戦争と平和、その189~会議七日目、夜②~
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――会議七日目の夜半、全員が寝静まった頃――
清条詩乃はふと目を覚ました。眠りは比較的深い方だが、アルネリアへの遊学を終えてから徐々に眠りが浅くなっていることを自覚している。清条家当主となった重責が影響していることは明らかだが、それ以上に東の大陸の情勢が緊張の連続で息つく暇もないことが大きいだろう。
それでも桜花が傍にいればいくらかでも緊張が和らぐのだが、それも今は叶わない。都ともども三人で東の大陸を空けてしまえば、其の間に何が起こるかわかったものではないからだ。清条家の実権を強引に握った詩乃に信頼できる仲間は少ない。かねてからの腹心である桜花、都を除けば、残り数名程度しか信用できる者はいなかった。
加えて今回の任務である。目が冴えて一層寝つきが悪いことに詩乃は気付きふと目を覚ますと、窓際にブラディマリアが座っていた。姿は幼体ではなく、成人へと戻している。月明かりを受けて輝く黄金の髪と、憂いを帯びた表情はそれだけで人を惹きつける妖しさを持っていた。確かに男ならばこの女を目にして情欲にかられぬ者はいないだろうと、詩乃は納得した。その残虐な性質さえ知らなければ、だが。
平和会議のこの時期、強引に宿の手配をねじ込んだため、複数の部屋をとるゆとりはなかった。そのため全員が同じ部屋となり、浄儀白楽、吉備津藤太、ブラディマリア、詩乃、都までもが広い部屋に同室である。当然間仕切りはあるが、藤太は気を利かせたのか夕刻から姿が見えず、浄儀白楽も夜になるまで仮眠をとっていたが、以降ふらりと出かけて行った。都にも街の様子を探らせているし、部屋にはブラディマリアと詩乃だけしかいない。
ブラディマリアと二人きりになるとは詩乃も考えてはいなかったが、ブラディマリアの残虐性や快楽主義はなりを潜め、思いのほか静かに過ごしていた。それがかえって調子を狂わせ、詩乃はいたたまれない気持ちになっていた。
身の置き所のない詩乃の心中を察したのか、ブラディマリアが詩乃の方を見てくすりと笑った。
「妾と二人では寝れぬかえ?」
「いえ、そういうわけでは。単に眠りが浅いのです」
そう言って詩乃は羽織をまとうと、ブラディマリアと同じく窓枠に腰かけた。怖じるでもなくそうする詩乃を見て、ブラディマリアは薄く笑う。
「ほんに肝の据わった女子よなぁ。人間なぞ下等であさましく、撃滅すべし存在かと思えば、そなたのような傑物も現れる。不思議なものよ」
「人間は個体としての振幅が大きすぎるかもしれませんね。愚か者はどこまでも愚かに。しかし時に素晴らしい賢人も現れる」
「そなたがその賢人かえ?」
「いえいえ、私などは愚か者の類でしょう。私が賢人ならそれこそ世も末です。清条家当主として、覚悟だけは決まっているとは思いますが」
そう答えた詩乃の顎を、ついとブラディマリアが優しくなぞる。
「ふふふ、謙虚過ぎず傲慢過ぎず。妾は人間の中では白楽殿に次いで貴様が好きぞ、詩乃や。人間を滅ぼした折にも、そなただけは妾の傍で侍ることを許可しよう」
「それは光栄の至りですね。私たち二人以外が滅ぼされるようでは、それも困りますが」
「それはそうじゃろうのぅ。まぁ本当に全滅させるつもりはないが、ちと数が多すぎる。愚物が大地にはびこるのは見ていて吐き気を催すでのぅ。人間がそなたたちのような者ばかりならば、もう少し考え直してもよいのじゃがな。人間はいかんとも度し難く愚かしい」
「私は少しずつでも人間が前に進んでいるような気がしますが、貴女ほど人間の歴史に精通しているわけでもありませんから。多少なりともマシな生き物になれば貴女の怒りも収まりましょうが、人間は昔よりは進歩していますか?」
詩乃の思わぬ問いにブラディマリアは考えた。
「ふむ、面白い問いかけよな。確かに妾が生まれたばかりの時に見た人間は猿とさして変わらなんだ。そう考えれば、今の人間の生活、知的進歩は素晴らしい。
じゃがその精神性は進歩しているのかどうかはわからぬ。むしろ退化しているやもしれぬ」
「退化、ですか」
「そうじゃ。わからぬか?」
ブラディマリアの問いかけに詩乃は首を横に振った。ブラディマリアは余程機嫌がいいのか、詩乃に諭すように語っている。
「この大陸には我々魔人と真竜が最初にあった。それ以前のことは妾もよう知らぬが――古竜とは真竜よりも古い竜を指すだけで、基本同じ生き物じゃと聞いておる。魔人と真竜の役割は元来一緒であったとも」
「一緒の役割?」
「そうじゃ。精霊の声を聞き、新しき命や種族を育むという、な。その計画はおおよそ上手くいっておった。貴様ら人間を除けばじゃが。人間だけは何度介入しても、上手く導けなんだ」
「我々は進歩に失敗した種族だと?」
「魔人はそういう結論を出し、真竜は反対した。我々がかつて天と地を巻き込み、大陸の形が変わるまでの戦争をした理由の一つは貴様ら人間じゃ。ゆえに妾は人間が憎い。貴様たちのせいで妾は仲間を全て失う羽目になった。妾の父母も同様よ」
思わぬブラディマリアの返答に、詩乃は呼吸が止まるかと思った。書物や口伝にすら語られぬ、神代の物語。それがつい、とブラディマリアの口から出てきたのだ。
ブラディマリアは続けた。
続く
次回投稿は、7/10(火)16:00です。