそうに笑いながら、去って行った。そしてルナティカはふらふらとしながらだが、自らの足で競技場をあとにした。ただ、その心中は穏やかではなく、変わらず疑念と靄のような不安が渦巻いていたのである。
「(勝ったのに、なんだこの不安は――まだ何か、起きるというのか?)」
その不安は、これから起きる一連の騒動をルナティカの本能が予見していたのかもしれなかった。
そうして一通りの注目対戦が終わり、やや観客が散らばったところで一つの試合が始まろうとしていた。バスケスvs仮面の拳士であるエルザ。
本来シードであるバスケスの試合がこの時間帯に組まれたのは、エルザの表の仕事の都合と、バスケスがシードもらうほどの競技者でありながら、その行為や態度が褒められたものではないとの理由からだ。
バスケスという傭兵は、元は犯罪者として指名手配されていた。片田舎の暴れ者として手が付けられなかった若者は、ある日放浪の武闘家に預けられ、技術をもった拳士になった。だがバスケスの性根は直ることなく、むしろより狂気と凶気を研ぎ澄まし、手の付けられない暴れ者となっていた。
さらに以前と違ったのは、バスケスはただ暴れるのではなく、意図をもって暴れるようになっていた。悪知恵をつけ、立場を考えながら傭兵としての功績も挙げながら、一方で暴虐を繰り返していた。
それらの行為を苦々しく思った者たちが結託しバスケスを指名手配したが、バスケスは勇者ゼムスの仲間へと勧誘され、辺境での未達成依頼を中心に従事することとなる。そこで功績を上げ、また恩赦などと相まってここまで大きな裁きを受けることもなく、勝手気ままにやってきた男だった。
その性は残酷にして顕示欲が強く、快楽主義者。そのバスケスが今回のような不遇ともとれる扱いを受けて、黙っているはずがなかった。バスケスがいる控室は押さえきれない殺気が充満し、他の種目の競技者もバスケスからできる限り遠ざかろうとしていた。そのバスケスは試合が近くなると、一見冷静に屈伸と柔軟運動をして、呼吸を整えていく。
端から見れば、ただの競技者の準備である。むしろ冷静にことを運んでいるようにすら見えたが、バスケスの普段の仲間が見れば間違いなくこう言ったであろう。
「お前、鼠を潰すのにそこまでの準備をするのか」
と。そしてバスケスは無言で控室を出て行った。いつもなら軽口をたたきながら、あるいはもう少しへらへらとしながら出ていくバスケスが、無言でしっかりとした足取りでゆっくりと出て行ったのである。残された競技者達は緊張が解かれ、ようやく深呼吸ができたかのように息を吐き出していた。
そして競技場の上でバスケスが仮面を被ったエルザと対峙する。エルザは審判の言葉にいちいち頷きながら聞いていたが、バスケスは神妙な顔をして微動だにせず聞いていた。
そのバスケスが、突然口をきいた。
「よう、あんた」
「? 何かな」
「女、だよな? どんな面してるんだ、見せてくれよ」
バスケスの口調は軽かったが、目は笑っていない。もちろん頼まれたからとて見せるつもりはないのだが、エルザは丁寧に断った。
「見せるつもりなら、最初から面はしていない」
「なんだ、見せられないくらい醜女なのか?」
「美人ではないかもしれないが、見苦しいほどではないと思うが」
「そうか」
バスケスの手が動き、エルザの面を簡単にはたき上げた。会場はざわつき審判も注意を与えたが、バスケスは聞く耳を持たない。
「んだよ、本人には当ててねぇだろ? それよりあんた、美人じゃねぇの。謙遜すんなって」
「・・・やってくれたな。折角隠していたというのに」
「大丈夫だって。すぐにそんな心配はしなくてよくなるさ」
「?」
「二目と見れねぇくらい、ぐっしゃぐしゃにしてやるよ。美人だから余計に、ぶっ壊し甲斐もあるじゃねぇの」
バスケスが口角を吊り上げながら宣言したその言葉に、エルザは顔の色を失くした。生真面目なエルザにはわからないことだが、バスケスという男は気分次第でどれだけ理不尽で残酷なことでもやれてしまうのだ。エルザは見たこともない凶暴な本性をもった人間を前に、初めて人間相手の戦いで恐怖を覚えていた。
続く
次回投稿は、10/14(日)10:00~