戦争と平和、その167~会議七日目、朝②~
「あとはアレクサンドリア。彼らの使節団は誰もが精鋭ぞろいです。それにディオーレが目を光らせている以上、忍び込むのは不可能かと」
「彼らも我々と同じか、それ以上の練度の間諜を揃えていますからね。シェーンセレノは?」
「それが――不思議なことが起きているようです」
エルザもこのまま報告してよいのかどうか、悩んだようだ。だがミランダは当然あるがままを促し、エルザも困惑しながら答えた。
「――シェーンセレノの使節には間諜が入り込んでいます。それこそシェーンセレノの寝室から厠、浴室に至るまで監視可能です。その結果として、まるで怪しい所がないのだと」
「まるで怪しくない?」
「ええ。それどころか、ほとんど寝ずに常に仕事をしているようです。たまに自らの手鏡で容姿を整えるくらいで、仮眠だけを一刻ほどとるとそれ以外は常に働いているようです。これほど勤勉な者は見たことがないと」
「・・・短時間しか寝ないでも健康な者はたまにいるけど、その手合いなのかしらね。引き続き監視を。シェーンセレノが人外であろうがそうでなかろうが、彼女の元に集まる人間を見ていれば、おのずと諸侯の相関関係が出来上がるわ。
シェーンセレノが頼みとする者はだれか、あるいは彼女を頼りとする者はだれか。しっかり調べ上げて、会議の趨勢を読まなければ。下手をすると、この会議事今後の大陸の主導権をあの女に握られるわよ」
「心得ています。ですがアノルン様――私からも一つ伺っておきたいことが」
「何?」
エルザは緊張した面持ちでミランダに質問した。
「もしこの会議がシェーンセレノの思惑通りに動き、アルネリアが不利な立場に立たされた場合――『どこまでやる』おつもりですか?」
エルザは最大限配慮した言い方にしたが、当然その意図はミランダにも伝わる。ミリアザールからは何も言われておらず、そのあたりもミランダは一任されていると感じていた。なので、この場の二人に全ての決定権があると言っても過言ではない。
ミランダはさらに険しい表情になり、エルザを睨むように告げた。
「今はそれを考える時じゃないわ。だけど、今から心の準備をしておけということなら、『徹底的に』よ。泥をかぶるのは裏方の役目。間違っても聖女ミリアザールではないわ」
「私たちの替えはいくらでもいる、ということですか」
「そうね、私たちの立場はいくらでも変わりがいる。かつてのミナールのように」
「・・・」
「だけど、あなたという人間の代わりはこの世のどこにもいない。それだけは心して戦いなさい。貴女が死ねば悲しむ人もいるでしょうから」
「――はい」
エルザは亡くした大切な人のことを思い出したが、それは今は考えないことにした。ここが戦場であるならば、死者に思いを馳せるのは厳禁だ。死者を思えばそちらに引っ張られるとは、戦場の諺だったか。
だがその思いを引き裂くかのような悲鳴が階下から聞こえた。防音の魔術は外部からの音もある程度遮断するが、それすら関係ないかのような悲鳴。だがミランダとエルザはぐっとこらえて動かない。もしこれが襲撃なら人が集まったところをさらに攻撃することもありえるからだ。それにここはアルネリアの中心。防備も万全だし、何かあればすぐに人が報告に来る。
そしてミランダの期待通り、30呼吸も経たずに報告が来た。
「アリストです、よろしいか?」
「入れ」
朝の警備責任者であるアリストが入って来た。アリストは軽い敬礼と共に報告する。ミランダがすぐに問いただす。
「何事か」
「襲撃です。重傷者が一名」
「敵の数は?」
「それが・・・敵の姿はなく、矢が飛んできただけです」
「矢が?」
ミランダは色々な形の襲撃方法を考えていたが、矢による遠隔射撃は想定外だった。いや、暗殺であれば弓矢は非常に効果的で一番に想起されたからこそ、イェーガーで生産される弓矢の射程距離の倍以上の距離で防護網を敷いているのだ。防護網の中には許可がなければ入れないし、防護網に綻びがでればすぐに気付く。そうなると、防護網の外からの狙撃が必要になるが、それも想定したうえで、高低差も取れないように選んでこの会議場を設置しているのだ。そのために街路樹の伐採などにまで気を使ってきた。
それに万が一を考え、建物全体を強力な魔術で覆ってある。中からはともかく、外から遠隔攻撃で破るには、相当な大規模魔術か、あるいは攻城戦用の投石器が必要になるはずだ。
だから、今更この会場に対して矢などという使い古された方法はミランダの頭からすっかり抜けていた。ミランダはがたりと席を立つと、足早に現場に向かう。
続く
次回5/24(木)20:00です。




