戦争と平和、その169~統一武術大会、本戦三回戦ジェイクvsアルフィリース①~
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「なるほど、あの矢に反応するか。やっぱり大した化け物だ」
ミランダに矢を放ったのは、吉備津藤太。当初はミランダを殺すつもりなどなかった藤太。矢を射かけるのは正直だれでもよかったが、たまたまミランダが目についたから、矢を放っただけだった。
今回の狙いは、アルネリアの不手際を演出すること。だから誰も殺すつもりはなかった。ミランダならば矢が当たっても死ぬことはないだろうし、まずどの程度の手ごたえなのか知りたくもあった。それに矢が頭に当たっても死なぬとあれば、さらにアルネリアの異常性を際立たせることにもなるだろう。
だがまさか、あの距離から反撃が来るとは思わなかった。藤太の視力は一町先の蠅を見分けるほどだが、相手も同程度の視力とは想像していなかったのだ。放たれた魔術は、視認した相手を追跡するものだろうと想定された。一度回避するも軌道が変化したため、咄嗟に撃ち落とせたのは幸運でしかない。
藤太はその場をいち早く離脱した。仕損じたからには、すぐにこの場を去らなくてはいけない。まもなくアルネリアの猟犬が群がってくるだろう。その傍に、猿丸がすすっと忍び寄る。
「藤太殿、首尾はいかがか」
「仕留め損ねた。あの大司教は鬼の類だな」
「なんと? それほどの化け物だと申しますか」
「見てくれは美人だが、俺が狙った中でも五指に入る怪物だ」
藤太は頷きながら感心していたが、猿丸の受け取り方は違ったようだ。険しい表情が意味するところも藤太は知っている。藤太が役に立たぬとわかれば、この忠実なしもべは刺客に早変わりするだろう。
現にその言葉に少し険が出ている。
「だがしかし、鬼退治は藤太殿の得意のはず。それが狩れぬと申されるか」
「狩れぬとは言っていないが、それなりに準備は必要だ。今回はそもそも狩る必要はないはず。あくまでアルネリアの不備を露呈するのが目的であろう。徒に死人を出すのは好まぬ」
「むぅ・・・」
「やり方を任せると言ったのはそちらの大将だぞ? それともお前は主の命令に従えぬと申すか?」
藤太の口調が叱責するように猿丸に向けられた。これ以上は猿丸も逆効果と考えたのか、一つだけ言い残してその場を離脱した。
「ではあなたに全てお任せします。やり方も標的もご自由になさってください。ちなみにかの大司教ですが、かつては傭兵だったようです。その時のあだ名は『赤鬼』だそうで。鬼退治を役割としてきたあなたたち一族には、最適な相手ではないでしょうか?」
そう言い残した猿丸だが、藤太には笑顔はなかった。
「赤鬼だと? 馬鹿言え、本物の赤鬼の方が余程マシだ。さて、難しい依頼を引き受けたものだ。アルネリアのが批判されるようなあらを作ること、か。裏方なら犬江にでもやらせておけばよいのにな」
藤太はぼやきながら、統一武術大会の会場の雑踏に姿を隠したのだった。
***
――統一武術大会、三回戦――
「ありがとうございました」
「ええ」
ティタニアとジェイクの早朝訓練は今日も行われていた。今日は朝早くの試合なので、軽めの手合せだけとした。手ごたえは十分、休息も足りている。自分の力がこの数日で増していることを、ジェイクは強く実感していた。
傍目にも自信を深めていることはわかるのか、ティタニアがジェイクに問いかける。
「どうでしょうか、手ごたえの程は?」
「すごいよ。この数日で随分と実力が付いた気がするんだ。すぐにでも力を振るいたくてしょうがないくらいだ。ティニーの指導が上手いおかげだな!」
「なるほど――」
ティタニアはジェイクの資質もあるからだと付け加えたくなったが、既にジェイクはその場を去りかけていた。
「じゃあ朝の番を変わってもらわないといけないから、ちょっと早いけどもう行くよ! 試合の後も訓練お願いします!」
「あ、ちょっと待ち――」
ティタニアが慌てて引き留めようとしたのだが、既にジェイクは走り去っていた。ティタニアの脚力なら追いつくことは可能だったが、これから起こることもまたジェイクにとっては良き学びになるだろうと考えた。
「相手はあのアルフィリース。まっとうにやってもまず勝てないでしょうが、さてどのような戦いになるのか。かの女剣士の戦い方は独特ですから、私にも予想できない時がある。楽しみですね」
ティタニアは自らも試合を見に行こうと、一度宿に戻って朝食を取ることにした。
その後ジェイクは朝食を軽めに取り、試合による勤務交代を告げると、休憩室を借りて深い瞑想を始めた。頭の中には相手の振るう剣の形を想像する。イェーガーに出入りする中で、アルフィリースの戦いは何度か見たことがある。
女性の割に相当な使い手であることは覚えているが、それ以上は詳しいことを知らない。リサからは散々話を聞いているが、そのどれもが普段のアルフィリースの失敗談などで、そこからはとても強い剣士であることは想像もできない。
だが昨日だけはリサからは何も語られなかったし、ジェイクもまたリサに何も質問することがなかった。リサの立場を考えれば、アルフィリースに関する助言をすることは苦しいだろうと配慮したのだ。
だからジェイクはアルフィリースの剣を想像しすぎるのはやめ、静かな水面を想像した。澄み渡る水面の想像は集中力を上げるのにちょうどよい。深く、深く、まだ深く――そうして水の底に到達したところでジェイクは瞑想をやめ、会場に向かった。
「よし、最高の状態だ」
試合を待つ間も集中力を途切れさせることもなく、会場でアルフィリースと相対した。ジェイクよりも頭一つ以上背の高いアルフィリースは相対すると大きく感じるが、剣呑とした雰囲気はなくあくまで普段通りといった印象で、これから戦いが始まるかどうかも疑わしいほどの緊張感のなさだった。
それでもジェイクの集中力は途切れることなく、広く会場を見渡す余裕すらあった。会場にティニーがいるのも、リサがいるのもみつけることができる。
そんなジェイクを見て、アルフィリースは声をかけた。
「とても良い状態みたいね?」
「ああ、悪いけど絶好調だ。結構今日の俺は手ごわいぞ? 少なくとも、良い試合にはなりそうだ」
「そう?」
アルフィリースはジェイクを見ると、首をかしげてくるりと背を向けた。
「悪いんだけど、良い試合をあなたとするつもりは全くないの。すぐに終わらせていただくわ」
「できるかな?」
「ふふーん、悪いんだけど調子がよいほどにひっかかるのよね。審判、武器の交代を要請するわ。あの武器を使うわね」
アルフィリースが指し示した武器を見て、ジェイクの目は丸くなる。そして試合は始まり――ジェイクはアルフィリースの宣言通り、30と数えずに敗北して空を眺める羽目になったのだった。
続く
次回投稿は、5/28(月)19:00です。