戦争と平和、その223~拳を奉じる一族ウルスvsアルフィリース④~
ならば攻撃手段は限られている。開始からそこまで時間が経ったわけではないが、もはや使わざるを得なかった。ヤオとの対戦時のように、ウルスの体が上気し赤く染まっていく。
「もう容赦しない! 覚悟し――」
「だから甘いっての」
アルフィリースはウルスの体が赤くなりきるのを待ちなどしない。早々に懐に飛びこんで、ジャブでウルスの顔面を執拗に狙った。
前の戦いを見る限り、この技は痛覚を鈍麻させ押し切る技だとアルフィリースは考えていた。痛覚を鈍麻させて筋力の上限を解放し、自らの体を顧みず攻撃する諸刃の刃。一度発動させてしまえば、場外させるか、ウルスを殺さない限り止まることはないだろう。
もう一つ可能性があるとすれば、ウルスの視界を塞いでしまうこと。上手く右目は腫れてくれた。これで左目も塞がれば、戦い様がないだろうとアルフィリースは考えた。
そして完全に意図したわけではないが、攻防の中でアルフィリースの額が当たってウルスの左目が裂けた。ぱっと鮮血が飛び、傷は浅くないことが人目にわかる。この好機に、アルフィリースはさらに攻める選択をした。守って勝てる戦いではないと考えていたのだが、あまりの攻勢にウルスが逆に冷静になってしまったことまでは考えていなかった。
ウルスがアルフィリースの拳を顔面で受けながら、逆にアルフィリースの腕を掴んだ。アルフィリースは腕を外そうともがくが、限界を超えたウルスの力がそれを許さない。力づくで外せないことがわかると、アルフィリースはため息と共に呟いた。
「とんだ馬鹿力だわ。灰色熊みたい」
「男が使えば、灰色熊に腕力で打ち勝つこともあるぞ?」
「げ、マジだったか」
アルフィリースはおどけて見せたが、一度脱力してから腕を捩じって脱出しようとする。ウルスも咄嗟に押さえに行ったが、アルフィリースは肘を捻って抜くふりをして、体を倒しこんだ。肘から肩が支点となり、ウルスが逃がすまいと倒れ込むのを見て、アルフィリースはさらに勢いよく体を捩じる。
結果としてアルフィリースの肩が外れ、ウルスが体勢を崩したところにアルフィリースはその勢いで蹴りを入れ、踏みつけるようにして脱出した。一つ間違えればそのまま抑え込まれ、締め落とされていただろう。そして一つわかったのは、絞め技でウルスを気絶させようにもこれだけ腕力に差があれば、力づくで外されることである。
アルフィリースは外れた肩を地面に叩きつけて入れながら、次の手を考えていた。
「(どうしようかしら・・・まだ『あれ』の効果は出ないわね。そろそろのはずなんだけど)」
「上手くかわすものだ。だが次はどうかな?」
ウルスが立ち上がり迫る。足取りはしっかりとしており、先ほどまで与えたダメージがなくなったかのようだった。そして左の瞼も切れていたはずなのに、血が流れていない。ただの血流加速ではなく、極度の興奮状態に陥ることで止血したのだろう。いわゆる火事場の馬鹿力が常時発動されている状態だ。
もしそうだとしたら、感覚までも研ぎ澄まされている可能性がある。迂闊な攻撃は掴まれ、一方的に反撃を受けるだろう。想像以上に厄介な技のようだ。
考えの纏まらないアルフィリースは飛んで後ろに逃げた。明らかにウルスと打ち合うのを嫌がったからだが、その目を見てまだ何か企んでいることをウルスは察する。
「まだ何か狙っているのか? 言葉を返すようだが、何かあるなら惜しまず出した方が身のためだぞ?」
「いやぁ。とっておきっていうか、出したくても自分では出せないというか」
アルフィリースにしては歯切れの悪い言葉と共にじわじわと距離をとるアルフィリース。しばりウルスはアルフィリースの性格を考えて慎重に様子を見たが、アルフィリースの右腕の動きが悪いことと、慎重になりすぎることで好機を逸すると考え、思い切って前に出た。
「(もはやこの相手に策はない。利き腕も肩の筋を痛めたはずだし、出来ることと言ったら口八丁で策を弄しながら点数さで逃げきることだけだ。正面から戦って潰してやる!)」
ウルスの『燎原の火勢』にも制限時間がある。血流操作で心肺に負担をかけるこの技は、使用しすぎると命に関わる。どのみち行くしかないことを考え、ウルスは危険を承知で短期決戦を選んだ。策があろうが、焼き払うがごとく潰せばいい。ウルスは下手すればアルフィリースを殺す覚悟で出てきたのだ。
だがアルフィリースは今度は脱兎のごとく、恥も外聞もなく背を向けて逃げ出した。余りの思い切りのいい逃げっぷりに、一瞬何が起こったのか理解できないウルス。そして一定の距離をとると止まり、また様子を伺う。そして間を詰めようとすると、打ち合う素振りすら見せず、距離をとろうとするアルフィリース。そのあからさまな態度に観客から非難の声が巻き上がった。
「恥知らず!」
「戦え!」
「情けないぞ!」
だが野次にも罵声にもアルフィリースは動じず、逃げの一手を選択する。ウルスは冷静に一歩ずつ間合いを詰め、フェイントもかけながらアルフィリースを追い詰めていく。この状態で怖いのは、躍起になって追い詰めて足を引っかけられての場外だろうか。その手には乗るかと、逆に丁寧に間合いを詰めるウルス。
そして間合いが詰まると、アルフィリースは今度はブランディオをたてにするようにウルスと距離をとった。審判は原則会場の上にいるが、このような行為は早々見られる者ではない。ブランディオもあっけにとられてしばし動けず、ウルスもさすがにブランディオごと攻撃するわけにもいかない。アルフィリースとウルスはブランディオの周りをぐるぐる回る格好になったが、冷静に戻ったブランディオが二人を引きはがし、アルフィリースに減点を与えた。
会場のブーイングはさらに増したが、アルフィリースは悠長にどの風船を割ろうかなどと検討している。さしものウルスもいらついたが、まだ燎原の火勢の時間は余裕がある。一度攻撃が始まれば、アルフィリースに致命打を与えるのに十数えるほどもかからないだろう。
だがウルスはアルフィリースの目が自分を観察しているのではないことに気付いた。アルフィリースは逃げ回りながら何かを待っている。アルフィリースの目つきが負け犬のそれではないことに気付き、ウルスは胸騒ぎがした。早く決着をつけなければ、良くないことが起きる。
アルフィリースがもたつくことでブランディオが適当にアルフィリースの風船を二つ割り、強引に試合を再開させた。そしてその瞬間ウルスはさらに血流を上げて、一直線に突進した。渾身の一撃がアルフィリースに襲い掛かる瞬間、確かにアルフィリースが不敵に笑うのをウルスは見た。
続く
次回投稿は、9/16(日)13:00です。