戦争と平和、その165~会議七日目、早朝④~
そしてディオーレもまた空を見上げた。
「霧が晴れるな、私もそろそろ行くとするよ。ピグノムはああは言ったが、面倒見は良い方だ。なんのかんのと君たちのことを心配しているのだろう」
「そうは見えなかったけど?」
「ははは、私も幼い頃はよくピグノムと喧嘩になったさ。長く付き合っていないとあれの良さはわからん。
今は君たちも互いに理解が足りないし、誓約も釣り合わないだろう。それでも互いの持ち物の一部を交換しておくといい。互いの誓約が釣り合った時、それが何らかの反応を示すことがある。損はしないさ」
「わかった。手間をとらせてしまったな、騎士殿。感謝する」
ディオーレはエアリアルの感謝に微笑むと、その場を去って行った。そしてエアリアルはウィンティアに向き直る。
「アルフィリースの何を護りたいか、か。確かに我はアルフィリースの何を護りたいのだろうな。言われて初めて意識したよ」
「アルフィリースは一見単純に見えるけど、その実非常に複雑な内面を抱えているわ。その生い立ちも、今置かれた環境も特殊よ。これからどうなっていくのかわからないけど、確実に大陸の変遷の中心にはいるでしょうね。
彼女を護らんとすれば、それこそ全ての厄災から護る覚悟が必要だわ」
「全て、か。それもまた漠然としているな。そもそもアルフィリース我の力を必要としているのかどうかということだ。今は周りに強い連中が沢山いるし、アルフィリース自身もかなり強くなった。アルフィリース自身が我を必要としてくれるかどうか。
だがウィンティア、あなたはどうなのだ? ピグノムの言ったように、あなたには願うべき何かがないと言うのか?」
エアリアルの問いかけに、ウィンティアは少し口ごもった後、答えた。
「――正直、私は生まれた場所をライフレスに燃やされたけど、それでもそこまで恨みには思っていないわ。私は風の精霊。流されているわけじゃないけど、その時に応じて形を変え、優しくも激しくも吹く風よ。
故郷がなくなったのならまた作ればいい。過去や何かに囚われて、行き先すらなくすような真似をすべきではないと考えているのね。ただ、もう少しこの大陸やイェーガーの行く末は見ていたい。そう感じていることは事実だわ」
「だが、そのために誰かの人生を縛り付けることはしたくないと?」
「わかってきたわね、その通りだわ」
エアリアルの言葉に、ウィンティアは笑顔で頷いた。
「私はイェーガーの皆が好きよ? それでも自分の生き方を変えるつもりはないわ。それが私だし、誰かに命令されることもないわ」
「我々は同じ風でありながら、まるで違うのだな」
「そうね。私が季節風なら、エアリーは貿易風ってところかしらね」
「それもいいさ。風ならどこかで混じることもあるだろう。我々は我々に合ったやり方を考えればいい。まだ時間はあるだろうからな。
それにいざとなれば、それこそ風のように助けに往けばよいだけだ」
エアリアルは行くべき方向が見えたからか、しっかりとした足取りと共にその場を去って行った。そしてウィンティアはその後をふわふわと浮かびながら追いかけるのである。
だが霧が晴れゆくその場所で、一つの黒い霧が姿を現した。少年の姿をとった霧はドゥーム。その表情は面白いことを聞いたとでも言いたげに、ほくそえんでいた。
「いやー、まさかこんなところで貴重な話を聞けるなんてね。やっぱりいろんなところに顔を出すべきだね。それとも耳を挟む? 口を出す? まぁ僕なら全部同時にできちゃうけどね!
それにしてもディオーレの誓約か。じゃあ、アレクサンドリアがなくなっちゃえば、彼女は精霊騎士としての力を失うってことか。いやぁ、悪だくみは楽しいねぇ」
ドゥームは指を鳴らして影を呼び出した。影は形をとると、ぼろきれを纏う女の姿になった。それはマンイーターのようでもあったが、明らかに外見が成長していた。既に妙齢の女子のような姿だったが、目の周りは落ち込み、飢えた様子だけは隠していない。
ドゥームはにこやかに彼女を迎えたが、対して女の方は不機嫌である。
「――何? 今回は私の出番はないって言ってたじゃない?」
「気が変わった。こんな面白そうな祭りなら、参加しない手はない。ちょっと場を引っ掻き回すとしよう。もちろん僕らにできる範囲で」
「まだこの姿は安定していないわ。それにまだ強力な魔獣に憑依していない。この姿で出来ることには限りがあるわよ?」
「魔獣はいないけど、強力な魔王なら近くにいるじゃないか」
「魔王? ――ああ」
女は思い当ったのか、納得したように頷いた。
「で、何をすればいいの?」
「僕の予想だと、レーヴァンティンを盗み出そうとする輩がいるはずだ。そいつらの妨害をする。それにこの会議でアルネリアが主導権を握って和平を進めようとするはずさ。そんなの認められないだろ? 平和なんて、退屈なだけさ」
「要するに、ぐっちゃぐちゃにするのね?」
「そう。何一つ上手くいかせないのが目的だ。せいぜいひっかきまわしてやろうじゃないか。ねぇ、マンイーター・・・いや、デザイア」
デザイアと呼ばれた女――マンイーターとインソムニアとリビードゥの融合体――は薄暗く微笑むと、その姿をずるりと闇に融かすように消えた。ドゥームは晴れた霧の中、朝日を浴びながら暗く笑うのである。
続く
次回投稿は、5/20(日)20:00です。