戦争と平和、その228~大陸最高の騎士ディオーレvsハルピュイアのエメラルド①~
「でぃおーれー! 今日はよろしくー!」
「んなっ?」
今日の対戦相手であるエメラルドが、ディオーレの控室に突然やってきたのだ。通常対戦相手は試合前は顔を合わさずに、反対側から入場するのが習わし。今から入場だというのに、まさか同じ側に来るとはさしものディオーレでも予想外だった。
人懐こいエメラルドは昨日の段階でディオーレと既に挨拶を交わしてはいたが、一度挨拶した相手はエメラルドの感覚では友人になることをディオーレは知らない。
エメラルドはディオーレの手を取ると、共に会場の方に向けて引っ張っていった。ディオーレの手を不意にとるだけでも大したものだが、主導権を握られたディオーレを見るのはアレクサンドリアの騎士たちも初めてだったので、ぽかんと口をあけて成り行きを見守ることしかできなかった。
そして引っ張られながら手を振りほどくのも悪い気がするディオーレは、慌ててエメラルドに話しかけた。
「待て待て! 同じ側から入場するのは儀礼にのっとっていないぞ?」
「そう? えめらるどは反対から入らないとダメとは言われなかった!」
「そうかもしれんが!」
「でぃおーれ、これは祭り! 祭りなら盛り上げるのが一番!」
エメラルドの言い分にどこか納得した自分がいたので、ディオーレは道理を通すことは諦め、エメラルドの成すがままにした。
そして会場に手をつないで入ることになってしまったディオーレは、顔から火が出るように恥ずかしがる自分がいることに気付いた。他人に手を引かれるのはいつ以来か。それこそ騎士になる前の子どもの頃、200年以上前ではないかと思う。
そのエメラルドは会場に入るや否や、大歓声を受けた。元々エメラルドはアルネリアでは歌姫としてちょっとした有名人になっているが、今大会での勝ち抜きの鮮やかさや、加えて戦いの後に必ず歌うことから、様々な意味で人気者となっていた。そんな彼女がディオーレと同じ方向から手をつないで入ってくるなど、予想外の演出に会場は大いに盛り上がったのである。
大会運営側からは歌を止めさせるような要請もあったが、客が集まるとのことでミランダが却下したほどである。今更同じ方向から二人が入ってくる程度でどうなるわけでもあるまい。審判も苦笑しながら二人を出迎えた。
「随分と仲が良さそうだが、戦えるのか?」
「・・・それはそちらのエメラルドに聞いてくれ」
「みんな、元気ー?」
エメラルドは審判の注意事項を聞いている様子はなく、とにかく観衆に向けて愛想を振りまいていた。ディオーレは完全に毒気を抜かれたように、試合前に高めた集中力を乱されていた。
「やれやれ・・・悪役は覚悟していたが、まさか私まで巻き込まれるとは。これが意図したものなら天才だな」
「それでは、両者離れて!」
審判の合図で二人が背を向けて離れる。そして向き直ってディオーレが深呼吸をしようとした時、正面から鋭い殺気が飛んできた。改めて向き直ったエメラルドが、別人のような殺気を飛ばしてきたのだ。先ほどまでの柔和で温厚な空気は消え失せ、鋭い狩猟者としての殺気がディオーレを捕えていた。
ディオーレはその殺気を受けた瞬間、エメラルドの本質を理解した。
「(なるほど、本性は狩人か! 高めるまでもなく、一瞬で切り替わるとは。私にはどこかで油断があったということかな)」
「始め!」
ディオーレが集中力を高め、まずは様子を見ようとした瞬間、エメラルドの剣が眼前に飛んできた。距離をそれなりに離していたと思ったが、エメラルドは尋常ならざる速度でその間を詰めたのだ。
ディオーレの反応をもってしても飛びずさるのが精一杯。危うく目を突かれるところだったが、なんとかそれは回避した。しかし躊躇のない攻撃に、ディオーレの胆力でも背筋が冷える。
「凶暴な一撃だな? 祭りなんだろう?」
「さいきょうの騎士が相手だから。尊敬? ゆえに」
「たどたどしい言葉と、剣の凶暴さが合っていないな」
ディオーレがそう言った瞬間、ディオーレの風船が二つ弾けていた。どうやらエメラルドの攻撃が二つかすめていたらしい。一段突きだけかと思っていたが、どうやら回避の間にも追撃があったようだった。
ディオーレはもう一つ後退すると、剣を改めて構え直した。その構えが、先ほどまでと異なり、正眼ではなく、剣に左手を添えるような形になっている。
その構えを見たラインが、真顔になっていた。
「・・・大したもんだ」
「うん?」
「エメラルドのやつ、初手でディオーレ様をマジにさせやがった」
ラインのつぶやくような言葉は隣のロッハにかろうじて聞こえた程度だったが、エメラルドは空気が変わったことを感じ取ったのか、今度は仕掛けずにじっくりとディオーレの周りを回りはじめた。
続く
次回投稿は9/26(水)12:00です。