沼地へ、その5~方策~
その後、ウィンティアは歓迎の宴を催してくれた。何でも人間がこのシュティームに来るのは10数年ぶりなのだとか。ファランクスがエアリアルを抱えてきたのを除けば、の話である。ミランダもニアの容体を考えれば宴どころではないと知りつつも、ウィンティアの強引さに負け、渋々ながらも承諾したのだった。このウィンティアという精霊、大人しそうな見た目に反し、かなり押しが強かった。
既にアルフィリース達の目の前には、木の実を中心とした料理が並べられている。妖精にすればかなりの量なのだろうが、いかんせん体の大きさが違うため、アルフィリース達にとっては酒のつまみのようなものだ。
「宴といっても私達は草食ですし、基本的にはほとんど食物を食べなくても生きていける生物ですから、あまり大したものも出せませんが」
「いえ、心遣いだけで十分です。それに、のんびりするつもりもありませんから」
「そうは言っても、あの獣人の娘はまだ動かせません。ユーティが懸命に魔術を使い続けたおかげで容体は安定しましたが、本来であれば今晩くらいはここで泊るべきです」
ウィンティアの言葉を尤もだと思うミランダ。先ほどニアの様子をミランダも見たのだが、少し呼吸が楽そうにはなっているもののせいぜい小康状態といったところで、確かに今夜くらいはゆっくりした方がいいのだろう。だが腕は繋がっているわけではなく、腕の事を考えれば少しでも早く医者に見せたかった。かといって今から大草原の外に出るのは、とてもではないが間に合わない。しかしミランダには一つだけ心当たりがあった。
「それよりもお聞きしたいことがあるのですが。えーと、ウィンティアさん?」
「呼び捨てで結構ですよ。私もミランダと呼ばせていただきます」
ウィンティアの口調は軽やかだ。風の精霊だからそのようなものなのかもしれない。品はあるが口調ははきはきとしており、必要があればきついことも言うだろう。特にユーティには厳しい。風の精霊だけに、まさに風当たりがきついと言ったところか。あまり堅くないのは話しやすいので、ミランダにとってはありがたい事なのだが。
ウィンティアもまた、久方ぶりの人間の来訪に内心では心躍っていたのだが、そんなことをミランダは知る由もない。
「じゃあウィンティア。『沼地の魔女』って、心当たりある?」
「『白魔女フェアトゥーセ』のことですね。もちろん存じています。彼女とは交流がありますから」
「よかった、まだ生きてたんだ・・・」
ミランダはほっとする。実はこの大草原の沼地には、まだミランダが傭兵をしている時代に一度勇者達と踏み込んだことがあるのだ。その時沼地の魔女に一行は救われた。よって顔馴染みではあったが、魔女という存在に関してあまりミランダは正確な知識を持っていなかったし、あれから既に100年以上が経過している。当時でも結構な年齢だった魔女だが、普通の人間よりかなり長命であるとはいえ、今でも生きているかどうかはかなり賭けだった。
理想はこのシュティームでニアの腕がくっつくのが良かったのだが、ウィンティアにそのようなことはできないらしい。治療を得意とする水か聖の上位精霊ならなんとかなったかもとは言われるのだが、ないものねだりをしてもしょうがないし、応急処置ができただけでも本来はありがたい。
「しかしよくミランダはフェアトゥーセを知っていますね。彼女は隠れるように住んでいるはずですが」
「ああ、ちょっとしたツテがあってね。ここでニアが治らないとなると、もうあのばあさんに頼るしかないかも」
「そうですね、フェアトゥーセならなんらかの方策があるでしょう。実際そこのエアリアルがこの里に運び込まれた時も、彼女の薬で治療したのですから」
「そうなのか?」
エアリアルにとっても初耳だったのだろう、かなり驚いている。
「知らないのも無理はないでしょう。あの時、貴女はほとんど意識がありませんでしたし。その後状態が安定するまでここにいたのは覚えていますか?」
「ああ、どうりで見覚えがあると思った。ただあの時は木の大きなうろの中の様な所にいて、この光景はそこから眺めるだけだった」
エアリアルが周囲を見渡す。周囲には青々とした木々が立ち並び、葉はうっそうと茂っているのに風に揺られるせいで日の光が絶え間なく葉の隙間から降り注ぐ。まだ季節は夏の暑さが残る時期のはずなのだが、日差しは何かに遮られたように程良い強さに抑えられ、そよ風が木々の間から葉のすれ合う旋律をかき鳴らしながら常に吹いている。晩夏とは思えないほどの快適さだ。
エアリアルのみならず、全員がこの暖かさに心地良さを覚えている。ただ一人アルフィリースを除いては。
「だが一度も外には出ていないぞ。帰りも目隠しをされたしな」
「仕方がありません。ここは本来人間がおとずれる場所ではありませんから。あの時は特別だったのです」
「そうなのか」
「ですが結果的に全てが良い方向に転びました。ファランクスは良い後継者を得ましたし、私達は風の巫女を迎えることができましたから」
「巫女?」
エアリアルは心当たりの無い言葉に、首をかしげる。
「ええ、もっとも巫女と言う言葉はあまり妥当ではありませんね。正確には『精霊守護者候補』でしょうか。あの時貴女が私達の元に運ばれて治療を受けたことで、貴女は風の精霊と関わりを持ちました。貴女の記憶が無い時に、私も含めて風の精霊が随分と世話をしましたからね。あの時からではないですか? 風の魔術を苦もなく使えるようになったのは」
「そういえばそうだな」
「詠唱に関しては人間の書物などから学んだかもしれませんが、詠唱をしなくても簡単な魔術なら使えるはずです。これは普通の人間には無理ですから。余程研鑽を積んだ魔術士や、あるいは導師や魔女といった、精霊と直接交渉を持つ人間なら別ですが」
それならば無詠唱で魔術を乱発できるアルフィリースはどうなるんだ? という疑問がミランダとリサの頭には同時に浮かんだらしく、揃って言葉にしようとして思いとどまり、顔を見合わせた。アルフィリースが非常に不機嫌そうにしていたからだ。
そのアルフィリースはそこまで話をじっと聞いていたのだが、やおら立ち上がるとその場を去ろうとする。それを見て慌ててミランダが引き留めた。
「アルフィ、どこ行くのさ!」
「飯がまずいからちょっとその辺で適当に取って来るわ。それにこんな量じゃ、食べた気にならない。やっぱり力をつけるには肉よね。ユーティも来る?」
「ううん、アタシはいい・・・」
「あっそ。じゃあちょっと出てくるわ。心配しなくても1刻程度で戻って来るわよ」
「あ、でも一人ではここから出られないのでは」
ウィンティアが思いついたように声をかけたが、アルフィリースは気にも留めなかった。
「大丈夫よ。さっき開け方を見たから、もう一人でなんとかできるわ。壊したりはしないから安心なさい、精霊さん」
「そ、そうですか」
それだけ言うとアルフィリースはその場を後にした。彼女が去った後でウィンティアが呟く。
「あれは人間に開けれるような類いの結界ではないはずなのですが・・・彼女は何者です?」
「それが、こっちもよくわからなくなってきたのよ」
ミランダがため息をついて暗い顔をする。一同が黙るが、ウィンティアがさらに気になることを言った。
「確かに運び込まれた獣人の娘は重傷です。ですが今は命に別状はありませんし、腕も治療次第では元に戻るかもしれません。その点に関してはユーティを褒めてあげてください。この子がいなければ、今頃生死の境をさまよっていてもおかしくありませんでした」
「まあ傷口がすごく鋭利に斬られてたから、アタシも楽だったけどね。アタシに感謝なさい、者ども!」
えっへん! とユーティがふんぞり返った所に、ウィンティアがユーティを鷲掴みにした。
「だから調子に乗るなと、貴女が生まれた時から何度も言ってるでしょう?」
「ぎゃあああ! 勘弁、ウィンティア。勘弁してっ!」
「『様』をつけなさいとも、何度も言っているはずですが??」
「皆はいいのに、なんでアタシだけー!?」
ユーティがウィンティアの手の中で悲鳴を上げるが、ウィンティアの意識はユーティにはなかった。
「ですが本当に重症なのはあの女の人の方。良くないものが彼女の回りには感じられます。それが何かとはっきり言えないのが、まことに申し訳ないのですが」
「それはアタシも思った」
ユーティが騒ぐのを止めて真面目な口調になる。
「あれはアルフィリースだけど、アルフィリースじゃない」
「どういうこと?」
「うーん、アタシも上手く言えないけど・・・ヒネているっていうのかな。まあアタシもちょいヒネているけど、そういうのとはちょっと違くて。存在が歪んでいるって言うのかな。複雑に色んな因子が絡み合ってて、何とも言いきれないけどね」
「結局わからないのね」
「そう言わないでよ。ただ一つ確実なのは、彼女は今のままでは確実におかしくなるわ。私達を殺しに来てもおかしくない、それだけの邪気を感じるもの。だって、今まではなんだかんだでアタシはアルフィリースの傍にいると落ち着く感じがしてたのに、今のアルフィリースは正直怖いよ。傍にできるだけいたくないと思っちゃう」
「・・・」
ユーティのその言葉は全員の気持ちを代弁したものであったため、揃って黙りこくってしまった。ウィンティアもまた心配からか祈るように両手を揉み絞るが、やはりユーティのことは忘れられているのか、さらに力が入っていた。ユーティの苦しさが限界を通り越し始めて泡を吹いているが、それぞれが自分の思いに沈んでいたため、誰もユーティのピンチに気がつかない。
エアリアルがようやく顔を上げた時には数分が経過していた。
「ところでウィンティア。先ほど我に言った後継者と精霊候補者と言う話だが・・・あ」
「どうしました?」
「ユーティが泡を吹いているぞ」
「あら本当」
ユーティはウィンティアの手の中で泡を吹いて気絶していた。ウィンティアがあまりに強く手を握ったからだろう。
「ユーティは大丈夫か?」
「ええ、こうしておけば大丈夫ですよ。えい!」
そういってウィンティアは、ユーティをぽいっと先ほどの泉の方に投げる。ぱしゃんと着水音が聞こえ、ユーティが水面に浮いていた。
「あれ、窒息するんじゃ・・・」
「大丈夫です。あの子はあの泉で生まれましたから。仮に死んでいても、あの泉に浸かれば生き返ります」
「本当かな・・・」
ミランダがじっとユーティを見ているがピクリとも彼女は動かず、水面をぷかぷかと漂っているのだった。
***
「それにしても意外なところで繋がるわね」
「まったくです」
「白魔女ねぇ」
ミランダ、リサ、ユーティはニアに付き添って看病をしていた。ニアが目を覚まし次第ここを出立するつもりで、既に準備も終えていた。エアリアルはウィンティアに話があるとかで離れているし、楓は姿を消している。あくまで陰からミランダを護衛するつもりなのだろう。アルフィリースに至ってはちゃんと戻って来ていたが、この場所が肌に合わないのか、仮眠を取ると告げて入口付近に戻って行った。暗い所の方が落ち着くのだそうだ。
ユーティは泉の水を大きな葉で作った容器に詰め込み、そこにニアの腕を浸していた。こうすることで何日かは腕を腐ることなく、そのまま保存することが可能なのだとか。ニアの腕の切断面は、半日ごとに様子を見れば大丈夫な所までは処置を施しているらしい。それだけでもユーティがかなり有能な治療術の使い手であることはミランダにもわかったが、当のユーティは珍しく謙遜した。
「私が生まれた泉の水があってこその芸当よ。アタシにはそんな力は元来ないから、あまり過剰な期待はしないでよね。生まれてまだ70年程度なんだから。妖精としては、この集落では相当若い部類に入るのよ」
「ふーん。水の精霊って、この集落には他にいないの?」
「いないわ。アタシが生まれる前には水に限らず、火とか土もいたらしいけどね。ここの集落はそろそろ寿命かもしれないって、ウィンティアが言っていたわ」
「寿命?」
ミランダが聞き返す。
「ええ。たとえ限りなく自然そのものに近い妖精といえども、一所に長くとどまれば世界を巡る元素の循環は妨げられるわ。特に大草原は元々風の精霊に有利な土地だから、風の精霊であるウィンティアがここにとどまることで、この集落の風の元素が強まりすぎたみたい。元々風の精霊は風に合わせて動き巡るものだし、そろそろ移動の時期かもってことよ。それが証拠に、いまや集落で新しく生まれた精霊で、風以外の精霊はアタシだけよ」
「そうなんだ。じゃあユーティも肩身が狭いわよね」
「そうなのよ~」
ふうう、とため息をつくユーティに、リサが容赦なく言葉を浴びせかける。
「そりゃあぐれても仕方ないですね、この不良妖精」
「外出の時の決まり文句は、『帰りは遅いぜ!』ってね。っていつの時代の話だ!」
「その外出中にさらわれた分際で、ノリツッコミも大概にしなさい。それよりニアの腕はいつまでならもちますか」
リサがニアの腕を眺めながら真剣に悩んでいる。ユーティも一転して、真剣な顔になる。
「2日以内。長くて3日。4日たったらもうだめよ」
「短いね・・・それまでに何としてもフェアトゥーセのばあさんを探さないと」
だが気になることをウィンティアは言っていた。フェアトゥーセの姿を、ここ10年ほど姿を見ていないと。沼地に何か起きているのかもしれない。
それに沼地は広大だ。ミランダの考え通りなら上手くいくかもしれないが、賭けであることに違いない。
「見つかるかな?」
「ここはリサの出番ですね。私のプライドにかけて見つけてみせましょう!」
「かけるのはジッチャンじゃなくていいの?」
「そういうことは言ってはいけないと、ばっちゃが言ってました」
「あんた、おばあちゃんいないでしょう!?」
「細かいことはいいんですよ!」
ユーティとリサが取っ組み合いをしている。それを尻目にミランダはため息をついていた。懸念は他にもあるのだ。沼地の魔物に、沼地の蛮族。それにあの白魔女自身が気難しい人物だ。果たして上手くいくのか、心配は尽きなかった。
続く
次回は4/2(土)21:00投稿です。