沼地へ、その3~暴虐~
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「はあ、はあ・・・」
「リサ、まだなの!?」
「もう少しで・・・きゃあっ?」
リサが返事をしようとした瞬間、凄まじい衝撃波がリサの声を遮った。ミランダはなんとか踏ん張ったが、軽いリサは吹き飛ばされそうになるのを、後ろにいた桔梗が咄嗟に支える。
「これは!?」
「魔術ですね。それも、かなり上位の」
「まさか呪印を?」
梓の返答にミランダが青ざめる。こんな短期間で呪印を連発すれば、アルフィリースの体がどうなるかわからない。アルフィリースが前回呪印を発動させた時は、3日の間激痛でまともに剣が振るえなかったのだ。今回使用した魔術の量は前回の比ではない。心配のあまりミランダは警戒するのも忘れ、転げまわるようにアルフィリースの元へとかけつけたが、そこで彼女が目にしたのは意外な光景だった。
「あら、ミランダじゃない。遅かったわね」
「え」
ミランダが見た光景、それは無残な姿で地面に横たわる魔獣達。生態系において上位捕食者であるはずの魔獣の群れを、人間であるアルフィリースが一方的に虐殺する光景だった。
ある物は首を刎ねられ、羽をむしり取られ、生きたまま焼かれ。ある種の鳥が行うといわれる『はやにえ』のように、木の根を槍のように天に向けて変形させた先に何体もの魔獣が突き刺されたその光景は、ただただ残虐だった。アルフィリースは頭から浴びたのであろう魔獣の返り血に染まりながら、上機嫌でミランダに語りかけてくる。
「待ってて、すぐにこの汚物どもを片づけるから」
残った魔獣達は怯え慌てふためき、完全に恐慌状態だった。だが周囲には土で構成された壁がせりあがっており、魔獣達の逃走を阻んでいた。それでも魔獣達は仲間を踏み台にしてその壁を越えようとするのだが、その度にまるで彼らをあざ笑うかのように壁がさらにせり上がり、行く手を阻む。
その光景を見てアルフィリースが楽しそうに嗤う。
「見て見て、ミランダ! あいつらの慌てっぷりったら傑作よね。さっきまで私に立て突こうとしてたくせに、勝てないと分かった瞬間これだわ! みっともないったらありゃしない。魔獣なら、戦って死ねって思わない?」
「アルフィ・・・」
「あー、私なんでこんなに我慢してたんだろ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ。全てが私の思い通りになる程の力が私にはあるって言うのに・・・まぁいいわ。それよりどうしてくれようかしら、このカス共。焼き殺す? 凍え死なす? それとも窒息死? ああ、毒で悶え殺すのもいいわね。ミランダとリサの意見はどうかしら?」
アルフィリースがくるりと2人の方を振り向く。血に染まるその顔は、2人が見たこともないほど最高のアルフィリースの笑顔でありながら、同時にこの上ないほど恐ろしい顔だった。その不吉な光景に、思わずリサが一歩後ずさる。
「あなたは一体何を言っているのですか、アルフィリース」
「え、だからこいつらの殺し方の相談よ。センサーのくせに耳は大丈夫、リサ?」
「いえ、そういうことではなくてですね」
リサが何かを反論しようとした瞬間、背後から突然大きな魔獣の一頭が向きを変えてアルフィリースに襲いかかってきた。逃げることなどできないと知っての特攻だろう。
「危ないっ!」
リサが叫ぶがアルフィリースは微動だにしない。魔獣の大きな牙がアルフィリースの肉に食い込まんとする直前、
《鋼鉄鱗》
アルフィリースの一声と共に、肉に食い込むはずだった魔獣の牙が逆に欠けた。『金』属性の魔術による体の構成の変性魔術。アルフィリース以外は知らないが、金属性としては最上級の難度に位置する魔術である。それを無詠唱でアルフィリースが発動させたのだ。
たまらずのけぞる魔獣を、アルフィリースが素早く首を締め上げ、無理矢理自分の顔の元に引き寄せる。自分の倍はあろうかという魔獣を、まるで小動物のように軽々と扱う。そして魔獣の目を至近距離から覗きこみ、一言。
「私に向かってきた勇気は褒めてあげるけど、お前、生意気よ!」
言うが早いか、アルフィリースが魔獣の上顎と下顎にそれぞれ手をかけると、力任せに魔獣を引き裂いた。噴水の様な返り血を浴びて、さらに頭から朱に染まるアルフィリース。その光景を見ていたミランダが思わず口を手で覆ったが、アルフィリースの方は動じるどころか舌なめずりをしていた。
さらに何を思ったのか、アルフィリースは鮮血滴る魔獣の肉にかぶりつくと、音を立てて咀嚼を始めた。だがいくらか噛んだ後、その肉をぺっと吐き捨てる。
「ダメだわ、これ。まずくて食えたもんじゃない。煮ても焼いても食えないなら、殺すしかないわね」
残酷な言葉を口にするアルフィリース。血に染まった紅いその唇が、妙に艶めかしい。
そしてアルフィリースがゆらりと魔獣達の方に向かって歩き出す。そして肩を少しコキコキと鳴らすと、実に楽しそうに嗤っている。
「さあて、どうやって殺そうか。まだ30体はいるし、どうするのが一番楽しいかしらね」
アルフィリースが腕組みをして悩む間、魔獣達も彼女の異様な気配に気がついたのか、めいめい勝手に逃げ出そうとする。だがその度にアルフィリースが地面を踏むと、地面が隆起し、次々と魔獣達の逃げ場を塞いでいった。
逃げ場を失くした魔獣達はさらなる恐慌状態に陥り、体の小さい物は仲間に踏み潰されている。アルフィリースはその様子を恍惚とした表情で見つめていたが、隆起した壁が魔獣達を囲み切る頃には飽きてしまったようだ。アルフィリースの方には壁はないのだが、魔獣達にもアルフィリースの方に向かって突撃して来るものは、もはやいない。
「あーあ、つまんないの。やっぱり追い詰めるなら魔物の方がいいわね。魔獣はすぐにパニックになって終わりだから。人に近いほどなんといっても表情が豊富だから、追い回していて楽しいし」
「アルフィ、アンタ何を言ってるんだ? 追い回すだの、なんだの」
「こっちの話よ。ミランダのくせに、細かいこと気にするわね」
アルフィリースが面倒くさそうに手をひらひらさせると、さらに魔獣達に近づいて行く。
「さて。せっかく土の壁で囲ったんだし、これを活かして片づけるか。串刺しだ!」
《土霊の処女》
アルフィリースが手で印を組むと、土の壁から無数の棘が凄まじい速度で伸び、魔獣達を一体余さず串刺しにした。魔獣達は突然の出来事に何が起きたかわかっておらず、串刺しにされたまま走ろうとしている。また首がちぎれ、首が落ちた状態で走っている個体もいる。あまりに突然の出来事に、魔獣達は断末魔の悲鳴を上げる暇すらなかった。
流れる血が小さな泉を形成し、また川となってミランダ達の方に流れてくる。アルフィリースの足元にもその血が流れてきているのだが、気にする様子もない。今度のアルフィリースは高揚した様子もなく、つまらなさそうにその光景を眺めていたが、踵を返しかけた所でふと泣き声が聞こえる。
「ぴー、ぴー」
壁の外から小さな魔獣の幼生体が走ってきた。どうやら生まれてそれほど間もないせいか、狩りが終わるまで離れていたのだろう。母親らしき個体の元へ駆け寄ると、しきりに啼き、母親をひっかいている。どうやら母親が死んだことも理解できていないらしい。哀れとも言える光景に思わず同情の念を禁じ得なかったのは、ミランダやリサに限らずくの一達ですらそうだったのだが、アルフィリースだけは違った。
逆にアルフィリースは心底苛立った顔をしており、魔獣に掌を向けている。そして掌に火球を形成し、放とうとした瞬間、ミランダがその手を掴んだ。
「もういいよ、アルフィ」
「・・・それはどういう意味かしら?」
アルフィリースがうろんげな顔で聞き返す。ミランダは横目で、いまだに死んだ母親に取りすがる魔獣の子どもをちらりと見た。
「あれは子どもだ。殺す必要はないだろう?」
「でも人を襲う魔獣よ。大きくなれば、こいつらのように人を襲うわ。なら、今殺した方がいいんじゃない?」
「そんなことを言っていたら、最後には人間以外の生物を全滅させることになるわ」
「必要があれば、そうするけど?」
アルフィリースが冷酷な目で言い放つ。その澱みの無い返答に、思わずミランダも息をのんだ。
「なん、ですって」
「そんな怖い顔しないでよ。冗談よ、冗談」
アルフィリースがやってられないとでもいいたげに、ミランダの手を振り払う。
「まったく、慈悲深いシスターはさすがに言うことが違うわね。もっともここで殺してあげた方が、余程慈悲のある選択だと思うけど? あんな身の守り方も知らない魔獣、あっという間に他の魔獣の餌よ。それよりはここで母親と共に死なせてあげる方が、幾分か慈悲があると思わない?」
「・・・何が正しいかはさておき、母親を殺した貴女が言うことじゃないわ」
「ふーん。じゃあミランダは、私が喰い殺されていた方がよかったんだ?」
「そんなことは言ってないわよ!」
「はいはい、悪いのは私です。いつもそうなんだから。悪いことは全部私のせい。河が氾濫するのも、作物が取れないのも、虫の害も、全部全部私のせい。好きでこんな力をもらったんじゃないってぇの。昔も今も、何も変わりないわね。ミランダだけは私の味方だと思っていたんだけど、違ったか」
アルフィリースの最後のセリフに、ミランダはずきりと胸が痛んだ。まるで昔の自分が拗ねている場面を見ている様な錯覚に陥ったのだ。表情が曇るミランダだったが、アルフィリースはそのことすらも気に止めなかった。
「さて、さっさとニア達に追いつかないとね。リサ、馬を連れてきて」
「え、ええ・・・」
「で、くの一達は皆連れて行くの?」
「いえ、一人よ。梓、誰にするか決まった?」
「は、はい。少し打ち合わせをしてくるので、ミランダ様はどうぞ出立の準備を」
そう言ってミランダ達から一度距離を取る梓、桔梗、楓の3人。完全に声が聞こえない所に移動すると、梓が口を開く。
続く
次は3/31(木)21:00です。