沼地へ、その6~追跡者達~
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アルフィリース達がシュティームに着いたのとほぼ同時刻。アルフィリース達が楓と待ち合わせをしていた場所に近づく一団があった。
「ふむ、これはアルフィリースか?」
魔獣達の死骸を見て、魔術の痕跡を調べるのはライフレス。人の所作には癖があるように、魔術の使い方にも個人差がある。魔術士どうしなら、魔術の痕跡を調べるだけでおよそ誰がやったか判断がつく。
ライフレスは直接アルフィリースとやりあったのだから判別出来て然るべきだったが、不思議な事に、ライフレスにはここで戦闘を行ったのがアルフィリースだとは確信が持てなかった。
「(妙だな・・・俺とやった時とは魔術の癖が違う。これほど似て否なるというのも珍しい。一体これはどういうことだ。アルフィリースには、まだ俺の知らない何かがあるというのか?)」
ライフレスがしばらく考え込むところに、背後から声をかける者がいた。
「いかがされましたか、王よ」
声をかけたのは、騎士のように黒い鎧を全身に纏った大男。兜で表情は見えないものの、とても静かな声にはライフレスに対する忠誠が滲みでていた。
「何、大したことではないぞ、ドルトムントよ。俺としたことが、らしくないな。全てはアルフィリースに会えばはっきりすることだった」
「は。王がそのように楽しみにする敵と、私も早くまみえてみたいものです」
「そこまで戦闘狂だったか、貴様は?」
ライフレスがふと笑う。ドルトムントと呼ばれた男も、兜の下は見えないが、おそらくは笑っているのだろう。
「我々は常に敵に飢えていましたが、ちと勝ちすぎました。我々と知って仕掛けて来る相手も乏しく、全力で相手をする相手に恵まれないことも久しかったもので」
「尤もな事だ。しかし、よくぞ数百年もの間無事だったものだ。俺も貴様が生きているとは夢にも思わなかったぞ」
「鎧を脱げば、私は人間と見分けがつきませんから。寿命もはるかに人間より長いですし、人込みに紛れて各地を転々としておりました」
「何をしていた?」
「人の世界の観察を。王が身罷られたとの報告が伝えられた後、重臣達が揉めるのは目に見えていましたので、私は早々に官職を辞して旅に出ました。
人間達は実に面白かった。魔王を駆逐する前はあれほど協力したのに、自分達が優位とみるや、同族で何百年も争ったのですから。互いに滅ぼすところまで戦うかと思いましたが、まさか平和になるとは。ただ退屈にはなってしまったのでどうしようかと思っていたところ、王が存命と聞かされました」
「聞かされた。誰にだ?」
ライフレスが訝しむ。自分とドルトムントの事を同時に知っている者など、いるはずがないのだが。
「少年の様な魔術士でした。名は名乗りませんでしたが」
「・・・師匠殿ではなくてか」
ライフレスの脳裏に、ファランクスの魔法をいとも簡単に打ち消した少年の顔が浮かぶ。なんの根拠もない推測だったが、半ば確信めいたものをライフレスは感じていた。オーランゼブル以外でそのようなことができそうな存在となった時、真っ先に浮かんだ顔が彼だった。
ライフレスが少年の正体に関して考察をしかけたところで、ドルトムントの疑問が思考を遮った。
「しかし、王は今までどちらにおいででしたか? あの時、王の軍勢が敵と相討ちになった戦より、とんと消息を聞きませんでした。主たる部下を置いて行かれたことから、新兵の訓練とばかり全員が思っておりましたので、残された者は私も含めて大混乱でした。
どうにも王があれで死んだとは思い難かったのですが、行方は杳として知れず。内紛からの王国分裂は早かったですな。それまでに心ある者は官職を辞すなどして姿をくらましましたが、王の帰還を待てるほど寿命の長かった者は私のみ。せめて私にくらいは真実を告げておいてほしかったですな」
ドルトムントの非難めいた言い方に、ライフレスは苦笑した。
ライフレスがアルフィリースにも語ったことだが、ライフレスが英雄王グラハムと呼ばれたころ、歴史上ではグラハムにとって最後の戦いと言われるヘルホルムの丘で原因不明の大爆発が起こり、吹き飛んだ近隣一帯もろとも英雄王グラハムは死んだと言われている。
事実ライフレス本人が引き起こしたことなのだが、当時人間側で最強の戦力の一角が突然消えたことは、人間にとって衝撃だった。英雄王さえいれば。いったいいくらの国と英雄たちがそう嘆いたことか。
あまりに突然の出来事が噂に噂を呼び、より英雄王の伝説を神々しくした。吟遊詩人達は、英雄王は実は伝説の魔王とあの時戦っていて、命と引き換えに魔王を倒したのだとか、あまりにも強すぎてついに精霊の怒りに触れたのだとか、荒唐無稽なものから考証されたものまで、実に様々な伝承が残されている。だがライフレスに言わせればただ一言、
「魔法と実験が失敗しただけだ」
と言うだろう。実に淡々とした彼は、自分がいなくなった理由もさらりと語る。
「貴様の忠義を疑ったことはない。何も言わずとも、待っていると信じていたさ」
「そのような甘言には騙されませぬぞ」
「言えば、正直者の貴様では隠しきれまい。だから何も言わなかったのさ。他にも理由はあった気がするが・・・忘れたよ。
それと、あの戦争の後は南の大陸で強そうな魔物を見つけては戦いを挑んだり、あるいは減るホルムの地下で魔術・魔法の研究を続けていた。コツを掴んだので、どうしても続きを研究したくなってな。魔法の探求というものは、常に魔術士にとっては命題だよ。
それに不老不死の肉体も完成間近だったから時間も惜しかったし、後のことは正直どうでもよかったん。王というものにも、部下を率いるというのにもいい加減飽きていたしな。
ああ、心ある臣下たちには後で行方を捜して説明に赴いたぞ? だめか?」
「いえ、まことに王らしいかと」
ドルトムントが頭を下げる。ライフレスは話を続けた。
「不老不死の肉体を作ってから、魔法の研究におよそ200年。魔法は完成したが、砂漠を一つ作ってしまった」
「まさかヘルホルムの砂漠は・・・」
「ああ、俺が魔法の研究をやったせいだな。試し打ちも何度かするうち、砂漠になっていたよ。我ながら恐ろしい魔法を作ったと思う」
「もったいないことを。花の乱れ咲く、綺麗な丘でしたのに」
「それに関しては俺も同意見だ。次からは場所を選ぶことにしよう」
ライフレスにも芸術を解する心はある。ヘルホルムは当時四季折々の花が咲く美しい丘として有名だった場所なので、そこを砂漠に変えたのは、さしものライフレスとて多少罪悪感を覚えずにはいられなかった。
だが吹き飛ばしたいほど憎かったことも事実だ。その理由を思い出せないのが、ライフレスの胸に引っ掛かる。
「いかんな・・・どうも本調子ではないのか?」
「何か?」
「いや、なんでもないさ。他に聞きたいことはあるか?」
「その後は?」
「大魔王とか呼ばれていた奴の軍勢に喧嘩を売った」
「何と言う奴です?」
「さあ・・・それもなんだったかな。とにかく襲われた際に、ついでに喧嘩を売ったからな」
「相変わらず大雑把ですな。で?」
「戦いは互角、あるいはやや優勢だったか。だが奴は特殊な魔術を使った。生意気にも俺を異空間に放り込んだのだよ」
「何と!」
ドルトムントが驚愕の声を上げる。
「それは御身の行方が分からなくなるはずです」
「いや、脱出方法自体は割と早くわかったのだが、大魔王と戦ってみてもあまり手ごたえを感じなかった。不老不死の肉体では緊張感にも欠けようというものだ。そこまで考えて作った体ではなかったからな。
これでは外の世界に出ても退屈するだけだろうと思い、そのまま異空間に引きこもった。出てきたのはほんの10年ほど前だが、それまでは魔術の研究をしたり、思索に耽ったり。むしろこの異空間から俺を出せるような奴がいれば、そいつと戦ってみたいと思った」
「それが、あの『お師匠様』と呼ばれる人物だと? では戦われたのですか?」
ドルトムントは純粋な興味本位から尋ねたのだが、ライフレスの返答は珍しく鈍かった。
「・・・いや、戦っていないな」
「なぜですか? 正直、我々の中で王が一番の戦闘狂だったではないですか。その王が戦う機会を見逃すなど」
「ふむ、そう言われればそうだな。なぜ俺は師匠殿と戦っていないのだ?」
「?」
そのライフレスの返答に違和感を覚えたドルトムントだったが、エルリッチがその場に現れたことで会話は一度打ち切られた。休暇と言われてもやることなどあろうはずのないエルリッチは、一蓮托生とばかりライフレスと行動を共にした。もっとも最初から共にするしか道はなかったのだ。
「申し上げます」
「うむ」
「アルフィリース達は、この先の妖精の集落に逃げ込んでいる模様です」
「なるほど。あそこには上位精霊の気配があるが、相違ないか?」
「は。風の上位精霊がいるかと」
「そうなると、万一を考えれば出てきた所を叩くのが確実か?」
「それも戦略ですが、時間的猶予がありません」
「どういうことだ?」
ライフレスが咎めるような目つきでエルリッチを見た。エルリッチは少し萎縮しながらも、早口で答える。
「我々が召喚した魔王達の一軍が、そちらに向かっております。どうやら血の臭いを嗅いだかと」
「これのせいか」
周囲に立ちこめる血の臭い。これほど派手にやれば、鼻の良い魔王達は気がつくだろう。血の臭いの元凶である、アルフィリースを追っていったのだ。
「そうなると急ぎたい所だが、確実を期してこいつらを連れてきたのが仇となったか」
ライフレスが背後を振り返ると、そこには大型の魔王が何体も控えていた。計13体。どれもこれもアノーマリーが試験的に世に放った魔王より強い個体だった。ライフレスが自分の手勢が足らない時のために、アノーマリーに造らせておいたものだ。
最初に立ち寄った工房だけでは数が半端だったので、その後いくつかを回ってさらにかき集めていた。
「仕方がない。使い魔を出して、アルフィリース達が使いそうな逃走経路を探っておくか」
ライフレスがローブを翻すと、体から何匹もの鴉の使い魔が湧きだした。そして、次々とシュティームの方向に飛び立っていった。
「後はアルフィリース達が、くだらん魔王共などに殺されないことを祈るだけだな。さて、俺たちも急ぐぞ」
「「御意」」
そうして歩を進めようとしたライフレスのローブを、引っ張る何かがいる。ライフレスが足元を見ると、白い羽毛の魔獣がローブを引っ張っているではないか。
「ふむ、この魔獣どもの幼生か。一匹だけ生き延びたか」
「フウウウー!」
魔獣の目は憎しみに燃えており、アルフィリースと同じ人間を攻撃対象とみなしているのだろう。幼いながらに復讐の対象が人間だということは認識したようだ。だが区別まではついていないだろうし、ましてたとえ魔獣といえども、ここまで幼くては人間にかすり傷を与えるのが精一杯だった。
その掌にのる大きさの魔獣をライフレスはひょいとつまみ上げると、顔の近くに持ってくる。
「さて、どうするかな」
「アノーマリー殿に渡しては? 魔王のよい素材となりましょう」
「それもいいが、それではいつもと同じだな」
ライフレスはしばし魔獣の様子を観察していたが、ライフレスの手の中であらん限りの力で暴れている。ライフレスにも敵意を全力で剥きだしていた。
その様子を面白そうに眺めるライフレス。
「エルリッチ」
「はい」
「育てろ」
そう言ってライフレスは、ぽんと魔獣をエルリッチに投げた。エルリッチが慌てて受け止めたが、魔獣は突然の出来事にびっくりして暴れるのをやめてしまった。
「はあ?」
「はあ? ではない。俺は育てろと言った。二度言わせるな」
「はあ・・・ご命令とあればそういたしますが」
「よし、いらぬ時間を取った。進むぞ」
戸惑うエルリッチを尻目に、ライフレス達はアルフィリースの首を取るため、一路進路をシュティームに向けたのだった。
続く
次回投稿は、4/3(日)20:00です